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花を扱い倦ねて困っているのを見兼ねて声をかけたら、思いもしない幼い顔で、しかも今にも泣きそうな顔で見上げられてアシャは固まった。
(なんて顔を、する)
怯えて不安がって頼りなさそうな顔。
命をやりとりする最中にもそんな顔は見せないのに、たかが花1つ散るだけで、どうしてそれほど傷ついた顔になってしまうのか。
(いつもそうだな)
自分が傷つくことには平気なのだ。命に関わる傷でさえ、笑ってしのいでしまうのだ。けれど、その同じ心は、他の命が傷つくことには痛々しいほど敏感で。
女装が趣味だと気持ちをほぐしてやりながら、髪に触れて整えてやった。
(本当はきっと)
カザド兵も山賊も、できれば命を奪いたくないとユーノは心の底では思っている。
(だからこそ)
自分を第一に守れば傷つかない場合にもそれ相応の傷を負うのは無意識の差し引き条件なのだろう。相手を傷つける、その代償を自らの傷で支払って。
そういう心を抱えながら、それでも剣を振って生き延びてくるしかなかった自分を、ユーノはどこかで負担にしている。
小さく吐息をついて体を寄せてくるのは、きっと意識していない。自分が甘えるような無防備な顔を晒しているのも気付いていない。
(見せたくないな)
他のやつにユーノのこんな顔を見せたくない。
けれど、好きな男ができれば、そいつにはきっと見せるのだろう。
「…………」
アシャは眉を顰めた。今まで感じたことのない冷ややかな怒りを感じて、ますます顔を歪める。
(まずい)
この執着が何かを知らないほど子どもではない。けれど、その大きさは今まで感じたことがないほどで、見る見る胸を圧倒する。
誰にも、渡したく、ない。
コレハオレノモノダ。
(何を考えてる)
舌打ちしそうになって慌てて首をきつく振り、
「……ん、よし。これで落ちないぞ、少々暴れ回っても」
「ありがとう、助かった」
声をかけると、ユーノがはっとしたように体を起こした。うっすら赤くなっているのは、自分がアシャに抱き込まれるような形になっていると気付いたせいだろう。ユーノが急いで取った距離が不愉快になって、ドレスを乱し、どすりと胡座を組んで座る。
「ところで勝算はあるの?」
アシャの格好に呆れた顔で尋ねてくるユーノに肩を竦めてみせる。
「ともかく相手の状態がわからなけりゃな」
「そんな気持ちで引き受けたの?」
怖いなあ、と苦笑する相手に、どっちがだ、とやり返す。
「無鉄砲もいいところだぞ。万が一、ここで…大怪我をしてラズーンへ辿りつけなくなったらどうする気だ」
「死なないよ」
事もなげにユーノはアシャが避けたことばを使った。
「死なないって……もし、の時だ」
「絶対死なない」
ぎゅ、と唇を真一文字に結んだユーノが一瞬鋭い目でアシャを射抜き、すっと目を逸らせて、近付いてきた『鳴く山』を見る。
「……死ぬ、もんか」
『鳴く山』は馬に引かれた荷車に揺られる2人の前に全貌を見せつつあった。削いだような赤茶けた岩肌に暗い緑の樹木がしがみつくように生えている。点々とした緑の間、不格好にくり抜いた洞窟が、夜の闇のように口を開けていて、奥でちらちらおき火のような光が揺れている。
「火をつけている…」
「奇妙だな」
アシャは眉を寄せた。
「この暑さなのに、どうして火がいる……っ!」
ふいに、何に驚いたのか、馬がいきなり棒立ちになって暴れた。嘶き怯えてはね、荷車ごと倒れ込む。
「あっ」
「ユーノっ」
さすがに予想していなかったらしいユーノの体が軽々跳ね飛ばされそうになるのを、アシャはとっさに引き寄せて胸の中へ抱き込んだ。同時に荷車から転がり出たのはいいが、右手首を捻って体を支えてしまって顔を歪める。
「つ…」
「っ、手首?」
慌てたように胸にしがみついていたユーノが体を起こして覗き込んできた。
「捻ったの?」
「ちょっと、な」
「ご、めん…」
すうっとユーノの頬に赤みが昇った。
「私、を抱えてたからだね」
「ああ、別にそういうわけじゃ」
いつもならするはずのないへまをしたのは、抱き込んだユーノの髪から漂った甘い匂いに一瞬気を取られたせいだ、そう説明することができずに、曖昧に笑った。
「だって…」
「、ユーノ」
うろたえた顔で言い募ろうとした相手の背後の茂みがざわりと揺れて、アシャは目を細めた。
「っ」
振り返ったユーノの体にも緊張が走る。
茂みを掻き分けて出てきたのは、全身を覆う黒い服、片肩から巻きつけた毛皮の男達。浅黒い、どこか生気のない顔、のろのろと愚鈍そうな動き、けれどそれを裏切るようにぎらぎら光る鎖を握っていて、その先に何かわからぬもので黒く汚れた棘だらけの鉄球が揺れている。
「頭、が、お呼び、だ」
男の1人が初めて声を出した。木の皮を摺り合わせるような響きで、
「立て」
男達がぐるりと2人を取り囲んだ中で命じる。
その背後で1人の男が倒れた馬の首から血に塗れた剣を引き抜いて両肩に担ぎ上げ、別の1人が荷車を斧で砕いて粉々にしていくのが見えた。
凄まじい力にごくり、とユーノが唾を呑む。
「お迎えに、来て下さったのね」
アシャはユーノを促しながら、静かに微笑んで立ち上がった。




