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ラズーン 1  作者: segakiyui
1.二つの名の下に
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2

 セレド皇国は大陸の南、内陸部にある小国だ。

 穏やかな気候は穏やかな人民を育てるのか、安定した治世は200年に及び、現在のセレディスは4世、美しい妻ミアナ皇妃と3人の皇女とともに慕われ敬われている。

 皇女3人は上からレアナ19歳、ユーナ17歳、セアラ15歳の花の盛り、セレディス皇の目下の悩みは各々にいつどんな契りの相手を見つけてやるかということだという平和さ。

 だが、真実は、いつも2つの顔を持っている。


(ユーナ、ユーノ、ユーナ、ユーノ)

 レノを走らせ続けているユーノの頭の中には、2つの名前が入れ替わり立ち替わり閃いては消えていく。

 ユーナは女名、ユーノは男名。

 その間で不安定に揺れている自分。

 考えても仕方のないことだ、自分はユーノとして生きるしかないのだ。

 そう思いつつも、最近ときどき気持ちが揺れる。

(ずっとこのままでいくしかないのか)

 ずっと一人でいるしかないのか。

 諦めたはずの想いに揺さぶられて耐え切れず、今日のようにどこまでも、駆けられる限りの速度でどこか遠くへ駆け去って行ってしまいたくなる。

(そんなことは、無理なのにな)

 どこまで逃げても逃げ切れるわけはない。

 どれほど逃げても自分の気持ちからは逃げられない。

 そんなことはわかっているのだが。

 それに、ユーノが逃げたが最後。

(セレドはカザドの手に落ちる)

 果てしなく権力と血を求めるカザドの王、カザディノの手に。

 ユーノは首を一つ振って、速度を落とした。

 中央区、すり鉢状になったこの国の皇宮のある街の門が見えてきている。

 もっとも、門といっても灰色の石で作られたニ本の門柱のみだ。国境を示す区切りでしかない。兵が立つわけでもない。

 そんな警戒をしなくても大丈夫だと人々は信じている。

 そう。

 人々は信じ切っている。

 無意識に腕を撫で、気づいてユーノは苦笑した。

 灰色の柱の間を通り街に入り、いつものように皇宮へ続く道をまっすぐに駆け抜けようとしてレノを止める。

「?」

 人だかりなぞ滅多にないのに通りの片隅で民衆が集まっていた。

 少し手前で馬を降りる。

「レノ、少し待ってて」

 頷くように首を振った愛馬から離れて近寄ったが、いかんせんユーノの背では群衆の中まで覗き込めない。

 仕方なしにごそごそと人の間へ潜り込んでいくと、途中から気づいてくれた数人が道を開いてくれて、群衆の輪の中央に出た。

「一体、何の騒ぎ……!」

 尋ねかけて息を呑む。

 目の前に見なれない風体の男が一人。

(カザド?)

 咄嗟に腰の剣に手が滑りかけ、ようよう自制した。

 こんなところで仕掛けてくるわけはないし、大人しく群集が取り囲んでいるわけもなかろう。

 第一、目の前に居るのは異国風の服装はしているがひょろりとした優男、腰に剣も帯びてないばかりか、疲れ果てているのだろう、ぐたりと寝そべっている。

「どうした?」

「あ、ユーノ様!」

 男の側にしゃがみ込んでいた兵が慌てて立ち上がり頭を下げた。肩に皇宮の見回り役の徴がある。

 とすると、この行き倒れの件はもう皇宮に伝わっているらしい。

 周囲がユーノを見つけてざわめいたが、常日頃から町中をうろうろしている彼女に民衆は慣れっこだ。

「旅人らしいのですが、よろよろやってきていきなり倒れたらしいのです」

「ふうん」

 近寄って覗き込み、ユーノは思わず瞬きした。

 泥や埃、すり傷などでかなり汚れているが、この辺りでは見ないような黄金色の髪、男にしては白い肌は滑らかで、年の頃は22、3、いやもう少しいっているか。服装は粗末だが体格は悪くない。細身ながらも筋肉はしっかりしている。

 それだけなら人だかりもすぐに離れようが、問題はその女性と見まごうばかりの美貌だった。

 長い睫、通った鼻筋、聡明そうな額の下に今は閉じられているが大きな瞳。レアナを見慣れているセレドの者でさえ、ついつい覗き込み見愡れてしまうような艶やかさだ。

 今しもふっくらとした薄紅の唇が開いて小さな息を紡ぎ、

「は……」

 掠れた声を零した。

 喘ぐような甘い響きに、ごく、と見回り役の男が唾を呑み、固まってしまう。

 ユーノも胸を貫かれたような気がして動けなくなった。

 静まり返った群衆が見つめる中で、男の金の睫が微かに震えてゆっくり持ち上がっていく。

「ああ……」

 誰が漏らしたのか、周囲から切なげな声が上がる。

 まるで、黄金の宝石箱が開いたようだった。中におさめられていたのは極上の宝石ニ品、深い色の大きな紫水晶。曇りも汚れもなく、しかもゆらゆら妖しく揺れる光を宿し、覗き込む人間を吸い込み虜にするような輝きがある。

(こんな………瞳が………あるのか……)

 ぼんやりと思った。

 相手の瞳から目が離せない。揺らめく光を必死に追って、その全ての光を見届けたくなる。一度捉えたと思った視線はすぐに乱れるような光に紛れ、またそれを追い掛けてなお近寄ってしまう。瞬きする、その一瞬に睫の下に瞳が隠れるのがじれったくてならない。

「目を……閉じるな」

 思わず手を伸ばして男の頬に触れ、ユーノは命じた。

「………は?」

 温かな頬から柔らかな声が間隔を置いて戻ってくる。

 深くて甘い声だ。耳を侵し、体の奥まで滑り込まれるような気がして、ぞくりと皮膚が粟立った。

「もっと、見せて…」

 我を失ってねだってしまう。

「ユ、ユーノ、様?」

 強ばった声が耳に飛び込んで、ユーノはいきなり我に返った。

 自分が寝そべった相手の体に跨がり、ほとんどのしかかるような状態で、しかも相手の顔を両手で包むように覗き込んでいるのに気づく。

「っ!」

 恥ずかしさで全身に火がついた気がした。

(私は、何を)

 なのに体が固まってしまって動けない。相手の頬を包んだ手を放せない。

 訝しそうに相手が体をのろのろと起こす、その動きにそって相手の顔を固定したまま、ユーノはへたんと後ろに座り込む。

「あの、君……」

「……っ」

 男が頬に当てられたままのユーノの手に触れた。しなやかな指先が肌に触れると、またぞくりとした衝撃が走ってユーノは身を竦めた。

 自分の状態には気づいている、けれど、手が放せない。目も放せない。

 体が相手に向かって一気に開いていってしまうような感覚、その今まで感じたことのない感覚に、ユーノは混乱しうろたえた。

「す、すまない」

「?」

「お、おかしいと思うだろうけど、そのっ、手が、手が放せなくてっ」

 戸惑った顔に見つめられて声が上ずった。呼吸が乱れてまともに考えられない。

「あのっ、私だって、そのっ」

「……大丈夫だよ」

 ふわりと相手が笑った。花が咲くような笑顔のまま、ユーノの手に自分の手を重ねる。

「心配してくれたんだね?」

「こ、こらっ!」

 はっとしたらしい見回り役が声を荒げた。

「セレドの姫だぞっ! 無礼なまねをするなっ!」

「え?」

 男が不思議そうに瞬きした。

「姫?」

「っ」

 まじまじとユーノを見て、また瞬きし、男はゆっくりと首を傾げる。

「君………女?」

「あ……」

 ふいに、ユーノは自分がとん、と遠くに突き放された気がした。

 あれほどくっついて離れなかったように思えた手から力が抜ける。するりと滑り落ちた手をそのままに、なぜかぼやぼや歪んだ視界で、ぼんやりと相手を見た。

「う……ん」

 頷いて俯いて、その瞬間にユーノは、ぴんぴん跳ね返って手入れもしていない焦げ茶の肩までの髪や、埃まみれで汗臭いチュニックや、姉や妹といつも比較される自分の容貌を一気に思い出した。

 いつもどこでも女性と認識されることさえなかった、数々の記憶も。

(何を、期待した……?)

 苦笑を押し上げようとして、それがうまくいかなくて唇を噛む。いつものことだ、そう思ったのに、何だかひどく居た堪れなくなった。


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