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ユーノを男だと偽ったのは、イルファのアシャへのこだわりと、娘1人でラズーンへ赴くなどという無謀な旅から注目を避けるためだった。
だが、レダト王は薄々勘付いているようだし、こうなってはイルファの方も十分疑っているから、ばれたところで別にアシャが困ることはない。2人とも口は固いし、ユーノがセレドの皇女であることを明かしても、この先の旅に支障はないだろう。
だが今はイルファをユーノに近付けたくない。元気で反撃ができる状態ならばまだしも、身動きできなくて眠っているようなユーノに他の男を。
「は…?」
「ん? どうした?」
「あ…いや……」
(他の、男?)
なんだ、それは。
アシャはのろのろとイルファの肩から手を降ろしてせわしく瞬きしながら口を押さえた。
(何を、考えてる?)
それじゃあ、まるで。
「大切な相手じゃからな」
「っ」
ぼそりとレダト王が呟いて一瞬心臓が止まったような気がした。慌てて相手を振り向くと、ゆっくり盃を傾けながら、
「主に忠誠を誓うのは付き人として当然、アシャにも仕えるようと思える主ができたということじゃろう」
「……まあ、確かに」
ばりばりとイルファが頭をかきながらため息をつく。
「あの歳であれだけの天賦の才があれば、さすがのアシャの評価も高くなるか」
「ましてや、長く遠い旅をするのじゃから、案じるのも無理なかろうよ」
レダト王がゆっくりと目を巡らせてアシャを見つめ、少し微笑む。
「無事に勤めを果たさせたいと……な? 違うか」
「……」
知っている。
さすがに聡明なレダト王、そう言えば、レクスファの王族は人の心を読めるのだったなと思い出し、アシャは苦笑した。
自分にはその力は弱いが、考えて考え抜けばおのずと見えるものもある、そう昔話していた王のことが蘇る。
レダト王はユーノがセレドの皇女であり、なぜか身分を偽ってラズーンへの旅に出たと気づいているのだ。それゆえアシャがその経験を買われて付き人として雇われた、そう思っている。
そして、その旅の厳しさも十分理解してくれているのだ。
「さて、夜も過ぎた。そろそろ休むことにしよう」
「うむ、久しぶりに楽しく呑んだ」
「長旅に豊かな憩いでした、ありがとうございます」
旅人の決まり文句を口にして立ち上がり、アシャはあくびをしながら部屋を出ていくイルファの後ろ姿を眺めながら、低い声で話し掛けた。
「王」
「心配するな。他言はせぬ」
レダト王もさりげなく声を低めて返してくる。
「何かしら事情があるのだろう。セレドの姫は確かにはねっかえりだが、聡く武に優れていると聞く。国境でたびたびの諍いにこちらの民を守ってくれたこともあると密かに聞き及んでいる。恩義を果たせてよかったと思うておる」
「………感謝いたします」
「……穏やかな旅であるとよいが」
それは果たせぬのであろうな、と続いたことばにアシャは無言で頭を下げ、部屋を出た。
すぐに寝室へ向かうつもりだったのだが、やはり気になってそっとユーノの部屋に忍び入る。
「レスファート…」
ベッドにはユーノと、その懐に潜り込むような格好でレクスファの王子が眠っている。2人とも安らかな寝息をたてていて、部屋には温かな空気が満ちている。
ベッドを回って、そうするとユーノの背中から見下ろす形でアシャは静かに小柄な体を凝視した。細い肩、薄くて狭い背中が僅かに丸まっている。腕に包帯を巻く時に気づいた傷は右腕に無数にあった。利き腕にあれほどの傷を負っているのなら、もう片方も同じだろう。それどころか、ひょっとすると。
「…………」
めくれていた掛け物を引き上げてやろうとして、ベッドの中に引きずり込まれていた剣を見つける。金属の塊は夜気に冷えてつらいだろうに、体のすぐ側に引き寄せているのがごく自然な体勢、アシャが殺気を放てばすぐに飛び起きてくるだろう。
それほどの反応を持ってしても、あれほど傷つくしか、なかった。
きり、と自分が無意識に奥歯を噛みしめたのに気づいてアシャははっとした。軽く頭を振って緊張を解き、剣を少しだけ遠ざけて、気配を殺しながら掛け物を引き上げてやる。
今夜はユーノはうなされていない、静かな寝息にほっとする。
目を閉じている顔は年相応に幼かった。疲れ切っているのか、ベッドに手を突いてもまだ目覚めない。
イルファには起こすなと言った。
なのに、俺は何をしている。
アシャはゆっくり体を屈めた。
ユーノの髪に静かに唇を当てた一瞬、甘い衝撃に息が詰まった。




