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「で、何がおかしい気配だと思ったって?」
「ああ」
アシャが睨んでいた視線を微かに逸らせる。
「……あいつらとは前にやりあったことがある」
「あるの?」
「まあな」
まあな、だって?
ユーノは密かに眉をしかめる。
確かにアシャという男が見かけと全く違うものだというのはわかってきた。優男で女に見えかねない綺麗な顔で、詩歌も口にしダンスもうまい、宮廷慣れもしている、物腰も雰囲気も柔らかいが、その実敵を倒すときの容赦なさ、年齢にしては異常に豊富な知識と経験、しかも時々見せる不思議な微笑には得体の知れないものもあって。
レクスファで『盗賊王』を倒したとも聞いた、なのにここでも『山賊』とやりあったことがあるという。どう見ても生死を左右する修羅場を事もなくくぐり抜けてきているようなのに、ただの旅人がそれほどのことに巻き込まれて平然と生きてこれるのだろうか。
そもそも、アシャはどこの生まれで、本当は何者なのか、それをユーノはおろか、レスファートもイルファも、いやレダト王さえ詳しく知らない。知らないままに、誰もがアシャを身内深く迎え入れる、それが既に十分不思議なことではないのか。
(まさか)
ちら、とユーノは横目でアシャを見遣る。
(それこそ、妖魔とか精霊とか………ラズーンの神さま、だとか)
まさかね、と思いながら唇を噛む。
警戒しなければならない、いざとなったらアシャと剣を交えることさえ覚悟しなくてはならないかもしれない、祖国セレドとレアナのために。
(斬りたく、ない)
もう十分ユーノの手は血に塗れている。今さら無邪気なふりはするつもりなどないが、それでも敵に対してためらいなく剣を振うユーノを見るアシャの視線が、何となく変化しているのは気付いている。
(あたりまえ……だよね)
普通ならば花を飾り、ドレスを着て、平和な日々を愛おしむ年齢だ。アシャが付き人を頼まれたとはいえ、引き受けてくれたのだって、そういう娘の身の回りの世話という思いだったのだろうに、ユーノはアシャを引きずり回し危ない目にばかり合わせている。
(疎ましがられても……当然、か)
『山賊』退治を引き受けたときも迷惑そうだった。無理もない、それはわかっている。ユーノ達はまだうんと長い旅をしなくてはならないのだ。
(でも)
生きているか死んでいるか、それを確かめもせずにここから逃げ出すわけにはいきません、私どもはあの子の親なんですから。
言い放たれて、辛かった。
そうか、そう思うのが親なのか。わが子の安否を心配して、何もできなくとも逃げ出すまいと考えるのが親なのか。
ならばユーノの両親は? いつかの夜、その身を呈して我らを守れ、そう命じた彼らは一体何なのか。
「っ」
ユーノはきつく目を閉じた。
考えたくない。考えたくないから引き受けた。それほど娘を思う気持ちを全うさせたくて名乗り出た。それほど思われている娘を何とか無事に帰してやりたかった。そうすればきっとほっとする。
そうすれば、きっと。
「ユーノ」
「っ!」
ふいに熱を感じて、ユーノはとっさに体を起こした。右手を懐に忍ばせた懐剣に、左手を常なら置いている長剣の場所に伸ばして身構え、はっとする。
目の前には、戸惑った顔でアシャが半端に手を浮かせている。
「あ…」
握った懐剣から手を放す。
「何もしない」
微かに笑ったアシャが両手をそっと上げて空っぽなのを示してみせた。
「花がずれてるから直そうとした、だけだ。すまん、急に手を伸ばしたからびっくりさせたんだな?」
「う…ん」
ユーノは一瞬泣きそうになったのを、かろうじて堪えて笑い返した。
「こっちこそ、ごめん。花、自分で直すから」
「ああ」
側に居たのがアシャだと忘れていたわけでもなければ、アシャを敵だと思っていたわけではない。けれど、苦笑して手を降ろす相手を警戒していたのは明らかで、それをはっきり思い知らせるような形になってしまった。
(違う、のに)
唇を噛みながら慌てて髪の花に触れる。ふわふわと頼りなく柔らかな感触が、指先を何度も潜り抜ける。
(レアナ、姉さま)
ふいとその柔らかさを追うようにレアナの面影が胸に広がった。
いい子ね、ユーノ、優しい子。
昔聞いた甘い慰め。
(違う)
違う。
優しくなんかない。優しい子ならば、人に剣を向けたりしない。敵を屠ったりしない。ましてや、自分の想う相手が側に居るなら、ときめきこそすれ、こんな風に警戒したり、剣を握って身構えたりしない。
「っ…」
はらりと花びらが一枚落ちた。か弱く脆い花弁がなかなかうまく落ち着いてくれない。
「やりにくそうだな。全部落ちてしまうぞ」
「……ん、そ……だね」
アシャの苦笑した声が胸に堪えた。お前にはそんなものは似合わない、そう言われた気がした。
(わかってる)
きつく唇を噛み締めて、丁寧に整えようとするたびに花びらが散り落ちる。
(わかって、るから)
花1つさえ自分で満足に扱えない、それが分不相応な格好をしているからだと嘲笑されているようで、体が熱くなってなお焦る。
(何も、こんなときに)
アシャが見ているその前で、こんなみっともない格好を晒さなくてもいいじゃないか。
(綺麗だと思ってもらえなくてもいいから)
せめて、せめて。
「ユーノ」
「……」
「ちょっと触るぞ?」
「…っ」
優しく声をかけられて、思わず視線を上げた。側に寄ってきていたアシャが見下ろしたまま、一瞬固まる。それから、くすりと小さく笑って、
「こういうのは俺の方が慣れてる。何せ女装が趣味、だからな」
「へ、へえ、そう、なの?」
ほっとして、慌てて応じた。
「自分で認めるんだ?」
「冗談だ」
「認めたじゃない」
「冗談だと言ったぞ」
ほら、貸せ。
「ん」
指が触れた。ぎちぎちひきつれた髪をそっと弄って、撫でてくる。繊細で丁寧な動きに苛立った気持ちがおさまってくる。かなり花びらを散らしてしまったから足りなくなったのか、自分の髪から花を外してユーノにつけてくれる。
(気持ちいい)
誰か他人の指先でこれほどくつろげたことはなかった。目を伏せて温かな指が触れてくるのを味わっていると、遠い昔に帰っていくような気がする。
自分は守ってもらえるのだと無条件に信じていた、遠い彼方の昔に。
「……ん、よし。これで落ちないぞ、少々暴れ回っても」
呼び掛けられて目を開けた。
いつの間にか、アシャの腕に抱えられるようにして髪を弄られていたのに気付き、慌てて姿勢を直す。
「ありがとう、助かった」
に、と笑って、どこか面映気な相手に距離をおきながら、
「ところで勝算はあるの?」
無理に話題を変えた。




