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「旅から旅をしていたと聞いたが」
皇は警戒心の一つも見せず穏やかに尋ねてくる。
「ええ、いろいろなものを見て参りました」
背後で音楽が流れ、ダンスが始まった。緩やかにきらびやかに入れ替わり立ち代わり踊り出す人々を見ながら、アシャは曖昧に微笑む。
「美しいもの、楽しいもの、悲しいもの、苦しいもの………敵意、妬み、企み、誠意、愛、友情……真実の姿も……」
「急がれる旅かな?」
「いいえ、気の向くままで………しかし、今度ばかりは」
アシャはゆっくりとレアナに会釈した。
「助けて頂き感謝しております」
「さぞ困られたことでしょう」
ミアナ皇妃が優しく応じた。
レアナとセアラは母親似、性格の違いがあるが、この柔らかで無防備な感触は共通しているな、と笑い返す。
「何かお役に立てることがあれば、是非お申し付け下さいませ」
「……お父さま」
レアナが思いついたように口を挟んだ。
「よろしければ、しばらくお役目をお願いするわけにはいかないでしょうか」
「何をだね?」
「ほら、ユーノの付き人に……この間、唐突にサルトが家に戻ってしまってから、あの子はずっと1人ですもの」
(おいおい、仮にも皇女の付き人に流れ者を付けようと言うのか)
お姫さま育ちにしても気楽すぎるだろう、とさすがにアシャが呆れていると、それをミアナ皇妃は別な意味に取ったらしく、心配そうに首を傾げる。
「しかし、そのようなことをいきなりお頼みしても」
「あなた、武芸もするわね?」
セアラがきらりと視線を上げた。なかなかに鋭い、と目を細めて見返す。
「歌も歌える? 楽器は? ダンスは?」
「セアラ」
「…一通りは」
微笑むとそう、と頷いたセアラが皇に向き直る。
「この人が付けば、姉さまの無謀なところも少しは直るわ。優雅そうだし、あれこれ教えてもらえば、『セレドには皇子がいる』と言われなくてすむんじゃない?」
容赦ない糾弾は実の姉に対するものとも思えない。
「あの、ユーノ、とお呼びになっているようですが」
「ああ……本当はユーナ、なのですけれど」
皇妃はほっと小さく溜め息をついた。
「ユーナと呼ばれるのを嫌って……美しいものにも、ドレスも夜会にも興味がなく、いつも男のような格好ばかりして馬を走らせ剣を取り……どうしたものでしょうか」
最大の悩み事だと言いたげに美しい眉を寄せる。
「いいではないか。わしは息子がいるようで心強い」
セレディス4世は嬉しそうだ。
「親衛隊員の中で、ユーノと互角なのは隊長のゼランだけだぞ」
「そうやってあの子を男に育てるおつもりですか? 年頃というのに、花一つ贈られることがないのを不憫に思われませんの?」
柔らかく咎める皇妃に皇が苦笑する。
(平和な国…というより、平和な人々、ということか)
微笑を浮かべながらアシャは目を伏せた。
ここにいる誰も先ほど起こったことに気づいていない。自分達のすぐ側で、3つの命が一瞬に消え失せたことを知らない。
それはこの世界に共通の認識だ。世界の裏側に何があるのか気づく者はほとんどいない。そして、どれほど多くの命が瞬きする間に散っているのかにも興味がない。いずれ自分達の未来に降り掛かってくるかもしれないとも考えない。
けれどその無関心が世界を安定に導いているとも言える。うっとうしく倦怠に満ちた現実。
アシャは微笑を浮かべ続ける、ふと、闇に舞ったユーノを思う。
(同じものを…見ている、か?)
穏やかな人々が気づかぬ影で命を屠り続ける剣。
「どうかしら……いけません?」
レアナの声に我に返った。
「姉さまの相手は大変だと思うけど」
小首を傾げながらレアナに続いて、セアラが真剣な顔で見上げた。
「でも、姉さまだって誰かが側に欲しいときもあるはずだから」
「構いませんよ」
アシャは微笑を深めた。
「急ぐ旅ではないのですし……ユーノ様さえよろしいのなら」
表面上は平和で穏やかに見えるこの小国に見えない嵐が吹き荒れている。それはひょっとするとラズーンの嵐と関連しているかもしれない。
捨てたはずだが、気になった。
「大丈夫よ、あの子なら………あら、ユーノは?」
尋ねられてはっとした。
いつの間にかユーノの姿が消えている。
(俺が気づかなかった?)
確かにアシャはレアナに見愡れていたが、人1人消えるのがわからないほど鈍感なつもりはなかった。
「また抜け出したな、客人がいるというのに」
「では、探して参りましょう。付き人の初仕事として」
満足そうに微笑む皇族一家に一礼してその場を離れ、アシャは広間を出た。