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付いて行こう。
アシャはそう思い定めた。
(とにかく、付き人である以上、主に許可はもらわねばな)
皇宮が寝静まる前に。
足を速めてユーノの居室に向かう。
イシュタが来てから数日、碌にユーノと話せなかった。姿を見かけて話し掛けようとするたびにするりと躱されてしまうか、レアナやセアラ、時に不安がったミアナ皇妃などに遮られてしまう。
アシャはアシャなりに旅の装備をあれこれ考えているが、はたと気づけばそれこそユーノに同行する旨さえきちんと話していない。我ながら思わぬところで浮き足立っている。
呆れながら歩いていると、背後から軽い足音が追い掛けてきた。
「アシャ」
「……レアナ様」
夜闇に響いた声に緊張を緩めて振り返る。急いで追ってきたのか、栗色の髪を肩に乱したレアナはほっとした顔でいそいそと近寄ってきた。
「ユーノのところへ行くのでしょう?」
「同行の許可をまだ頂いておりませんので」
苦笑いしながら応じると、レアナは困ったように眉を潜めた。
「きっと本心ではないのです」
弁解するように煌めく瞳をアシャに向ける。
「1人で行きたいなんて。あなたが一緒に行って下さったら、きっと心強いはずですわ」
「さて、私がどれほどお役に立ちますか」
微笑んで応じながら、アシャは美しく澄んだ瞳を見つめ返した。
幸福な環境で育てられた、生まれついての姫君。
人を信じて行動することに一瞬のためらいもなく、これほど優しく麗しい女性はそうそういるものではない。その声から姿から瞳から、無限の信頼が溢れ落ちてきて、自分が考えていた以上にたいした一廉の人物であるかのように思えてくる。
男なら誰でもきっと、当然のように、この女性のために我が身を捧げようと思うだろう。
「全力を尽くします、レアナ様の御恩に報いるためにも。しかし、ユーノ様は立派な剣の腕もお持ちだし、聡明でいらっしゃる。私の方が足手纏いになるやもしれません」
「では、どうか、これを」
レアナはじっとアシャのことばを聞いていたが、透き通るような華奢な白い腕を上げ、首にかけていたペンダントを外した。
「あなた方を守ってくれますように」
セレドの紋章を象った古めかしいが立派な造りの銀細工、一目見て由緒あるものと気づいた。訝しく眉をしかめると、ペンダントを包んだ手をこちらの胸に押し付けるようにしてレアナが囁いた。
「確かに大切なものです。けれども、ユーノなくしてセレドは国を保てない、何があっても戻って来なくてはならないのですよ、とユーノに伝えて欲しいのです………あなたからならきっと受け取ってくれるでしょう」
「しかし」
「ユーノは」
小さく寂しそうにレアナが微笑む。
「私からでは受け取ってくれません。それは姉さまのものだと拒みました」
ラズーン支配下には掟がある。
『国の相続は第1子をもって為す。第2子がある場合は、第2子は第1子の相続に異義を唱えることができる。その決定はラズーンの代行者である視察官によって判定される』
大抵は国を継ぐ証となるものを第2子が持ち、それに由って第1子の世継ぎと対等とするもの、国が継承される時は、その証を第1子に渡して異論なきことを示すものだ。第1子であるのに証となるものを持たなければ、第2子に不満があるとして、後に継承権を巡る争いが起きると予測され、視察官が配備される。
だが、ユーノはその証であるはずの紋章を受け取らなかったらしい。
それは、ことばと裏腹に、ユーノが二度と帰れないかもしれないという覚悟を決めていることを思わせる。
「もし万が一のことがあれば、セアラに託してほしいとまで言うのです……でも」
レアナは微かに涙ぐんだ。
「私にあの子の命はないものと思えなどとはあんまりです」
母よりもユーノの身を案じているらしいレアナの悲しみは、アシャの胸を強く打った。
「わかりました」
そっとレアナの手を包み込み、胸に抱く。涙に潤んだ瞳を上げるレアナに優しく囁き返す。
「私が必ずユーノ様をお守りし、無事にセレドまで戻って参ります。もし万が一ユーノ様が受け取って下さらなくても、私がこのペンダントにかけて必ず御無事を誓います」
「よろしく頼みます、アシャ」
「確かに」
頷くレアナの手を離し、深く頭を下げたそのとたん、抑えた調子だが鋭い口笛が響いた。
「レーノッ!」
ユーノの声が闇を駆ける。庭園の一画から飛び出した馬は小柄な人影を乗せ、アシャ達の前を過ぎ、あっという間に皇宮の外へ走り出していく。
「あれは……ユーノ……?」
不安げなレアナの横顔にした舌打ちした。
(今頃、またどこへ行く気だ)
「失礼いたしますっ!」
挨拶もそこそこにペンダントを首に掛け、アシャも慌ただしく馬を引き出し追い掛ける。