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舌打ちしながら飛び出しかけた矢先、
「!」
まるで地面に弾かれたように軽々と小柄な人影は空に舞った。飛び上がりながら一閃、追い縋る相手に一閃、飛び下りて駆け抜けざまに一閃、きっちり三振りで片付け、詰め寄った男達が呻きも上げずに倒れ込む。
しかも、それが当然のことだったように倒れて身動きしない男達を確認することもなく、小柄な人影は剣を鞘におさめた。静かに息をつく。
(こんな遣い手がセレドに居たのか)
アシャは思わず瞬きした。
レアナの美貌に勝るとも劣らず、これは語られ歌われていい腕前だぞと呆れていると、小柄な人影が軽く口笛を吹く。独特な調子で2度吹くと、慌てたように庭の端から男が走り出してくる。
「片付けて」
(女?)
高い声にぎょっとした。
「は」
声が応じるのに、脅すように小柄な人影は声を低めた。
「他言するな」
「はっ」
(何?)
訝るアシャの目の前で、男は地面に転がった死体を次々どこかへ引きずっていく。
「なぜだ…?」
命じ慣れた口調、小柄な人物は身分のある者なのだろう。ましてや皇宮の庭で襲われたのだから、周知され手配され一斉に警戒体勢に入ってもおかしくないのに、相手は騒ぐどころか、今の出来事をなかったもののように扱おうとしている。
(見た目ほど穏やかではないのか)
眉を寄せたアシャは再び響いた声に、なお愕然とした。
「ユーノ?」「はい、姉さま」
皇宮の中から紛れもなくレアナの声が呼び掛けて、小柄な人影がはっとしたように応じる。するすると静かな足取りで明りの中に入っていくのは、確かに昼間見た2番目の『姫』だ。
(まさか)
今のはどう見たって手練同士のしのぎあい、だが3対1という圧倒的不利をものともせず片付けた手腕は、とても少女のものではない。なお戸惑うような内容の会話が続く。
「何か物音がしたようだけれど」
「そう? 気のせいじゃない? 私、このあたりをぶらぶらしてたけど、何も聞かなかったな」
「何かを聞き間違えたのかしら」
「迷子になった鳥かも。で、何の用?」
「もうすぐ宴が始まりますよ。お客様がいらっしゃるの、少しは身なりを整えていらっしゃい」
「はぁい」
平然とした顔で館に入るユーノの顔をじっと見ながら、アシャは静かに目を細めた。
脳裏に過ったのは昼間のユーノの対応だ。アシャへのぴりぴりした警戒心、レアナが皇宮にアシャを連れ込むことへの抵抗。苛立たしげな表情。
では、あの娘は知っているのだ、この国が見かけほど穏やかではないことを。見えない荒れがあることを。
3人の刺客相手に怯んだ様子も慌てた様子もなかったのは、それが日常茶飯事だからだ。1人で闘わなくてはならない状況が初めてではないからだ。荒れは見えない、いや、ユーノが見せないようにしている。
(誰に? 何のために?)
故郷が過る。真実を見せていないのは、それが引き起こす衝撃を知っているからだ。その衝撃が起こす崩壊を予測出来るからだ、その崩壊から守りたいものがあるからだ。
だがしかし。
「皇女…だろう」
思わず呟いた。守られ庇われるはずの存在だ、あえて引き受けなくてもいいはずだ。
考えが届く結論を見ないために顔を背け、それでも無意識に吐いた。
「ラズーン支配が……外れ始めたか」
舌打ちしながら剣をおさめ、身支度を改めて整えながらアシャは顔を歪めた。
それを認めることはアシャの運命を狂わせる。振り捨ててきた道を、果たすべき仕事を思い起こさせる。
同時にそれはアシャの胸の奥深くに芽吹いた重苦しい倦怠も引きずり出す。
どうせ偽りの世界、幻の舞台なのだ。どれほど華かやな美姫もどれほどかけがない絆も、『ラズーン』の目論みの前には塵ほどの重みもなく、いずれは流れに巻き込まれ消え失せていくのだ。
知らない方が幸せということもある。知ってしまった者の孤独と不幸はわかるはずもない。
深い溜め息をついて身なりを整え、仕上げに覗き込んだ鏡の中からよく見知った顔が見返してきて、それこそ、この時に余りにも意味深く、アシャはなおさらうんざりした。
「わかる奴には一目でわかるか」
飾り紐を取り出し、梳きあげただけで額に乱れ落ちてくる髪を絡めるように、紐を額にかけて頭を飾り巻きする。あえて華やかな結びを凝らして房を顔の横で垂らすと、もともとあまり好きではない造りものじみた女顔がますます女っぽく見える。蠱惑するような妖しい眼差しにアシャの本体は見破れない。
ほとぼりがさめるまでは仕方がない。しばらくセレドに身を潜め、行く先を考えるつもりなら、いっそ紅でも引いて女装するかと考えたのは、我ながら煮詰まっているとがっくりした。
「……やれやれ……」
今の一件は事情がわかるまで、こちらも口を噤んでおこう。
アシャは鏡ににっこりと笑いかけ、娘が喜ぶ表情を十二分に準備して浴室を出た。