1
ゆったりとした石造りの浴室で、アシャは旅の疲れと汚れを落としている。
久しぶりの屋内、敵に命を狙われることもない。
体のあちこちに負った傷と逃亡で酷使した筋肉に熱い湯がしみ入るようだが、それでもこの寛ぎはたまらない。セレドに沐浴の習慣があって助かった、と思う。
「ふぅ…」
窓の外はまだ薄闇、さすが田舎だけあって、この暗さでもう周囲には静けさが満ちている。
湯舟にゆったりと体を伸ばして、額に張り付いた濡れた髪を掻きあげ、アシャは湯舟の端に頭をのせた。
小国、セレド。
ラズーンより遠く離れたこの国の名前は、実は意外なことで知られている。皇宮に住まう3人の皇女、中でも長女レアナの美しさは旅芸人や吟遊詩人が歌にするほどだ。
アシャ自身も、やれどこかの大国の王子が手に入れ損なって悔しがったとか、やれ軍を率いて攫いにいったがレアナに微笑まれてすごすご戻ったとか、お伽話のような噂を聞いている。
半分はでっちあげだろうと思っていたが、本物は確かに美しかった。単に見目形のことだけではなく、立ち居振る舞い表情仕草、全てが皇女とはかくあるべきだという規範のような艶やかさ、それだけでもここまでやってきたかいはあったかもしれない。
末の姫セアラもまだ幼いながら凛とした気迫があり、レアナと揃っての母親似、あっという間に人目を魅く美姫になろうことは間違いない。
がしかし。
「血というのは…不思議なものだな」
苦笑しながら思い出したのは、ユーノと呼ばれたあの『姫』で。
のしかかられて頬まで包まれたのに、それでもすぐに女性だとは気づかなかった。少年のような出で立ちのせいもあったが、瞳の強さきつさ、細くはあったが全てを弾くような瞬発力を漲らせた手足は少女と思えぬほど固く軽かった。皮肉なことばの鋭さは並々ならぬ聡明さを思わせた。皇子であれば、さぞかし名のある者となって、ゆくゆくはラズーンも名将を一人得たかもしれないが。
同じ父母から産まれたものだというのに。
ふいと掠めた自らの出生、それを苦笑に紛らせて呟く。
「あれでは、な」
まるで尖った針や研いだ刃を側に横たえるようなもの、言わんや床を共にするなどとはあり得ない。女は体を休め心を寛がせるために存在するもの、あんな娘をなどと考えるまでもない相手だ。
「まあ……好んであれを妻にと望む男もいまい」
他に2人も美しい姫がいるのだ。国としては1人ぐらいああいう皇女が居ても、それはそれでいいのかもしれない。
(特に今この状況においては)
鋭い視線を天井へ投げる。安全とわかっていても『運命』の気配を探るのは習い性だ。禍々しい影はない。幸いなことだ、アシャにとってもセレドにとっても。
「…さて」
あんまりのんびりしていては宴に遅れるな。
湯舟から出て用意されていた布で体を拭いかけ、ふ、とアシャは動きを止めた。
「……」
肩越しに窓の外を見遣って、さりげなく濡れた体を拭きながら場所を移動する。気配を殺して脱ぎ捨てた衣類まで辿りつき、中から一振りの短剣を取り出した。
黄金色の短剣だった。
飾りは地味で煌めく光だけが高価さを語っているが、どちらにせよ一介の行き倒れの旅人が持つには明らかに分不相応だ。
親衛隊が荷物を探っていたが、ぼろぼろの衣服まで探ろうとしなかったのは手落ちだった。それこそ刺客であったら皇宮の守りなどできたものではない、それがこの国の穏やかさを語ってあまりある、と苦笑する。
「?」
いつでも反撃できるように素早く下着を身につけたアシャは、やがて訝しく窓の外を再確認した。
「……俺じゃないのか」
呟きながら、薄暗い庭園に動く4つの影を凝視する。
大柄で荒い似たような気配が3つ、押し包まれるように間合いを詰められていく1つの影はひどく小柄で華奢、圧倒的に不利に見えるが怯んだ様子もない。抜き放った剣は静かに構えられた青眼のままだ。
(あの3人、結構な遣い手のようだが)
大柄な影は男だろう、盛り上がった腕で幅広の剣に力を込めていく。セレドの剣とは種類が違う、そう見て取ってアシャは眉をしかめた。
(侵入者?)
間合いがどんどん狭まっていくが、小柄な影はやはり動かない。風も緊張に凪いだのか、動きが止まった世界に重圧だけがましていく。
「……」
こんなところで目立つつもりはないが、仮にも皇宮、騒ぎが起こって万が一にもレアナが傷つくようなことは困る。アシャは目を細めて剣を抜いた。こじれるようならこちらがさっさと始末をつけて恩を売るか、そう思った瞬間、きらりと館の灯を跳ねて光が走り、一気に3人が残りの1人に襲いかかる。
(おいおい)
襲撃どころか暗殺か。