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「ところで、これからどこへ行く? 見たところ、気のむくままの旅ではなさそうだが」
「御明察です。私はあの」
娘、と言いかけて、咄嗟にアシャは頭を巡らせた。
「少年の付き人としてラズーンへ向かっているところです」
「ラズーンへ? それはまた難儀なことだ」
訝しい顔になるレダト王に、アシャはすらすらと嘘を並べる。
曰く、セレド近くで強盗にあい、世話になった金持ちの息子が気紛れでラズーンを目指すことになった。旅慣れたアシャが恩と引き換え、経験を買われて付き人として同行することになったのだ、と。
どうやらレクスファには使者が来ていない様子、無闇に話を広げて注目される必要もあるまいと判断したのだが、興味深そうに耳を傾けていた2人は、各々に深く頷いた。
「なるほど、この世界の成り立つところを見たいというのはあっぱれな心掛けだ」
「それで、あそこまで気迫があるのか、頷ける」
イルファは珍しく感心した。
「あの度胸はたいしたものだぞ。近衛兵を引き連れていたのに怯む様子もなく、なかなかどうして、子どもながら見事な振舞い、末はきっと名のある剣士となる。お前が少しは剣を見ているんだろう?」
「交えるというほども交えてないが」
少し肩を竦めてみせる。
「才能は豊かだと思う」
「よいことだ、いずれ守るべき娘と巡り会い、よき主人として世の荒波を相手にしなくてはならん。剣の才に恵まれていることは、その大本になるもの、神に愛されておるのだな」
レダト王が嬉しそうに笑うのに曖昧に笑み返しながら、アシャは微かに引っ掛かる。
(剣の才に恵まれていることは、神に愛されていること、か)
確かに少年であったなら、レダト王のことばももっともだろう。また、もっと穏やかな世であれば、女性であってもユーノの剣の才能は別な形で花開いたのかもしれない。
だが、ユーノはただ生き延びるためだけに、その才能と体を酷使してきている。伸ばされるべき能力としてではなく、すがる唯一の命綱として伸びてきた力は、時にあまりにも鋭く痛々しい。自分の死が、即、大切な身内の死に繋がることをいつも意識の隅におく緊張、いつ襲われるかわからない、殺るか殺られるかの危うい均衡を保つ日々。
なのに傷ついても誰にも知らせず手当てもできず、悲鳴も噛み殺したままユーノは闇の中に倒れている。
(冗談じゃない)
ぞくり、と寒いとも熱いとも言えぬ悪寒が背筋を上って、アシャは思わずユーノの休む部屋の方向を振り返った。
確かめてはきた、傷は悪化していなかった、熱もおさまりかけていた、別に他に憂慮すべき状態はなかった。休ませて眠らせておけば、華奢な割には体力のある体だ、すぐに回復してくるはずだ。
だが。
「名は何という」
「ユーノ、だ」
「ユーノ」
無意識に答えてしまい、はっとしてレダト王を見ると、相手は含みのある笑みを広げている。
「セレドのはねっかえりと言われる第ニ皇女が皇子であれば、あのような様子じゃろうな」
しらっと続けられて思わずどきりとする。
「女ぁ?」
イルファが小馬鹿にしたように手を振った。
「それはないそれはない。あんな女が居てたまるか。女などはな、べちゃべちゃして、すぐ泣いて、文句は言うし、何もしないくせに人をこき使うし、自分の傷には髪の毛一筋でも騒ぎ立てるのに、男の痛みなどは唾もひっかけないものだぞ? 細くてちっちゃくて………うーむ、確かにあいつはちっさくて細っこいが」
まるでアシャに説教するように言い募ったが、いささか酒が回ってきていたのか、ふむ、と唸ってどっこらせ、と体を起こした。
「よし、一度確かめてきて……なんだ、この手は?」
「あ、いや」
思わずイルファの肩に手を置いてしまった自分にアシャは戸惑う。
「あー、つまり、その、別に今確かめなくとも」
「あのな、俺も多少は人を見る目がある」
イルファがとろんとした目を向け直す。
「あいつが起きているときに、お前は女か、などと言って、大人しく答えるような奴か? へたすると、無礼者、手合わせして汚名を注ぐ、とやりかねんぞ?」
「そこまで男だと確信しているのなら、何も確かめなくてもいいだろう」
「む? それもそうか?」
「だが……気にはなるな?」
レダト王がにやにや笑いながら口を挟み、思わずアシャはぎょっとする。
「もし、あれが女だとしたら、イルファ、お前は何とする?」
「賭けですか、おお、それなら俺はあいつが女なら、春の祭りにドレスを着て舞台で踊ってやりましょうぞ」
「なるほど、それは面白い」
「レダト王!」
何を悪ふざけに乗っているんですか、とたしなめながら、アシャは立ち上がりかけたイルファの肩に置いた手に力を込めた。
「お前も妙なことを言い出すなよ、俺が信じられないのか?」
「だがしかし、お前も騙されているとか」
「まさか」
「とすると、お前が嘘をついているのか」
「なぜそうなる」
眉を寄せて唸ると、イルファがふふん、と顎を上げた。
「たとえば、あいつが女であってだな、お前が愛しいと思っているとか………おう、それはなおさら確かめておかなくてはならん」
「こ、こらっ」
愛しい。
一瞬枕元でユーノの額に手を当てていたのを見すかされたような気がして、アシャは固まった。再び体を起こして今にもユーノの部屋に向かおうとするようなイルファの肩を強く握る。
(やっぱりこういう話になるんじゃないか)
うんざりしながら溜め息まじりにイルファを説得にかかる。
「頼むからやめてくれ。せっかく休んでいる主をそんなことで叩き起こしたら、俺が後で叱られる」
「む? お前が叱られるのか?」
「付き人だと言っただろう?」
「……お前が頼むのか」
「頼む」
「………よかろう。そのうちにわかるだろうしな」
「……」
そのうちに、ってなんだ、それは。何をする気なんだ。
一瞬心の底に動いたひやりとした感情を認識してアシャはまた戸惑った。
(俺は何をきりきりしている……?)