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ラズーン 1  作者: segakiyui
12.ネークの導師
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13

「あ…しゃ…?」

「く…」

 柔らかく呼ばれたその瞬間、胸を押し潰すように広がった痛みに、アシャは呻く。

 理由を、教えてくれ、導師。

 家に入ってしまった相手に心の中で呼び掛ける。

 この気持ちがどこから起こるのか、どうして俺はこうもこいつが欲しいのか、その理由を教えてくれ。

 ユーノは『銀の王族』だ。『ラズーン』にとって貴重な存在だ。

 対するアシャは、『ラズーン』の闇の部分をその出生から背負う者、そして『ラズーン』の光を一身に浴びるべき者。

 この気持ちは、罪悪感なのか、本能なのか、それとも綺麗なものを汚したいだけの欲望なのか。

 あるいは遠い過去に紡がれた、儚い願いが自分の中に刻まれているのか。

 人よ続け、命よ繋がれ、と。

 震えている白い唇を塞いだ。一瞬抵抗されて、強く抱きかかえて唇を押し付ける。

 強ばった固い唇は、こうして触れ合うのは初めてだと訴えるようで、安心させるように何度か重ね直す。

 それでもその内側を犯すことをためらわせたのは、きっと最後に残された理性がユーノの想い人を告げるからで。

「ん…う」

 微かに相手が呻いて、ようやく口を離した。

 何をされたか、わかりかねている虚ろな瞳でユーノが見上げてくる。

「………あしゃ……?」

 不安そうな顔に口走った。

「これは……夢だ」

 嫌われたくない。

 狡さがアシャに嘘をつかせる。

「夢……?」

 呟く唇にすぐにまた誘われそうになる。数々の美姫のように甘い香りはしない、色づいてもいない、柔らかいとも言えないのに、次はもっと深くが欲しいと気持ちが揺らぐ。その気持ちを断つように言い切る。

「そうだ、夢だ」

「そうか……夢…か」

 ユーノが寂しそうに瞬きした。

「夢…か…」

 やがて掠れた小さな声で。

「夢なら甘えても……いいな…?」

 少しほっとした顔で胸に額を寄せてくる。

 細い首筋に髪の毛が絡みつく。水に濡れて張り付く衣は否応なしに劣情を煽る。

 限界まで、後数歩。

 それでもきりきりしながら水の中から引き上げ、岸まで連れ戻って羽織っていた上着で包み、抱きかかえて表に回る。

 ユーノには想う男が居る。

 それはきっと確実だ。

 そしてそれはアシャではない。

 それもきっと確実なこと。

「…ヒスト!」

 繋がれていた馬は警戒心を剥き出しにしてアシャを透かし見た。

「着いて来てくれ」

 繋いだ手綱を解くと、アシャの腕に居る主人を認めたのだろう、先に進むアシャの馬に従ってゆっくり歩き出す。

「……守ればいいんだろう、守れば……手を、出さずに」

 どこまでもつかはわからんが。

 今も結構ぎりぎりだ。

 けれど、長い旅だ、いつかはひょっとして、その想ってるやつより俺の方がよくなるかもしれないだろう?

「その時は」

 ふい、と彼方の空を見上げる。

 その時は、全てを背負う覚悟を決めよう。

 そうすれば、世界の終末も、矛盾したこの命も、やはり意味があったのだと思えるようになるかもしれない。

 溜め息をついて、アシャはユーノを抱え直し、歩き始めた。


 数日後。

「変だな」

 宿を旅立った一行の間で、ユーノは眉をしかめながら手綱を操っている。

「どうした?」

「ヒストがおかしいんだ」

「導師のところで何かあったんじゃないのか?」

「何もないよ……ねえ、アシャ?」

 イルファの突っ込みに不思議そうにユーノに尋ねられて、アシャはそしらぬ顔で首を傾げる。

「お前が川に落ちたぐらいだろ?」

「落ちたんじゃない、落とされたんだよ!」

「導師がそんなことするなんてなあ」

 よっぽどまずいもの溜めててんだろ、ここに。

 イルファがとん、とユーノの胸を突いて、一度どこかで締めてやる、とアシャは密かに決意する。

「そんなこと……ないよ」

 うっすらとユーノが赤くなって、イルファの前に座っていたレスファートがきょろきょろした。

「それより、朝ごはん、ユーノぜんぶ食べたの?」

「食べた」

 ユーノが唸る。

「あそこに居たら、すぐに体が倍になりそうだ」

 あ、そうだ、と何を思いついたのか、ユーノが嬉しそうに笑った。

「せっかくこんな広い草原が続くんだからさ、あの木のところまで競争しようよ」

「じゃあ俺は抜ける、レスが居るからな」

「へえ、イルファはレス1人でボクに負けるんだ」

「そ、そんなことはないっ」

 俺はお前が病み上がりだからと気を遣ってだなあ、とイルファが言ったのももっともで、導師の家に行った後、軽く熱を出していたユーノがむっとした顔になる。

「もう気遣ってもらわなくていい。どうするんだよ、やるのやらないの」

「イルファ、ぼくならいだいじょうぶだよ」

 レスファートがあどけなく保証するのにイルファがひきつる。

「へえへえ、わかりました。……そっちこそ、ヒストの機嫌が悪くて気の毒だな」

「大丈夫、なんかちょっと拗ねてるだけだよ、自分をないがしろにされたって」

「ごふっ」

 あっけらかんとユーノが言い放ってアシャはむせた。

「何?」

「い、いや」

 まさか、あの時は眠ってたよな? 起きてなかったよな?

 いやしかし、いっそ起きていてもらったら、それはそれでユーノにアシャの気持ちが伝わったのではないか?

 それとも起きていたのだが、アシャの気持ちは受け入れられないと眠ったふりをしていたとか?

 それはない、あんまりだろう、初めての出会いのときにはちゃんと俺を見つめてくれたぞ。

 どきん、と微かに拍動を強めた胸に、ミネルバの嘲笑を思い出して情けなさが募った。

「何?」

「あ、ああ、その、つまり」

 ぐるぐるしつつ、急いで話題を逸らせる。

「俺も加わろう、か、と思って、な」

「珍しいな、こういう遊びは馬に負担を与えるとか何とか言って嫌がってたくせに」

「ほら、その、たまにはいいだろう、悪いが腕が違うぞ」

「いったな…じゃ」

 行くよ!

 朗らかな声を上げてユーノが体を伏せる。きゃあ、とレスファートがはしゃぎ、イルファが大声で馬を励ます。

 あっという間に自分を引き離すユーノの後ろ姿に、アシャは眩しく目を細めた。


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