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「何処まで、行くの?」
「……」
「頭って男の人なん、でしょう?」
「……」
問いを繰り返すユーノに男は一言も応じない。
「答えて、くれない、わ」
首をすくめて振り返ったユーノの女ことばはぎごちない。
「一体どこまで連れていく気かしらね」
囁くアシャの方がやや掠れ気味の甘い声に響いて、ユーノがこそりと呟く。
「女らしいなあ」
じろりと見遣ったもののそれ以上は相手にせずに、アシャは周囲を観察した。
進んでいる洞窟は山に自然に開いた穴をより通り抜けやすくするように広げたようだ。揺らめく松明の炎が様々な影を壁に踊らせている。今は風が吹かないのだろう、動かない空気がひんやりと重い。岩肌は赤茶色で思ったよりも乾いていて、足下にはさらさらとした砂の感覚、確かに暮らすには悪くない。洞窟特有のしけった臭いもしない。
だが、どこからか臭気が漂ってくる。アシャの本能的な警戒心を呼び起こす匂い、野生の獣の住処に漂うような。
キャアアアアーッ!!
いきなり女性の絶叫が響き渡った。同時に、洞窟が震えて激しい風が一陣吹き抜ける。松明が一瞬にして吹き消され、辺りが闇に呑まれた。
「っぁ」
小さな悲鳴がすぐ側から聞こえてぎょっとする。
「ユーノ?」
「だい…じょうぶ」
闇を透かしながら声をかけると、微かな声が戻ってきた。
キェアアアアーッ!
「!」
(あの声はひょっとして)
再び風が吹き抜けたとたんに響いた叫びにアシャははっとした。女性の悲鳴そっくりだが、猛々しさをたたえた声には覚えがある。
(それにこの臭い)
粘りつくような濃い闇の中にぬらっと光が揺れて、松明が再び点された。次々移されて元通りに灯を点した男達の1人が、松明を掲げていないもう片方の手でユーノのニの腕を握りしめているのにぎくりとする。武骨な5本の指がユーノの腕に食い込んで、顔を背けたユーノは歯を食いしばって眉を寄せている。
「何をされますの」
ぐい、と男はユーノを引っ立てるように引き寄せ、アシャの方へ突き放した。よろめいたユーノが左腕を押さえながらもたれかかってくる。
「こんなところで逃げられなどしませんわ」
抱きかかえて男に訴えたが、相手の無表情な顔は動かない。
「灯が消えたとたんに握り締められて…」
ユーノが苦しそうに訴えた。
「ただのでくのぼうじゃないってことね、痛む?」
そっと腕を摩ってやると、びくりとユーノが震えた。
「後で見てあげるから」
「大丈夫」
固い声で慌てたようにユーノが拒んだ。すぐにアシャの腕から身を引いてしまうのが何だか苛立たしい。
「私の見立てを信じないの?」
「そういう話してる場合じゃない、でしょ」
「じゃあ見せてね」
「だから」
「ここから先はお前達2人で行け」
会話を遮って男が唐突に命じた。
「私達2人で?」
「……」
男達はくるりと向きを変えてそのままどんどん歩み去る。松明1つも渡してくれなかったから、男達が1つ目の角を曲がっていくあたりで、すぐに周囲が見えなくなっていった。
「これからどう行けと言うんだ」
「……アシャ……ほら」
「ん?」
すぐ側からユーノの声がして振り返ると、前方の暗闇に微かに青白く光るものが浮かんでいる。ちょうど岩肌に灯を点したように点々と光るそれに触れて、アシャは頷いた。
「光石だ」
「ひかり、いし?」
「発光物質を含んでるんだ。そうか、光石はシェーランからも出土したのか」
道理でいろんなルートから入ってくるわけだ、と故郷に居た時のことを思い出していると、くい、とユーノが服を引っ張った。
「アシャ……なんかやばそうなものがある」
「何……」
光石がうっすらと照らす彼方の闇の中、光石を遮る大きな闇がある。その中央、天井近くに燃えるように輝く2つの緑色の光が、ゆっくり変形して横に広がり、ふわりと縦に伸びた。
「っっ!」
次の瞬間、洞窟を満たしていた臭気が一層濃くなって、アシャは突き出された鼻面と剥き出された犬歯からかろうじて逃れた。
「ユーノッ!」
「っ!」
とっさに後ろへ飛び退るユーノを追うように、手前に体を乗り出してきたのは緑色の複眼を光らせた怪物、赤ん坊ぐらいは軽々飲み込めるほどの口に巨大な犬歯が上下4本、後は骨も噛み砕くほどの威力を持った小型の鋭い歯がびっしりと並んでいる。生臭さがあたりに立ちこめ、ごわごわとした毛に覆われた体が大きく伸びる。
キェアアアアーッ!
「レガだ!」
鞭のようにしなって飛んできた尻尾を間一髪避けながら、アシャは叫んだ。ばしりと岩肌を叩きつけて人の頭ほどの岩を抉り取っていく攻撃を食らったら、とてもすぐには起きあがれない。
「レガっ?!」
「太古生物の一種だ!」
「どうして、今こんなとこに居るんだっ!」
鋭い気合いと一緒にドレスの一番下に隠していた短剣でレガの片目を急襲するユーノが叫ぶ。何度も振り降ろされる尻尾と激しく噛み鳴らされながら襲ってくる口を巧みに避ける姿は、初めてレガとやりあったとはとても思えない。
「来たぞ!」
今度はこちらに向かってきたレガの牙をかろうじて受け止めたものの、捻った手首のせいで力が入らなかった。短剣を弾き飛ばされて、舌打ちしながら地面を転がる。痺れた手首に感覚が戻ってこない。
(仕方ない)
こんなところで使いたくないが、と覚悟を決めた瞬間、
「アシャ、向こうへ走って!」
鋭いユーノの声が命じた。




