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やっぱり気になる。
「ちょっと失礼」
「あら、どちらへ」
立ち上がったアシャに側で侍っていた娘が不審そうな声をかけてくる。その顔に唇に指を当て、微かに目を動かしてみせた。
「ま、ごめんなさい」
薄赤くなった娘の誤解をいいことに、舞台を降り、ユーノが消えた方へ歩き出す。
(戻ってこない)
ずいぶんになる。
もう1つ気になったのは、上空高くゆっくりと弧を描くように舞っている白い鳥の姿だ。ちら、とまた視線を投げると、アシャが動き出したのに気付いたように舞う範囲を変えていく。
(何だ?)
普段なら気配さえ見せないサマルカンドが、気付かなければわからないとは言え、視認できる距離まで接近してきたのに不審が広がった。
ラズーンからの連絡ならば、もっと早く接触してきているだろう。まだ成鳥に達していないとはいえ、サマルカンドが太古生物のクフィラだと知れば妙な食指を動かす輩もいるはず、その危険を冒してわざわざアシャの視界を掠めてきたのはきっと何か意味があるはずだ。
舞い降りてきやすいように人気のない空き地を探して、人込みを避け軽く俯き、目立たぬように頭から布を被って移動していると、みるみるサマルカンドが描く円を縮めてきた。
それは普通は獲物を見つけた徴だ。
「『運命』か?」
祭りに紛れて入り込んだ動きを察知したのかと、物陰から隠れて見上げ、アシャは眉をひそめた。
違う。あれは。
「……ユーノ…?」
危険と注意を促す旋回、未だ見つけられないユーノを思い出してぞくりとする。
「まさか…っ」
サマルカンドが舞う範囲を頼りにアシャは足を速めた。
なまじな敵に手こずるようなユーノではない、ならば戻ってこれないのは、よほどの数か、もしくは重症を負ったか。これだけの人出、そうそう目立つ場所ではやらないだろう。祭りは賑やかさを増して、あちこちで踊る人々も居る、屋台も露店商も出ている、裏路地か、それとも建物に連れ込まれて。
「ちっ」
自分が鳥肌を立てたのがわかった。竦みかけた脚を叩きつけるように走る。と、すぐ側の路地から殺気が零れ、2つの人影が飛び出すのが見えた。ちらっと見えたのは黒い仮面、日射しの中で瞬間アシャを振り返り、片方が慌てたように顔を背けた仕草にどきりとする。
(俺を、知っている?)
では、今回の敵はユーノ側というより、むしろアシャ側なのか。ならば、サマルカンドが現れたわけも納得がいく。
「くそっ!」
それならなおさら許せないと人影が飛び出した路地に駆け込み、アシャは唐突にぽかりと静まって明るい空き地に飛び出した。露店商が後で取りに来ようとしたのか半端に積まれた荷、片付けられた屋台の背後には豊かな緑。だが枝にべっとりと血しぶきが飛んで、まだ滴っているのに息を呑む。
そして、その根元には。
「ユーノ!!」
体中の血が沸騰したようだった。
叫びながら駆け寄って、いつもの冷静さも失って、鮮血に染まって倒れている小柄な姿を抱き起こす。ぐちゃり、と腕に潰れたのは引き裂かれた背中の傷、ばたばたと体を濡らしながら垂れ落ちる血がみるみる地面に広がる。意識を失って仰け反った首に巻きついた革紐、くたりとした体が重みを増してもなお軽い、もう命が残っていないほど。
「ユーノっ!」
首の革紐を解いた。ふ、と小さく、開放された喉から漏れた吐息を吸い取るように唇を合わせて、消えそうな呼吸を呼び戻す。
「……」
「ユーノ…っ!」
呼吸が緩やかに引いたまま戻らない。