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きゅきゅっ、と音を立ててアシャは革袋の口を締めた。
「じゃあ、行ってくる」
「ん。頼むね、姉さま達のこと」
粗末な寝床に横になっているユーノを見下ろし、ついつい険しくなった顔に気付いたのだろう、ユーノがにこりと微笑む。
「アシャが行ってくれるなら、安心して旅を続けられる」
「言っておくが」
じろりと相手をねめつけがら、アシャは唸る。
「まだしばらく動くなよ? 本当なら俺が戻るまで絶対安静と言いたいところだが」
「はいはい」
軽く片目をつぶって見せ、ユーノは苦笑する。
「医術師の言うことは大人しく聞いておくよ」
「…聞かなかっただろうが」
苦々しく遮るアシャにユーノがひきつる。額はうっすらと汗に濡れて、髪の毛がうるさそうに張りついている。
「ユーノ」
アシャはベッドに腰を降ろした。ユーノの額から髪の毛を指でかきあげてやりながら、
「腕のいい戦士は体調を常に最高に保っておくようにするものだ。傷は塞がってきているが、完全に接合するまで後2日はかかる」
シェーランの花祭で襲われ、生死の境を彷徨って2日、飲み過ぎ食べ過ぎ体調を崩したようだと心配する周囲をなだめて過ごし、先を急ぐのでと半ば無理矢理に旅立って2日。今はシェーランの国境付近の森近く、元は誰かの住処だったのだろう、見捨てられた小さな廃屋を見つけて治療を続けてきた。ようやく食が戻ってきたのがまだ昨日のことなのに、どうにでもセレドに戻ってほしいとユーノが懇願し続けるのに、アシャは仕方なく旅立つことにしたのだが。
「それより前に動き回ったら、命の保証はできないからな」
こんな脅しは無駄だろう、そう思いながら言い聞かせる。
シェーランの人々の動揺を恐れ、追手が再び平安を脅かすのを警戒し、まるで囮になるようにシェーランから出ていくと聞かなかったユーノの強さ激しさが今はとにかく恨めしい。
伊達に体は鍛えていない、百戦錬磨の訓練を課してくれた、そこのところはゼランに感謝してもいいが、無防備に背中を向けたユーノを容赦なく切り裂いたことを思うと、腹の底に冷えているのに滾りたつ黒い炎が蠢いてくる。痛み止めと鎮静剤を呑ませているからこそ落ちる眠り、それでも何度ユーノが蘇った記憶に苦しんで眼を覚ましたか、その手を握るばかりの自分が、どうしてもっと早くこいつの側に居なかったのかと、そればかりを呪っているのに気付いてからは、アシャも一層眠れなくなった。
「う…ん」
僅かに眼を細めたユーノがアシャの指先に唇を開く。微かに乱れる呼吸はアシャに応じてではなくて、治り切らない傷の熱がまだ身内を焦がすせいだとわかっているが、それでも思わず誘われそうになる。
離れたくない。
アシャが離れてしまえば、またユーノが無茶をする、それがもうあからさまに想像できる。
それでも、レアナがセアラが父母とセレドが、そう案じる主の声に逆らえるわけもなく。
「これは痛み止めだ」
小さな袋を渡した。
「一度に2錠以上呑むな」
身動きしにくくなる。
そう付け加えたのは本当は偽りだ。2錠以上必要とする痛みは早急に対処が必要なはず、過剰投与は一時的に痛みを殺してくれるが、傷ついた心身をより消耗させるだけだから、あえてユーノが選ばないように制限をかけた。
「わかった」
思ったとおりユーノはこくりと頷いて、2錠だね、と確認している。2錠までは呑んでも動ける、そう計算している顔に溜め息をついた。
「それから、お前の剣はイルファに預けておく」
「え!」
ユーノがぎくりとしたように目を上げる。
「だって、アシャっ」
「イルファの腕は知ってるはずだな? お前は養生するはずだから、剣は要らないはずだな?」
「う」
「不服か? じゃあ、大人しくしてもらうために、この薬も引き上げておくか?」
「あ」
慌てて薬の小袋を握り込むユーノが、あつ、と眉を寄せた。
「そらみろ」
「今のは、違う」
「何が」
「今のは」
「今のは?」
「ちょっと、傷に擦れて」
む、と唇を尖らせた相手と離れたくない、とまた思い、アシャは思わず顔を寄せる。驚いて固まる顔に拒まれる前に頬に軽く口付けして体を起こす。
「っ」
「すぐ戻る」
言い捨ててさっさと背中を向けたのは、一瞬でも不愉快そうな顔を見たくなかったからだ。
俺は一体何をしてる。
自分でも混乱して熱くなりながら部屋の扉を開けると、不安そうなレスファートと数日ずっと彼をなだめ続けていたイルファが立っている。
「セレドに戻るのか」
「あいつの家族に異変があるかもしれない」
背中越しに顎で示す。
「主人の言い付けには従わなくてはならないからな」
「ユーノ、だいじょうぶ? 入ってもいい?」
「ああ」
「ユーノ!」
アシャの同意に少年はプラチナブロンドの髪を乱して慌てて部屋の中に駆け込んだ。
ユーノ、ユーノ、ぼく、ユーノが死んじゃうかと思った、すごく心配したんだよぉ。
泣き声になってしがみついてくるレスファートに、さすがに困った優しい声でユーノが応じる。
「ごめんね、もう無茶しないから」
「うん、うん…っ」
わああ、とレスファートが泣き出したのは、心象に敏感な少年がどれほど側に居なくても、怪我の酷さを感じ取っていたせいだろう。




