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「つうっ!」
必死にレスファートを抱き込み、その代わりしたたか全身を打ってユーノは顔をしかめた。
「いたぁ…」
もぞもぞと腕の中で頭を摩りながら眉を寄せたレスファートを覗き込む。
「大丈夫かい、レ……わ!」「ユーノっ!」
とりあえず怪我がないらしいと確かめてほっとしたとたん、飛びつかれて再び後ろに転がりそうになる。首に腕を巻き付けられ、ぎゅうっとしがみついてくる体を慌てて抱きとめる。
「来ちゃった、ぼく!」
どすん、といつの間にか背後に居てくれたアシャの脚にぶつかって止まり、ユーノはもう一度深い息をついた。
「レス…一体どうして……」
「父さまはぼくの誓いを認めてくれない! ふだん、あんなに国のきはんとなれっていってるのに! だから、ぼく、王子として来たの!」
悪戯っぽい笑みに瞳を輝かせるレスファートは、自分が来たことを喜んでくれるとばかり思っていたらしい。だが、ユーノもアシャも複雑な顔になっているのに気付いて顔をこわばらせ、そろそろと体を離した。ちょこんと地面に座って3人を交互に見上げながら、
「あの………ぼく…来ちゃ…いけなかったの……?」
「…王子さま」
「……ここまで来ては……1人で帰すことなんてできないなあ」
「…俺は嫌だぞ」
意味ありげなアシャの横目にぼそりとイルファが唸った。
「王子を連れ帰ったら、そのまま俺を置いて先へ進む気だろう」
微妙に引きつった顔でアシャが目を逸らせる。
「でも……連れてはいけない」
ぽつんと言ったユーノに、はっとしたレスファートが見返してくる。澄んだアクアマリンの瞳がみるみる涙に潤む。さすがに怯んで、ユーノは思わず周囲を見回した。
森はまもなく終わりになる。太陽は光を陰らせつつあり、辺りには夕闇の気配が忍び寄っている。どこからともなく煙るような靄まで広がり始めていた。
「だが……帰すこともできない、な」
アシャが諦めたような声で呟いた。
「でも」
ユーノは唇を噛む。
「危険なんだ、特別扱いもできない。怪物や人殺しや泥棒に会うかもしれないし、食べ物も満足に食べられないかもしれない」
気持ちを決めて振り返り、レスファートを正面から見据えた。
「怪我したり、病気になったり………死ぬかもしれないよ?」「でも!」
見張った瞳からついに涙を落としながら、レスファートはユーノを睨み上げた。
「ユーノは行くんでしょう?」
きらきらした目は意志をたたえている。
「え?」
「ユーノだって、あぶないんでしょう? ぼくが『誓い』をささげた人なのに!」
へたりこんでいた体を引き上げるように立ち上がって、拳を握りしめ、今度は跪くユーノを見下ろした。
「…ごめんなさい、来ちゃいけなかったんだ、でもっ」
強く激しく首を振る。
「ぼく、いやだ、ユーノがあぶない旅をしてるのに、とおくで1人でいるなんていや…っ!」
わああっ、と泣き喚きながら再びユーノに抱きついてくる。しがみつく体の熱さは遠い夜に抱き締めたセアラを思い出させた。
『姉さま、どうしたの、何があったの、怖いわ…っ!』
大丈夫だよ、セアラ。何があっても私が守る、だから安心してお休み。
震えながらも気丈に頷き、見上げてきた笑顔の胸迫る愛おしさ。
(連れていくわけにはいかない)
けれども戻すこともできない。
唇を噛みしめ、周囲をもう一度見回す。だが、それでも判断がつかずに、ユーノは思わずアシャを振り向いた。
「……俺はお前の付き人だからな」
わずかに苦笑したアシャが小さな声で付け加える。
「それに大事な相手の側に居たい、というのは……満更わからない気持ちでもない」
それはレアナのことなのか、それではやはりアシャは旅についてきたくなかったのか、と今度は別の痛みに胸が詰まった次の瞬間、
「よおし、決めたっ!」
イルファが怒鳴った。
「王子をお連れする!」
「おいおい」
勝手に決定してしまったイルファにアシャが呆れ顔になる。
「ですが、王子さま」
ユーノに抱きついているレスファートを引き剥がし、イルファは肩を握って覗き込んだ。
「王子さまではなくて、レスって子供として扱います。旅の仕事もしてもらう、食事も寝床も俺達と同じ、雨風の中でも歩きます。そういうことができますか?」
「…うんっ!」
レスファートが大きく頷く。
「さみしくてもつらくても、もう国に戻れないかもしれないんですよ、それでいいですね?」
イルファの無茶な言い草に、レスファートは一瞬息を呑んだ。が、
「……ユーノがいるなら」
レスファートはふいに厳しい顔になってユーノを見つめ、深く頭を下げた。
「あなたが、いるなら」
ぼくの、あるじよ。
声にならない声が動いた唇から空気に紛れる。
「…レス……」
薄い色の瞳に過った激しい光に、ふいに理解した。
たとえ幼くてもレスファートは長としての教育を受けている。その意志をどう使うべきかはレスファートの中に密かに強く植え付けられている。
もうこれ以上少年の望みを遮ることはできない。たとえ置いていこうとしても、あらゆる手段を使って、レスファートは自分の思いを遂げるだろう。
「では……」
立ち上がり、同じように頭を下げてユーノは小さく呟いた。
「私は、あなたの命を負う」
「いのちをおう……ってどういうこと?」
レスファートが不安げに見上げてくるのに、一転して笑いかける。
「一緒に行こう、ってことだよ」
「いいの…? いいんだね? ……うん、うん、ユーノっ!」
ほっとしたように子どもの顔に戻り、安心したようにしがみついてくるレスファートを抱きとめたユーノの耳に、ぼそりとアシャの声が響く。
「またとんでもないお荷物を」
「……不満?」
振り向くと、一瞬奇妙な顔になったアシャが軽く吐息をついて肩を竦めた。
「付き人に反論の余地はあるまい?」




