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見兼ねたようにメーナがくすぐったそうな顔で口を挟んだ。
「ここはいつも王子さまのお昼寝場所ですのよ。特にお気に入りのところで、今日も自分の寝床を断りもなしに使っている者に一言言いたいと」
「メーナ!」
「それは申し訳ない、もう大丈夫ですから、すぐに場所を」
ユーノは急いで身を捩ってベッドを滑りおりようとし、瞬間腕に走った激痛に口を噤んだ。
「っ!」
と、それと同時にレスファートがびくりと体を震わせ、みるみる青くなってユーノを振り返った。転がるように駆け寄ってきて無言でユーノの体を押さえ、そのまま小さく体を震わせて俯いて唇を噛む。何かに必死に耐えているようだ。
「あの…?」
「動……か……ないで…」
細い声で答えたレスファートは、はあはあ喘ぎながら額に汗を浮かべてユーノを見上げた。上気した顔に責めるような表情が浮かんでいる。
「むり、しないで…っ」
「レスファートさま」
起こったことを察したらしいメーナが、そっと近づいてレスファートの細い肩に手を置き、静かに言った。
「ゆっくり息をお吸いになって………そう。それから、この方から『離れて』下さい。この方はあなたよりずっとお強い方のようですから、それほど心を寄せておられてはもちませんよ」
レスファートは震えるように長く息を吸い、ゆっくり静かに息を吐いた。メーナの声に従って、大きな呼吸を何度か繰り返す。煌めいていたアクアマリンの瞳の熱っぽさが次第に冷えてくる。
「どう……されたのですか?」
「王子さまは、心象を受け取ることに長けておられるのです」
「受け取る…?」
メーナは微笑した。
「レクスファには時々人の心を読める者が生まれます。特に王族は能力が高く、力の差こそあれ、相手の心を感じ取ることができます」
レスファートを温かく見下ろして続ける。
「その中でも、王子さまは過敏なほど人の心の情景に通じやすい方です。この方は、相対する方の心そのままを感じられる……だから先程、あなたを『きれいな』方として感じ取られたなら、その通りなのでしょう。この方を欺けるものなど、この世界にありません」
「あの……よくわからないんですが、じゃあ、今レスファートさまは」
「……そうです。王子さまはあなたにとても魅せられてしまわれたので……無防備にも心を寄せておられたのですよ」
たしなめるような口調で応じてメーナは頷いた。
「そして、あなたの痛みもそのまま受けとめてしまわれたのでしょう」
「みせられて、しまわれた、って何?」
少し落ち着いたらしいレスファートがまだ少し息を弾ませながら無邪気に尋ねる。
くすりと笑ったメーナが、
「好きになる、ってことですよ。王子さまはこの方をお好きですね?」
「うん……あの、さっきはごめんなさい」
ぺこり、とレスファートが頭を下げる。
「ぼく、つい、忘れてしまいました。父さまにいつもいわれてるのに……近づきすぎるなって……でも」
「大丈夫ですよ、王子さま」
一所懸命に話すレスファートの可愛らしさが、ふとセアラの小さな時を思い出させた。大人びた口調でいつもユーノを案じて説教を繰り返す。
微笑みながら、ユーノは続けた。
「ほんの少し、驚いただけ」
「本当? ぼく、傷に痛くありませんでした?」
小首を傾げ、プラチナブロンドを頬に散らせて、レスファートは真面目な顔で尋ねてくる。
「大丈夫。私が強いのはおわかりになりますよね?」
「うん」
少年がじっとユーノの瞳を覗き込んできても、心を読まれるという不快感は起こらなかった。
「さて、王子さま、お昼寝の時間を過ぎてしまいますよ。ここはユーノさまがお休みですから、他のお部屋に参りましょう」
メーナに促されて、レスファートは1、2歩ベッドの側を離れたが、
「あ、あのっ」
「何ですか?」
「ぼく、ここにいちゃいけない? あの人のじゃましないから、もう少しここにいちゃいけない?」
瞳に必死の色を浮かべて、メーナを見上げてねだる。
「あらあら、ひどくお気に入りですこと。でも、お昼寝はしなくちゃいけません。それでなくても、今日は『失敗』したばかりでしょう?」
なだめるメーナに未練ありげにユーノを見て、レスファートは口籠った。
「でも…」
「じゃあ、やっぱり私が他の場所へ移りましょう。レスファートさまはここがお気に入りですし、私の方が後から来たんですからね」
ユーノが苦笑して、傷を庇いながら何とかベッドから抜け出そうとすると、
「だめ!」
一声レスファートが叫んでユーノに飛びついてきた。そのままメーナを振り返り、甘えた声で呼ぶ。
「メーナぁ…」
「その方にお聞きになるんですね」
メーナは心得たように肩を竦めてみせる。振り向いたレスファートが緊張した顔でユーノを見上げる。
「あの……ぼく……一緒にいてちゃいけませんか? ……ぼく……ここでお昼寝してちゃ……だめですか?」
離れたくない、その気持ちを示すように、レスファートは小さな指でぎゅっとユーノを服を掴む。
ユーノは温もりに微笑みながら顔を上げた。
「メーナさん…」
「はい?」
「もし、よろしければどうぞ、ここで。私は構いませんから」
「では、御用があればお申し付け下さいませ」
メーナは心得たように微笑み返し、付け加えた。
「でも、王子さま、近づきすぎてはいけませんよ? その方は旅の方ですし、『誓われる』にはまだお小さいのですから」
「うん! わかってる!」
メーナの姿が扉の向こうに消えてしまうと、レスファートは喜々として靴を脱ぎ捨て、ベッドの端から潜り込んだ。ごそごそっと動き、顔だけ出してユーノを見やる。
「ふふっ」
嬉しそうに笑う少年に思わず笑い返して、ユーノも再び夜具の中に身を横たえた。レスファートは大切な秘密を話すように目をきらきらさせた。
「メーナだけなんだよ、ぼくの自由にさせてくれるの」
「?」
「着替えなさいっていわないの」
「なるほど」
笑ったユーノをじっと見返していたレスファートがふと生真面目な顔になる。
「どうしましたか?」
「うん……ユーノって……男の人、だよね?」
「……」
どう答えたものかと口を噤むと、
「男の人なのに、母さまみたいだ」
「え?」
「母さま……もう……いないけど…」
淋しそうに瞬いた淡い瞳がすがるようにユーノを見つめる。
「もっと、そっちに行っていい?」
「近づいていいの?」
「……体だけだもん」
答える間を与えず、レスファートはユーノに擦り寄ってきた。
「やっぱり、母さまみたいだ……」
吐息をついて、記憶を確かめるようにレスファートが目を閉じる。
「……そんなに似てますか、レスファートさま」
「レス、って呼んだ、母さまは」
ぱちりと目を開けたレスファートはユーノのことばを待つように見上げている。
「……レス………って?」
「レスだけ」
「レス」
「ふふ」
満足そうに笑ったレスファートが目を閉じ、ユーノのすぐ側に横になった。それほど待つまでもなく、すやすやと寝息をたて始める。
「………あったかい…な…」
そういえば、ずっとずっとずっと昔、夢にうなされたセアラを抱いて寝たことがあった……。もう、ずっと昔のことだけど。
(あの時はまだ、何も知らない子どもだったなあ……)
ぼんやりと思い出しながら、ユーノもまた、久しぶりに静かな眠りに誘われていった。