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ラズーン 1  作者: segakiyui
10.花祭
46/131

2

(母さま、方…?)

 出血のせいか一瞬暗くなった視界を振り払い、ふらふらしながら寝室に入ると、こちらに背中を向けて跪いているミアナ皇妃が居る。

「母…」

 よかった、これで痛いの、ましになる。

 呼び掛けるとぎくりと背中を強ばらせて、ミアナ皇妃が怯えた顔で振り返り、ユーノは目を見開いた。ミアナの優しく庇った腕の中には、泣きながらしがみついているレアナとセアラが居る。

「ユーノ」

 ミアナがぱっと顔を輝かせて名前を呼んでくれ、次にはきっと自分もその腕で抱え込んでくれるのだろう、そう思って微笑みかけたユーノの耳に、すがりつくような声が届いた。

「来てくれたのですね」

「え…?」

「あなたが居てくれれば安心です。お父さまとゼランが戻るまで、側で守って下さいね」

「あ」

 何を言われたのかわからなくて、それでも相手の瞳が注がれているのは、血に染まったガウンを引っ掛けて左手に短剣を煌めかせている、その自分の姿で。

(でも、母さま)

「あなたが剣を習っておいてくれてよかった。ゼランもユーノなら大丈夫、そう言い聞かせてくれていました」

 日頃ドレスもダンスも嫌いだと言って好まなかったあなただけれど、今こそその素晴らしい腕を見せてください。

 少女のように微笑むミアナの目には、安心しか広がっていない。

(でも、私、怪我を)

「母さまぁ!」

 セアラが泣きじゃくってミアナの胸に顔を押し付ける。

「怖い…」

 レアナが震えてミアナの腕にすがりつく。二人を抱き締めるミアナも、青ざめた顔でユーノを見上げている、まるで保護を求めるように。

「うん……わかった…」

(私だって)

「大丈夫だよ……私、剣は…うまいから」

 ぐらりと揺れかけた体を堪えて背中を向ける。

(私だって……母さまの腕に守って…ほし…)

「っ」

 零れ落ちそうになった涙をぎゅ、と唇を噛んで目を開いた。

 ほのかな明かりが灯る室内とは逆に、ユーノの前には黒々とした闇が広がる。けれど、その闇から逃げるわけにはいかない。後ろには母が、姉が、妹が居る。

(がん…ばろう)

 せめてセレディス皇が戻ってくるまで。

(もう…少しだけ……がんばれば……)

 きっとゼランも戻ってきて。

 右腕の痛みが焼けついてくるように強くなる。めまいがして、吐き気がする。

(たおれちゃ…だめだ)

 倒れても、どうにも、ならない。

(もう、少し、だけ)

「っ」

 短剣を落としそうになる。ふらついた体を堪えて崩れかけた足を踏み締める。霞む視界を見開いたとたん、廊下の向こうから走り寄ってくる父親とゼランの姿を見つけた。

「あ」

 よかった、これでようやく休める。

「ユーノ様!」

「ユーノ!」

「父さま、わ、たし」

 ここを怪我して。

 言いかけたとたんに、厳しい表情でセレディス皇が言い放つ。

「よし、ここはもういい。ゼランと一緒にあちらを見回ってくれ」

「…え…?」

「見張りが倒されていて人数が足りぬ、頼むぞ」

「さ、ユーノ様、お願いしますぞ!」

「う…ん」

 ゼランが追い立てるように声をかけてくる、そのユーノを振り向きもせずにセレディスは部屋に入っていく。父さま、と叫びながら抱きついたらしいセアラをよしよし、と抱き締めるのを視界の端に、ユーノはゆらりと顔を背けた。

「ユーノ様、お早く!」

「わか…た」

(父さまが……悪いんじゃない)

 一番弱いものを守るのは当たり前だ。

(母さまが……悪いんじゃない)

 ユーノはいつも、剣を習っているのはみんなを守れるようになるため、そう言い張っていた。

(姉さまや……セアラが……)

 悪いわけが、ない。

「そちらを! 私はこちらを回ります!」

「…うん…」

 再び背中を向けるゼランに、崩れかけた足下をかろうじて保った。揺れた体からガウンが滑り落ちる。ぼたり、と重い音をたてて床に広がったそれが、じわじわと黒い染みを広げていくのをぼんやりと眺めた。

「まわ…らなきゃ……」

 壁に手を当て、のろのろと歩き出す。1歩ごとに視界が揺れる。

「私…しか……いない……だし…」

 ならば、ユーノは。

 突然込み上げてきた激情を堪え切れずに立ち止まる。

 ユーノはどこへ行けばいいのだ? 右手を動かせないほどの傷を負い、初めて人を殺してどこか壊れそうなのに、それでもどこでも休めない。

 それとも、ユーノは強いから、誰にも守ってもらう必要などない、そういうことなのか?

(でも、私)

 ふっと意識が遠のいた。

(私も、限界、なのに)

 体がぐずりと得体の知れないぬかるみに落ちそうになって、眉を寄せて右腕を握る。

「っく」

 ざく、と再び蘇った痛みに我に返った、次の一瞬、背中に巨大な氷を当てられたような感覚に息を呑む。

 殺気。

「わ、うっ!」

 いきなり右肩から左の腰へ灼熱の痛みが走った。仰け反ったユーノの体を抉るように食い込んでくる金属が冷たくて熱くて、とてつもなく、痛い。しかも容赦なく深さを増しながら抉られる。

「っっ、っっ、っぁああああっ!!!」

 父さまとも母さまとも呼べず、ただ絶叫だけを響き渡らせながらユーノは崩れ落ちる。喉を突き上げる悲鳴は切れ切れに、闇の彼方へ吸い込まれていく。

(う、ぁ、ぁ、ぁああああっ)

 それでも、誰も来てくれない。

(あ、あ、あ、あ……っ)

 差し伸べた手は、空を切って。

 視界が、暗転、する。

(ユーノ!)

 だ、れ…。


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