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「『太陽の池』以来じゃな、アシャ」
「はっ」
「セレドに居たと聞いたが、レクスファは通らなかったではないか」
レダト王が鬚をねじりながらからかう。
アシャは薄笑みを浮かべて静かに頭を下げた。
「方向が逆でしたので」
「方向が逆……それは大儀であったろう、大陸をほとんど巡る旅じゃ」
生真面目な顔で頷いたレダト王は次の瞬間破顔一笑、アシャも顔を綻ばせる。
「他人行儀はよそう! イルファも来るがよい! 久しぶりの『三人衆』じゃ!」
上機嫌のレダト王に連れられ、アシャは王の私室へ招き入れられた。イルファものしのしと付き従う。
数々の諸候に違わず、レダト王もまたアシャに好感を抱いている。だが、それはいつものようにアシャの巧みなやり取りや優雅な物腰のせいだけではなく、このレクスファにはアシャもまた深い関わりがあったからだ。
「『太陽の池』作戦……懐かしいな」
見事な銀狼の毛皮を敷き詰めた王の部屋で、アシャはレダト王、イルファ同様ゆったりとクッションにもたれ腰を降ろした。手には銀の器に香り高い酒、含んで蘇った記憶に微笑む。
「こうしていると、あの頃のようじゃな」
レダト王が目を細めて見返してくる。
「俺が散々な目にあった、唯一の戦いだ」
ぼそりとイルファが呟いて、アシャは笑い声を噛み殺した。
レクスファは確かに今でこそ落ち着いているが、少し前には辺境に『盗賊王』と名乗る男がいて、レダト王を困らせていた。
頭が切れるなかなかの武人ではあったが、ひねくれねじけた心の持ち主で、ある一定の期間ごとに街や村を襲い、金品ではなく人の命をひたすら奪うことを楽しんだ。
困り果てたレダト王は数回に渡って討伐隊を送ったが、いずれもあっさり返り討ちとなり、ついに子飼いの部下であるイルファともども出陣して『盗賊王』を討とうと一度は兵を挙げたが、事の前に相手に発覚、備えを強められてしまった。
「あの時はもはやこれまで、そう思うておった」
しみじみとした声音でレダト王は振り返る。
「そういうお気持ちでなければ、私などのことばは聞いて頂けなかったでしょうな」
「うむ」
レダト王は『盗賊王』と戦って果てようと思っていた。イルファも同じ気持ちだと言う。
悲壮な覚悟で白亜城を後にしようとした2人を引き止めたのは、稀に見る『美姫』……。
「だと思ったんだ、俺は!」
吹き出しそうになったアシャに、イルファが赤くなって喚く。
レダト王の計画に力を貸したい、と『娘』は言った。
不可思議な魅力のある、金褐色の髪、心惑わす紫の瞳、白い布と赤いスカーフ、金の鎖で装った『娘』は、力試しをお見せしましょう、と、王の前で近衛兵10人を瞬く間に倒してみせた。
『娘』は新しい計画を王に授けた。それが『太陽の池』作戦だ。
『太陽の池』とはレクスファにある深い湖で、この湖には岸から一本の道のみが通じている中島があり、そこに『盗賊王』は城を構えていた。国境のわずかに内側、シェーランとレクスファがこの『太陽の池』で接しており、もともと要の砦として築かれたもの、守りに固く攻めるに難しい。
「度胸のいい娘だと思って、俺は本気で惚れたんだぞ」
イルファは剣の柄を示して見せた。
そのリボンは決戦前夜、イルファが誇りも何も投げ捨て『娘』に頼み込み、髪をまとめていたものをやっと一筋分け与えてもらったものだ。
「しかし、わしも長く生きておるが、あの時ほど驚いたことはない」
レダト王が口を挟む。
『太陽の池』作戦の最後の詰め、イルファとレダト王の援護のもとに、見張りの目を掠め、『娘』は単身中島へ忍び入った。
遅れてなるまいと必死に追いついたレダト王とイルファが見たのは、湖の岸での死闘ゆえか、水に濡れそぼち、凄まじいほど妖しい美しさを放つ『娘』が『盗賊王』の胴を薙ぎ払うところ、深く輝く紫の瞳は猛々しく煌めき、真一文字に結んだ唇は紅、身を翻すと黄金の髪から水滴が幾つもの星のように飛び散る。
が、なによりも、レダト王達を、ことさらイルファを打ちのめしたのは、血濡れた剣を下げたまま、倒れた『盗賊王』を冷然と見下ろした『娘』の姿だった。
さすがに攻撃をかわしきれなかったのか、切り裂かれてずり落ちた白布の下の『娘』の体は女体ではなく、若々しく張り詰めた青年そのものの健やかな肉体だった、ということだ。
『盗賊王』が事切れると、『娘』は茫然と竦む2人に気づき、乱れた髪をかきあげながらにっこり笑い…………その『娘』がアシャだったのだ。
「一瞬、ラズーンの神が我らを助けて下さったのかと思うた。あの神は性を持たぬというから」
レダト王のことばに、アシャは微かに笑みながら酒を含む。
(間違っているかというと……)
微妙なところだな、と胸の中で呟いたことばは、もちろん外には漏れていない。
「騙すなら、ずっと騙してほしかった」
酒をぐい、と煽ったイルファが深々と溜め息をついてぼやいた。
「あの戦いが済めば、お前を娶れるはずだった」
ちら、とレダト王とイルファが視線を交わしたのに、ほう、とアシャは唇の端をあげる。
「王もそのつもりだったんですね? 本人の承諾なしに? 私が男だとわからなければ、こいつに『手篭め』にされてたわけですか」
ほら、やっぱりまずいことになりかけていたんじゃないか、と皮肉ると、むっとしたようにイルファが唇を曲げた。
「だ、大体なあっ」
大声を張り上げて、ぐい、とアシャを指差す。
「お前が『女の格好』をしとるからいかんのだ! おまけに、どこの世界の男が、お前のように色っぽい!」
「あれは『女の格好』じゃない、ここへ来る前に居た『国の格好』だ」
アシャは冷ややかに突き放す。
「誤解したそっちが悪い」
レダト王が笑い出した。
「イルファ、よせ、お前の負けじゃ。軍師に勝てるわけがない」
「……違いない」
むすっとしていたイルファが苦笑する。
「俺のようにまっすぐな男はいつも哀しい目に合うのだな」
「好きに言ってろ、世界ではそれを単純と言うんだぞ」
アシャのことばにレダト王が吹き出し、またひとしきり笑い声が響き渡った。




