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「……このあたりにするか」
乾いた場所を見つけて振り返ると、言い争いを続けていたイルファがふいに話を打ち切った。
「そうか、飯だな!」
「やっぱりごはんばっかりだ……」
レスの呆れ声に、食事っていうのはこの世の中で一番大切なものだぞ、とイルファが言い聞かせる。苦笑しながらユーノも馬を降りて引いてくるが、ヒストの苛立ちがここの気配のせいもあると考えたのだろう、優しく話しかけてやっている。
その光景を見ていると、『盗賊王』の記憶で波立った気持ちがゆっくりおさまってくるのを感じた。
(たいした娘だ)
並の娘ならば気配を感じまい。美しい池と趣きある城に感嘆するだけだろう。鋭いだけの娘ならば逆に怯えて怖がる。ありもしない暗がりに魔物がいたと叫んでレスを恐怖に陥れただろう。
だが、ユーノは静かだ。
ここで何があったかを気付いていないはずがない、壁面の染みも血痕だと気付いているだろう。無闇に怯えないが、かといって警戒を怠るふうでもない。
(思った以上に胆力がある)
それはユーノが追い詰められていた状況の厳しさを思わせる。あれほど平和な国の皇宮の中で、ユーノがどれほどぎりぎりの状態をしのいでいたかを教える。
「こっちにおいで」
3頭の馬達を近くの木に繋ぎにいく後ろ姿、華奢な背中がぴんと伸びているが、手足の動きは滑らかだ。自分の不安が馬達に伝わらないように丁寧に気配りしているのがよくわかる。
ふいに白く輝くその体を背後から強く抱き締めたいような気分になってうろたえ、アシャは目を逸らせた。
「水を汲んでくる」
「おお……ところで、お前、ペクは嫌いだったな?」
イルファがからかい口調で声をかけてきて、じろりと相手を睨み付ける。
ペクは香菜の一種で香りは注意力を弱める。これから抽出したペクタスという薬には麻痺作用がある。ペクの状態で料理に入れ、旅の疲労回復によく使われる。
「そういう刺激物は体に合わない」
自分が浮ついていると見抜かれたようでむっとした。
「わかってるなら聞くな」
「すまん」
気にした様子もなく荷物を解き、火を起こして野営の準備を始めるイルファに、背中を向けて眉をしかめる。ここの空気に毒されたのはアシャの方かもしれない。いつになく刺々しい気分になっている。
注意力の低下はアシャにとって命取りだ。旅人の常としてではなく、特に彼の『体』にとっては、起こしてはならない『魔物』を起こす羽目になる。『盗賊王』が指摘したのもそれなら、アシャを故郷から去らせたのもそれだ。そしてアシャが一生誰とも繋がるまいと放浪することを決めたのもそれ故だ。
水を汲もうと泉を覗き込んだアシャは映った自分の姿を見つめた。灯火もないのに、水面の暗い鏡にアシャの姿はくっきりと浮かび上がっている。よく見るとそれは、体の周囲をゆらゆらと包む、陽炎のような淡い靄のせいだとわかる。
靄は霞み揺らぎながら、やがて寄り集まって形を作った。左右に伸びて羽ばたく猛禽類の翼のように、頭の周囲に濃く集まって光り輝く王冠のように、幾重にも体を覆って豪奢なマントのように、周囲へ飛び離れて全身を猛々しく研ぎすまされた剣で飾るように、腰から下に寄り集まって担ぎ上げる台座のように。やがて見つめる視線に気付いたように緩やかに解け、元通り薄く淡く体を包む。
誰も巻き込むわけにはいかない。
いつかのユーノの思いは、アシャにもまた近しいもので。
「…」
唇を噛み締めてそれら1つ1つを凝視していたアシャは、背後に動いた気配に足を滑らせ小石を泉に落とした。ぼちゃんと音がして水鏡が乱れると同時に、剣に手をかけ振り返る。
木々の隙間を翻るような黒い影が一瞬見えた気がしたが、すでに気配はない。刺客にしては素早すぎる動きだ。少し待ったが、辺りは静まり返って再び戻ってくる様子もない。
(過敏になりすぎているのか?)
溜め息をついて額の汗を拭い、器に水を汲んで夜営地に戻ると、ユーノの膝にもたれてレスファートが寝息をたてていた。
「アシャ」
にこりと笑って見上げてくるユーノに気持ちが緩む。
「眠ったのか?」
「疲れてたんだね」
「それでも頑張ったんだぞ」
イルファが急いでかばってくるのに苦笑して、わかっている、と腰を降ろした。
自分しか感じていないような気配だ、すぐにどうということはあるまい。
「そら」
「うむ」
イルファからスープを受け取り、アシャはゆっくり口へ運んだ。
スープの味はわからなかった。




