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家の中の騒動は見る見る片付いていく。覆いかぶさってきた山賊の顎を派手に蹴り上げ、仰け反ったところに切り込むユーノの双眸は燃える黒炎、激しく美しい光に思わず見愡れて立ち竦む。
『……えらく惚れ込んだものだな』
ぼそりとミネルバが呟いてアシャは我に返った。
『伊達に視察官をしているわけではなかろうから、そなたの目を疑いはせぬが……それにしてもそなたらしくない。氷のアシャと言われた勇士とは思えぬな、腑抜けた顔をしおって』
無表情に振り返ると、相手は軽く肩をすくめた。
『まあ、よい。そなたの心の熱さは私が知っておる……美しい仮面の下に滾る激情も、な』
「何が言いたい」
『何も。ただ、それに囁きかけることができる乙女が今までおらなかっただけのことだろうよ。さあ、もう行くがよい。あの者達もそろそろ不審に思うぞ』
ミネルバは手綱から手を離し、足下に転がっている男の屍体に向かって指で招いた。ふわ、と重さのないもののように浮かんだそれを、くすくす笑いながら白馬の背に引き寄せる。
『これはもらっておこう。騒ぎを起こすのは好まぬ。いくら支配下とはいえ、こんな死に方では冗談にもできぬしな』
「……このあたりに『運命』は居たのか、ミネルバ?」
『それを知ってどうする』
ミネルバが間髪入れずに問い返し、アシャは口を噤んだ。
『己の運命に立ち向かう気になったのか、アシャ』
「……」
『気持ちも定まらぬのに、敵の所在を確かめても仕方なかろう。それとも…』
微かに微かに柔らかな微笑みの気配が滲む。
『あの娘のために、命を賭ける、か?』
(ユーノの、ために?)
もう一度家の中を振り返る。飛び散る汗に紅潮した頬、鋭い視線は闘志を失っていない。
「……彼女に俺は必要じゃない」
『く……くく』
ミネルバが失笑した。
『必要とされないのがそれほど苦痛か、ラズーンのアシャ?』
「っ」
『それこそ……』
その先をミネルバは続けないまま、そっと馬の背の載せた男の体を指で撫でた。
『私の今宵の花婿はこの者にしておこうよ。………ほう、そなたなしでもしのいだぞ。中々の手練を同道したと見えるな、アシャ。ラズーンへの旅を楽しむがよい』
暗く魔的な笑いを辺りに満たして、白馬がゆっくり歩み去る。幻のような姿がみるみる夜闇に溶け込み消えるのに、アシャは重い溜め息をついて身を翻した。
(簡単に言ってくれる)
ユーノを愛しいと思うことも、守りたいと思うことも、実は命を賭けることと大差がない。アシャの生まれが、世界の流れが、否応なくユーノを、アシャを奔流に巻き込んでいくからだ。流れから外れ、世界の滅亡には関わらず、自分達の復讐のために『運命』を狩る輩に、世界で必死に生き延びようとする命の厳しさがどれほどわかると言うのか。
だが、その思いが諸刃の剣であることにも気がついた。
アシャもまた、全うすべき仕事を全うせずにラズーンを離れた者だ、それが遠く遥かな場所でユーナ・セレディスという少女を生死の境に追い詰めていることも知らずに。
そしてそれは、今こうして、故郷を同じくする者とやりとりしている間に、ユーノが修羅場の中に置き去られているのと同じことでもある。
(俺に、その資格はある、のか?)
ユーノを腕に抱き締める、資格が。
「ちっ」
思った瞬間に胸を過った傷みに忌々しく舌打ちして急ぎ家の中に戻ったが、中ではほとんど始末がついてしまっている。
「アシャ! どこ行ってたんだ!」
すばやく見咎めたイルファがむくれる。
「1人だけ楽してやがったな!」
「外の敵を確かめてたんだろうが」
「ほんとか?」
「う」
イルファだけではない、レスファートの微妙な視線に思わず口ごもるアシャの前でぱちん、と音を立てて剣を片付けたユーノがちらっと見遣ってくる、その視線が一番堪えた。
「俺だってな、」
「お願いですっ!」
思わず弁解しようとした矢先、家の隅で震えていた主人ががばりと床に両手をつく。
「は?」
「山賊をやっつけてもらえないでしょうか!」
「え」
「お願いします! お願いします! お願いします!」
ぎょっとするアシャ達に主人はひたすら喚き続けた。




