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「怪物?」
遅い夕食の席についていたアシャ達は家の主人の話にスープから顔を上げた。
聞き間違いではなかったのかと眉をひそめるのに応じて主人は話を続ける。
「確かに、私達は山賊と呼んでいますが、本当はあいつらはケトル山の洞穴に住む怪物なんです」
ケトル山は街から少し離れたところにある峻厳な山で、別名『鳴く山』と呼ばれている。山のあちらこちらに口を開ける洞穴に細い風穴が通じているために、一定方向から風が吹くと、山がさまざまな唸り声をたてる、それを「山が鳴いている」と言うらしい。
「あ、ほら!」
主人の促しにレスファートがびくりと震えて食事の手を止めた。
うおおおおおお……うふおおおおおぉ。
地底から沸き上がったように聞こえた声は静まり返った村を走り、地鳴りのように床を揺さぶって駆け抜けていく。
「あんな音……さっきまで聞こえなかった…よ?」
「そうだね」
怯えた顔でレスファートがユーノを見上げる。
「風向きによるんですよ。これぐらいの時間になると大きく聞こえてきます」
主人のことばを追うように、今度は細く震える娘の悲鳴のような声が家の透き間から忍び入ってきた。
ひぃやあああぁああ。
「ユーノぉ」
レスファートは完全に食事を止めてしまった。母の背後に隠れる小さな子供のように、椅子の上で隣のユーノに身を寄せる。ひそめた眉の下でアクアマリンの瞳が大きく見開かれ、ユーノ達の見えぬものを追うように虚空を彷徨い、部屋のあちこちを見回した。
「レス?」
「ユーノ……いや……あの『音』……いやだ……」
やがてレスファートは色を失った唇を震わせて訴え、ユーノにしがみついた。
「どうしたの、レス」
小さく首を振って応えない、その肩ががたがた揺れている。
レスファートのただならぬ様子に腰を浮かせたアシャは、再び響いた声に耳を澄ませたが、突然戸口を振り返った。片手を剣に伸ばし、1本をイルファへ放り、もう1本を抜き放つ。
「な、なにを…」
ぎょっとする主人に顎をしゃくって隠れていろ、と示した。
「あれは山賊の合図だ」
「山賊?!」
主人が叫び、耳をすませた後、慌てて首を竦めた。ようやく、娘の声に似た、布を引き裂くような風音に混じって、とぎれとぎれに波打つ笛の音が聞こえたらしい。
素早く戸口へ動いて待ち構えるイルファが鋭い一瞥を投げてくる。
アシャは頷き間合いをはかる。
3…2…1……。
「っ!!」「ひやああっっ!」
声にならない主人の悲鳴、奇妙な叫び声と一緒に赤ん坊の頭ぐらいはある鉄球が木戸を砕いて飛び込み、すぐに鎖に引き戻されていった。間一髪、身を伏せたアシャの頭の位置をはかったように、再び鉄球が割れた木戸から躍り込む。
「アシャ!」
「大丈夫だ!」
前方に身を投げると同時に転がり、アシャはユーノを振り返った。レスファートを守るようにと合図すると、こくりと頷いたユーノの目の前、くるくる回りながら飛んできた斧が今度は椅子を砕いて転がる。レスファートを抱いて伏せながらユーノが剣を抜き放つ。
「アシャ!」
背後の窓から躍り込んできた男にイルファが怒鳴り声を上げた。そのイルファも組みついてきた男を殴りつけ、鉄球を奪って逆襲しようとしたが、顔を歪めて鉄球を落とす。
「なんつー重さだ!」
「ふっ」
背中を急襲されたアシャは小さく息を吐いて、身を沈めて壁際に引いた。男により接近するような動作、間合いを取り損ねた相手が怯んだ一瞬に、脇から背後へ、柄まで通れとばかりに貫いて剣で突き上げる。
「ぐええっ」
呻き声を上げて男がアシャを越えて前に崩れ落ちた、息をつく間などない、砕かれた木戸から、蹴り破られた窓から、イルファが重さに耐えかねて落とした鉄球を軽々振り回しながら男達が飛び込んでくる。首から手、足首まで覆う黒服、毛皮を片肩から腰へ巻きつけた逞しい体格、大きさで言えばイルファがかろうじて張り合えるぐらいか。
(こいつら、山賊じゃないな)
首に突き出された剣を跳ね上げながら、アシャは顔をしかめた。
圧倒的な体格差を繰り出す剣1本でしのぐのは慣れたことだが、以前戦ったときはこれほど手強くなかった。何より見かけは山賊なのだが、どろんと曇った目には生気がなく、振るう暴力とあまりにも対照的に醒めている。
(それに、この怪力)
振り回される鉄球、剣を絡ませたときに押し込んでくる肩を砕くような強圧。
(人間の力『以上』のようだが)
考えを巡らせている間にも空を走った鉄球がユーノ達を襲う。手から剣を叩き落とされ、顔を歪めたユーノは視線を近くのテーブルに走らせながら、片手にレスファートを抱えて飛び退る。その足から毛ほども離れていない床が鉄球で砕かれる。
きらりと目を光らせたユーノが鉄球に繋がった鎖を蹴りつけ、相手が引き戻そうとした間を崩した瞬間、身を躍らせてテーブルを倒し、陰にレスファートを放り出す。
少年が小さな悲鳴を上げながら、テーブルと壁の隙間に落ち込んだとたん。
「イルファ、こっちに剣!」
「おぅ…っ?」
数人片付けて手薄になったところへ有無を言わせず命じられた声に、思わずイルファが剣をユーノに投げてからうろたえる。
「えっ、わっ、わっ」
「ありがとっ!」