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「どんなの?」
「わかんない。ふりかえってもなにもいなくて、それでこわくなって…」
自分しか戦えないのかも、しれない?
側に居るユーノがふいに遠くへ飛び去るような不安に思わずしがみつこうとした矢先、
「ほら!!」
「っっっ!」
頭上から、いきなりどら声が響き、目の前にぶらんと薄茶色の獣がぶら下がった。虚ろに濁った眼、くはっと開いた口から滴る紅の色、生臭く鼻を打つ臭い。
「や、あああーーーっ!」
悲鳴を上げてユーノに飛びつく。
「ユーノユーノユーノーっ!!」
「イルファっ!!」
「な、何だ?」
背後で間抜けた声が響く。
「俺はただ、おいしそうなやつが手に入ったから一番に見せてやろうと」
「やああっ」
血の臭い。
苦しい。胸が痛い。死ぬ間際の絶望が押し寄せてきてレスファートは慌てて心を閉じる。
「急に驚かすから!」
険しくイルファを叱責したユーノは、一転して優しい声で囁きかけてくれた。
「大丈夫だから。何でもないよ、レス」
何でもなくない。死の恐怖が迫ってくる。どうしようどうしよう、もしあいつらが自分にしか感じないもので、ユーノを助けられるのがレスファートしかいないとしたら。こんなに怖いのに、守れるんだろうか。
「イ……イルファ……なん……なんか………きら………きらいなんだ………から」
こんなに震えてしまってるのに。
ユーノの胸に顔を埋めて、レスファートはしゃくりあげる。
「すまん! な! レス! レスファート、さま!」
慌ててイルファが機嫌を取るように騒いだ。
「な、この通り! この通りだ!」
「知らない…っ」
「レス!」
「ほら、もう許してあげなよ。イルファがいじけてるよ」
ユーノがくすくす笑いながら、髪の毛についた草を取り、背中を撫でてくれる。
少しずつ安心して、気持ちが緩む。そろそろと顔を上げて横目で見遣ると、世にも情けない顔でイルファが頭を掻いている。獲物はどこかに片付けたようだ。
「……いいよ」
わかっている。食べなくちゃならない。何かの命で長らえている、そんなことはわかっている。だから怖かったのは、死ではなくて、大事な人を守れないかもしれないという不安。
「ユーノが……そういうのなら」
唯一従うと決めた人が宥めてくれるなら。
洟をすすって振り向くと、イルファが憮然とした顔で唸った。
「何でユーノが言うなら、だよ。俺の方が強いんだぞ?」
この間の勝負だって、レスを乗せたままで俺が勝ったのに。
ぶつぶつ顔をしかめてぼやくのに、思いっきり舌を出した。
「ユーノは特別なの!」
「どうしてなんだよっ!」
「ユーノ!」
イルファとレスファートのやりとりに笑っていたユーノが、アシャに呼ばれてそちらを振り向く。馬の手綱をまとめて綱にくくりつけ、その綱を打ち込んだ杭に縛りつけながら、アシャが尋ねる。
「レスがどうしたって?」
「うん、何かにぶつかられたって言うんだけど」
「ぶつかられた?」
不審そうにアシャは目を上げ、レスファートとユーノを交互に見つめた。
「レスにも草を刈ってもらってたんだけど、何度か何かにぶつかられちゃって、草の中に突っ込んだんだ。両手、傷だらけにしちゃって」
「ふぅん?」
訝しそうにアシャが近寄ってくる。
落ちていく夕陽に黄金の髪がきらきら輝いているのが絵のように眩い。
「何か、ねえ……ネークの草猫かな?」
アシャはレスファートを覗き込み、手や脚の傷を調べた。他に怪我は、の問いかけに、レスファートは首を振る。はっとしたようにユーノが瞬きした。
「宿屋のおばさんが言ってた、草猫?」
「ああ、この草原に棲んでることは棲んでるんだが」
アシャは考え込んだ色を紫の瞳に浮かべて眉を寄せる。
「草猫が人に被害を与えたって話は聞かないな」
「草猫……見えないの?」
レスファートが尋ねると、アシャはいや見えるはずだ、と応じた。
「だが、この草原に溶け込むような体色だし素早いから、今までほとんど見つかってない」
数十年前に通りがかった旅人が死骸を発見して、それでようやく生息が確認された程度じゃなかったか。
「そうなんだ…」
「もともと人間嫌いで姿を見せないとは聞いている」
「レス! アシャ! ユーノ!」
いつのまに離れていったのか、火を起こしたイルファが、オレンジと菫色のきらめきに燃え上がった炎の側から3人を呼んだ。
「もういいだろ、飯にしよう! 俺はもう死にそうだ!」
レスにうんと気を遣ったからな、と大真面目に言ったイルファに、ユーノが吹き出しアシャが呆れる。
「行こう、レス」
「うん」
不安は消え去らなかったが、それでもユーノが笑って抱えてくれたから、レスファートは笑い返して立ち上がった。




