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「アシャ……」
低い呻きとともに、ゼランの白濁した瞳がふいにぎょろりと動いて見上げてきた。
絶命しているはずだ。
だがしかし、その瞳の奥に青白い燐光のようなものが躍る。
アシャは目を細めた。
「ア……シャ……」
にやりとゼランがいきなり嗤った。
「……『運命』…」
ぞくりと不愉快な波が冷気を伴って背筋を這い上がる。
ミネルバの出現以来、嫌な予感は増していた。だが、こんな間近に『運命』支配下の者がいるとは思ってもみなかった。
舌打ちして始末をつけようとすると、ゼラン、いや、ゼランの見かけを被ったものがくつくつ嗤った。
「1つ……いいことを……教えてやろう…」
思わず上げた掌の下、黒い粘液に塗れた口がかぱかぱと開き、汚れた舌が蠢く。
「ユーノの剣には……大きな罠を……仕掛けてある…」
「何…?」
「こいつは……『あれ』をもっと教えたがった……だが……儂は『あれ』は要らなかった……」
だから、さっさと手を打ったのだ、ラズーンのアシャ。
「いずれ我らに……刃向かう…『あれ』は………今頃……もう居ないかもしれないが……」
今、『あれ』には我らの手が向かっているのだ。
そう囁かれて血の気が引いた。
「ラズーンへは……行かせぬよ……『銀の王族』……ただ1人も……」
「くっ」
万全の体勢でも『運命』には太刀打ちできないだろうに、今深手を負ったまま身動きできないユーノに魔手が迫っているという。
「愚か……もの」
相手が嘲る。
「俺を……誘ったのか」
「……こいつを……使ってな」
もう侵食が進んで使い勝手が悪くなっているこの男を始末する時期でもあったしな。
嗤う『運命』の腹の傷から、ぬらぬらと溢れてきたのは腐臭を放つ黒い液体、口元からもそれを滴らせる相手に、アシャは凍った顔で短剣をなおも突き刺し、意識を集中した。
「そんな…ことを……しても…もう……遅い……ふ……ふ…は……はは…っ……っが…あ……あ…っ」
短剣が突き刺さった部分から鈍い色の煙が立ち上る。それでも嗤う相手がやがてびくびく震えながら、内側から見えない炎に焼き尽されていくように開いた穴という穴から煙を上げて焦げ爛れていく。
やがて短剣を抜き放った場所から滲むように広がった黒い染みに全身覆われていったゼランは、見ている間に得体の知れない焦げた塊となった。
「……アシャ……」
唇を噛んで見下ろしていたアシャが背後からの声に振り返ると、真っ青な顔をしたセアラが近寄ってきている。
「ご覧にならないほうが」
「レアナ姉さまは、ね」
言い捨てて側まで来たセアラの向こうで、どうやら気分が悪くなったらしいレアナが抱えられるように皇宮の中へ運び込まれていくのが見える。
「これ……何? ゼランじゃなかったの?」
気丈に声を振り絞って、喉を鳴らしながらセアラが尋ねる。
「ゼランでした」
薄い煙に覆われ、やがてうっすらと自ら潤み、その露で汚れを滴り落とした短剣を鞘に片付けながら、アシャは唸る。
「今はもう『運命』と呼ばれたもの、ですが」
「リマイン…」
「ラズーンを……この世界の存続を」
望まないもの達、です。
「………何をしてるの、あなた達!」
きっと振り返ったセアラが遠巻きにしている親衛隊を叱咤した。
「ゼランは魔物にとってかわられていた、これはその残骸よ! さっさと片付けなさい!」
「は、はい…っ」
悲愴な顔をした兵士達が数人吐き戻しつつゼランの遺骸を片付けるのを背中に、セアラがアシャを見上げる。
「姉さまは?」
「……」
「このことを気付いたの、ユーノ姉さまね?」
「……セアラ様」
「じゃあ、すぐに戻って」
厳しい顔でセアラが命じる。
「もうこっちは大丈夫よ。あなたが腕がいいのはわかった」
だから、今あなたが守るのはユーノ姉さまよね?
セアラに確認されて、『運命』のことばが蘇る。
『ユーノの剣には……大きな罠を……仕掛けてある…』
『今、あれには我らの手が向かっている』
「では、セアラ様」
レアナ様、皇宮のこと、お願いいたします。
「ユーノ姉さまほどちゃんとできなくても、頑張るから」
ユーノ姉さまを、お願い。
セアラの切ない声に大きく頷いて、アシャは再び馬上に戻った。




