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『太陽の池』を発って数日後、一行はシェーランに入った。
とっぷり暮れた日に、ひさしぶりに家屋の宿を探しにかかる。
「ごめん! 旅の者だが一番の宿を…」
「はいはい……」
細く扉を開けた相手はぎょっとした顔で固まり、次の瞬間顔を強ばらせて、ばたん、と手荒く閉めてしまった。
「おい! 怪しい者ではない!」
どんどん、と戸を叩いてイルファが喚くと、中から悲鳴のような叫びが応じる。
「嘘をつけ! 早くどっかへ行ってくれ! 山賊の手伝いなんか真っ平だ!!」
「山賊?」
アシャが眉をひそめるのに、イルファの様子を見守っていたユーノは訝しく目を向けた。
「何…コールって?」
「シェーランの辺境貿易商人……まあ、平たく言えば山賊、だ。ここ数年は大人しかったはずなんだが…」
「それで、なぜ俺を見て戸を閉めねばならん?」
ぼそりと言ったイルファに、思わず笑いを噛み殺す。
「なんだ、それは」
「ごめん」
「謝ってなお笑ってるとはどういうことだ……お前までなんだ、アシャ」
「すまん」
「くそっ」
確かにイルファは筋骨たくましい大男、それが唐突にのっそりと戸口に立たれては、どう見たってただの旅の者には見えない。ふくれっ面になったイルファに、レスファートが生真面目な顔で慰める。
「見えないってふべんだね。イルファ、こんなにやさしいのに」
「そう、そうですとも!」
たちまち相好を崩したイルファは、少年を軽々と抱き上げ、
「王子…レスだけですよ、俺に同情してくれるのは」
「うわあ…」
嫌がるレスファートにすりすりと頬をすり寄せる。
まあ確かにいじけようともいうものだろう、7軒目の宿を断られては。
「…まいったなあ。早く宿を見つけないと」
ユーノは呟き、疲れた顔のレスファートに目をやる。馬に乗り慣れている彼女と違って、レスファートはかろうじて馬に引っ掛かっている程度、いくらイルファが抱えるように乗せていても、子供の体にはかなりの疲労になる。
(私だって始めは困ったものなあ)
ユーノは苦笑しながら遠い日を思い出した。
ゼランにねだって馬に乗せてもらったのは、確か7歳の誕生日の頃だった。鐙に届かぬ足を伸び上がるようにして踏ん張り、国民の前をパレードしたのは良かったが、翌日は腰が痛くて体がばらばらになりそうなほどきしんで泣きそうだった。
それでも強がって馬の練習は止めなかったのは意地もあったが、温かな馬の体に深い安らぎを感じたからだったかもしれない。
(平和だったなあ、あの頃は)
もう10年になる。20歳まで3年、それから10年で30歳、それから10年で40歳。
夢物語のような遠い未来。
(20歳まで、か)
その頃まで生きるためにはまだまだ鍛練と幸運が必要だろう。とにかく、今、この旅を生き抜いて、レスファートを守り抜いて、アシャを守り抜いて……そして?
「…」
胸の裏を走る痛み。
そして、その先に何がある?
「……がたのもうか」
我に返ると、イルファの胸あたりに抱き上げられたレスファートが尋ねていた。
「そうだな。それなら、泊めてもらえそうだ」
アシャがくすくす笑いながら答える。
「俺のどこが悪い」
「お前が悪いんじゃないさ。恨むなら、お前に似ている山賊を恨むんだな」
取りなしになってないアシャの一言に、イルファはいよいよむくれてしまった。
「どうするって?」
ユーノの問いにアシャが苦笑した。
「ああ、レスが頼んでみようってことになった」
「うん、それならいいや」
頷いて、不服そうなイルファに確認する。
「その間、イルファは隠れてるんだろ?」
「どういう意味だ!」
イルファは真っ赤になって唇を曲げた。
「大体、成熟した男の魅力というものはだなあ、おい、聞いてるのか、ユーノ!」
「はいはい、聞いてるよ」
くすくす笑ったユーノは下から服を引っ張られて呼ばれた。いつの間にか降ろされていたレスファートに顔を向ける。
「何、レス?」
「ユーノならだいじょうぶだよ。いっしょにいこ」
「レス〜」
イルファが情けない顔になってレスファートを見る。
「それはあんまりといえばあんまりな」
「わかった。じゃ、イルファ、隠れててね」
「ユーノっ!」
また顔を赤くして怒鳴るイルファに、しいっ、また次のところも駄目になっちゃうよ、と唇に指を当てる。ううう、と唸ってイルファが背中を向けたのに、レスファートと頷きあって別の家に向かう。
「少し離れたところの方がいいな」
「さっきのを聞いてるかもしれないもんね」
城を出てからわずかしかたっていないが、レスファートの顔付きはずいぶんしっかりしてきている。その変化の激しさが旅のきつさを教えているようで、胸が痛んだ。
「ここは?」
「よさそうだ」
窓の木戸の透き間から温かそうな光が漏れてくる。人の話し声もしている。
生業としての宿屋ではなさそうだが、家もまあまあの大きさで納屋もあるから、最悪ならばそちらで一晩過ごさせてもらえればいい。
そっと近づいて扉を叩き、こんばんは、とユーノは声をかけた。続いてレスファートがこんばんは、ここを開けてください、と高い声で頼む。
話し声が止み、扉がきしんだ音をたててそろそろと開いた。外に立っているのがユーノとレスファートの2人と気づくと、男は訝しい顔をしながらも扉を大きく開いてくれた。
「どうしたんだね、こんな夜更けに」
「ラズーンの下に。旅の者です。小さな子供がいるので、一晩休ませて頂けないでしょうか?」
「ああ……こんな子を連れての旅か、それは大変だな」
男の視線がレスファートに落ちる。レスファートがまっすぐに男を見上げて、深くお辞儀した。
「どうか一ばん休ませてください」
「あらあら、そりゃ、無理だよ、こんな子が野宿だなんて」
奥から出てきた妻らしい女がレスファートを見て顔を和らげる。
「さあさ、入りなさい、夕飯は食べたの?」
レスファートに尋ねるのに、心得た少年は心配そうに見上げる。
「あの、兄もいるんです」
「え?」
「見かけはごついんですが、優しい兄が2人。呼んで来てもいいでしょうか?」
すかさずユーノが付け加えた。
「あ、ら、そう」
女は一瞬ためらったが、レスファートが不安そうに瞬きするのに、にっこりと笑い返した。
「いいよ、連れておいで」
「ありがとうございます! じゃあ、ボク、呼んできますね!」
レスファートを残し、離れた木陰で待っていたアシャとイルファを呼びに戻ると、一瞬2人が複雑な顔でユーノを振り返った。
「……何かあったの?」
「いや、何でもない、うまくいったか?」
アシャがさらりと流す。
「うん、連れておいでって。ごついけど、優しい兄だって紹介したから」
ユーノはちろりとイルファを見やった。
「大人しくしててね、イルファ。この前の時みたいに、呆れられるほどご飯のお代わりしないでよ?」
「人を食欲の権化みたいに言うな」
「この前、家人の飯まで欲しがったからだろう」
「……注意しよう」
アシャが苦笑しながら付け加え、イルファはむっつりとまた唇を曲げた。




