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「……どういうつもりなのさ」
アシャが近づいていくと、ユーノは渋面でこちらを睨みつけた。
「どういうつもりも何も」
馬を寄せていきながら、しらっとした顔でアシャは応じた。
「実際に探していた、それだけだが」
「……余計なことして」
「余計なことをしたのはそっちだろう」
思わず溜め息をついた。
「ラズーンへの旅はそれほど気軽なものじゃない。刺客まで引き寄せて、どういうつもりだ」
「……それ……」
月光に光ったアシャの胸元のペンダントに気づいたのだろう、ユーノが驚いた顔で呟く。
「なんであなたが紋章を持って………姉さま……?」
「ラズーンへの旅に同行すると言ったら、渡された」
「え…っ」
はっとしたようにユーノが振り仰ぐ、その瞳に一瞬切ないほど強い願いが閃いたのを読み取り、アシャはことばを失った。
(俺を……望んで、いる?)
どきり、と胸が不規則に打つ。
「そ、そんなことっ」
すぐにユーノはきつい顔で目を逸らせた。馬の向きを変えて皇宮へ戻り出しながら、不愉快そうに唸る。
「そんなこと、勝手に決められちゃ困る。私は1人で旅をしたいんだ」
お前なんか要らない、そう言われた気がして、アシャは思わずむっとした。
「1人じゃ困る時もあるだろう」
「そんなものないっ」
「………いろいろあると思うぞ?」
(さっきの鞭がそう、なら)
人が悪いな、そう思いつつ、ユーノの様子を見守る。
「ないっ、たとえあったとしても、1人で大丈夫だ、ずっとひと…っ」
気丈に伸ばしていた背中がびくりと震えた。
「あ…ぅ…」
(効いてきたか)
「な…に……っ」
「ほら、な」
揺らめいて今にもレノから落ちそうになったユーノを、とっさに馬を寄せて支えた。かたかたと小刻みに体を震わせながら、ユーノが白い顔で見上げてくる。抱えた左腕がだらりと落ち、剣を片付けていたからよかったものの、体を抱き締めるように抱えた右手も、いや、今はもう全身震えている。
「鞭に刺がなかったか? たぶん痺れ薬が塗ってあったんだ」
苦笑しながら説明してやり、アシャはふと気づいた。
「あいつらは…………そうか、お前を拉致するつもりだったのか」
「くっ……」
悔しそうにユーノが唇を噛んだ。何度か話そうと試みて震える口に難渋し、ようやく掠れた声を絞り出す。
「わた…しを……使って……姉さまを……落とそう…って……こと…だろ……生きて……さえいれ……ば……いいから…っ」
「おいおい」
生きてさえいればとは穏やかじゃないぞ、そう突っ込もうとして、それが冗談や考え過ぎでないことに思い当たった。
(生きてさえいれば、だと?)
ユーノが意に添わないことを、素直に了承するわけはない、それこそ意志を失うほど痛めつけるか傷つけるかしない限り。
(この上、なおこいつを傷つける?)
今腕で支えている、震えるこの体を?
その思いが引き起こしたひやりとするような怒りに、アシャはぞっとした。
(俺はなぜ、こんなに怒ってる……?)
制御は充分できているはずなのに、なぜこんなことで乱されてしまう?
不安につい強く引き寄せたせいか、ユーノが呻いて顔を歪める。
「きつ…い」
「あ、ああ」
自分でも戸惑いながら、ことばを継ぐ。
「だが、それじゃレノでは帰れないだろう。こちらへ来い」
「いい……放って……おいて……くれれば……少しずつ……回復する……」
「馬鹿を言うな」
自分の声が尖ったのがわかった。
「どこの世界に動けなくなった主人を置いて戻る付き人がいる」
「あなたは……も……付き人…じゃない…」
掠れた声でユーノが呟いて胸が凍った。
「何を……言う」
反論する自分の声が弱々しくてまた驚く。何が起こっているのかわからないまま、ユーノを思いきり抱きしめたくなるのを、アシャは必死に自制する。
「……付き人は……もう……いらない……姉さまに……ついてて……」
「…レアナ様には許可を頂いた」
「私は……許可…してない…」
首を振って拒むユーノに苛立ちが募った。がたがた体を震わせながら強がるユーノを、ぐい、と力まかせに引き上げた。
「う、あっ」
思っていたよりうんと華奢で軽い体がやすやすと腕の中におさまる。しっかり抱き込み、手綱を握りしめて囲い込み、吐息する。
「……レアナ様に約束した、必ずお前を連れ帰ると」
こう言うしかないだろうと思って唸ると、びくりとユーノが震えた。
「姉……さまに……」
「だから、俺はお前に同行するし、お前と一緒に旅をする。そして、旅が済めば、お前を無事にセレドに連れ帰る」
「姉さまの……ために……」
「そうだ、レアナ様のために」
「………そ、う……か」
くす、と奇妙な笑い声が響いて、アシャは腕の中を覗き込んだ。
「何だ?」
「……いや……わかった……同行を……許可する…」
これで何とか一緒に居られる。
安堵したアシャの耳に違和感のある微かな笑い声が続く。
「ユーノ……?」
痺れ薬だけではなくて、別の薬も入っていたのか、と訝っていると、ふわりとこちらを見上げた黒い瞳が月光を跳ねた。
(深い泉)
胸を抉られたような衝撃に思わず見愡れた。細められた瞳が潤んでいる。それでも顔は白いまま微笑み、やがてゆっくりユーノは目を閉じた。
「……あ…しゃ」
「うん?」
柔らかな幼い声で呼ばれて胸が詰まる。唇が欲しいとふいに思う。
「………わがまま……を言っても……いいか」
「…何だ」
「……少し……眠りたい……皇宮についたら……起こして……くれ」
「……ああ」
ユーノがそっと胸に顔を寄せてくる。吐息が当たるのに、心臓が不安定に波打っていくのがわかる。鼓動で起こしてしまわないか、そんなことを心配して息を詰める。
(俺は一体……何を)
見下ろすと、そのまま一気に抱き締めてしまいそうになる。まっすぐに前を凝視し続け、やがてユーノがくぅ、と静かな寝息を紡ぎ出してから、アシャはようやく相手を覗き込んだ。
さっきまでの緊張がかけらもない寝顔にほっとする。
(俺の腕の中で、眠ってる)
あれほど周囲にぴりぴりしていたユーノが。安らいで、全てを委ねて、何も拒まずに。
(よかった)
吐息をついた後は止まらなかった。アシャは強くユーノを抱き締め目を伏せた。




