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(1人で?)
意外すぎることばを聞いて、アシャは我を失っていた。
(そんな、無茶な)
たとえ平和な時代であろうと、ラズーンへの旅はこんな小国のお姫さまがおいそれと始められるものではない。長く複雑な道を辿り、途中で海も渡る。旅慣れたものでも辿り付けずに引き返すこともある。ましてや17歳の少女1人が果たせるものではない。
(しかも)
この時期、この状況。
想像できる障害物が軽く100は思いつく。
その途端、自分が皮膚を粟立てたのに戸惑ってアシャは瞬いた。
(なぜだ?)
付いて来い、と命じられると思っていた。またラズーンに逆戻りか、どうも結局は逃れることはできないものなのだな、そう胸の底で苦笑していた。
それでも嫌だと拒むどころか、むしろそれもまた面白いかと思ってしまった。
きっとユーノに興味が湧いたからだ。
どうしてこんな皇族がいるのだ、なぜこんなふうに育ってしまったのだ。『皇族』である以上、あり得ないはずだ、『ラズーン』の構築からするならば。
(何が狂った? どこで狂った?)
それはひょっとすると、『世界』の狂いに関係しているのか。
ならばそれは『アシャ』こそ見届ける義務があるのではないか。
そんなこんなの思惑をあっさり切られて呆気に取られ、思った以上に衝撃を受けてしまい、アシャは驚いている。
(俺はユーノに付いていきたかった、のか?)
俺が、誰かの側にいたい、と思った?
まさか。
「アシャ」
「あ、はい」
ミアナ皇妃から呼ばれてはっとする。
「ユーノとあなたは合わなかったのですか?」
「え…?」
「私達、あなたはサルト以上にユーノと親しいと思っていたのですが、そうではなかったのですか?」
「いえ………そのようには……感じなかったのですが」
(うまくいっていなかった? ユーノと俺が?)
へまはしていないはずだと思ったが、ためらうこともなく向けられた背中を思い返して不安になった。
「姉さま、意外とあなたが苦手だったのかしら」
セアラがぽつりと吐く。
「やっぱり女の自分より綺麗な男って目障りよね」
目障り。
「…」
「ユーノが1人でいいと言っておるのだ、それでいいではないか」
セレディス4世が不思議そうに遮った。
「ゼランの話でもユーノの腕はかなりのもの、それゆえの自信が1人旅を決心させたのであろう。誇らしいことだ」
(そう、だろうか)
アシャはユーノが立ち去った方向を見遣った。
今まで感じたことのない焦りだ。置き去られたような気がする。『置き去られた』などと感じる自分も信じられない。
(俺は何を引っ掛かっている?)
ユーノは自分の剣の腕を過信して無謀な1人旅を始めようとしている世間知らずな少女、それだけのことだ。アシャが付き添わなくてはならない義務などない。主に1人で行くと言われた以上、逆らって付きまとうわけにもいかないはずだ。引き続いて皇宮の付き人として留まるか、再び諸国への旅に出るかすればいいだけのことだ。
だが。
小さな微笑が脳裏を過った。
皇族を使者にと聞いた瞬間、ユーノは縋るように父母を見て、それから優しく小さく笑った。
全てを諦めた顔で。どこにも行き場がない顔で。
始めから、自分が行くしかない、そうわかっていた顔で。
(わかっている)
アシャは無意識に拳を握った。
(ごまかすな)
あの顔を、よく知っている。
暗闇の草原が視界を覆う。冷えた空気も思い出せる。見上げた空に星はなかった。
真っ暗な世界。
消える笑顔に瞬きして、周囲を見回す。
不安げにラズーンの意図や使者の振舞いや今後の暮らしについて話す皇族達。けれど、今1人で部屋で旅の準備を始めているだろうユーノの元へ、誰も出向かない、手伝おうとさえしない。
おそらくは無意識に、旅支度を手伝うことで自分達がユーノを生贄に差し出したことを見ないがために。
そして付き人であるアシャさえも動かない、いや、動けない。
今すぐに、ユーノを追って確かめたいのに。
なぜ、1人で行こうとする?
なぜ、俺を連れて行こうとしない?
助けがいるはずだ、絶対。
助けが欲しいはずだ、絶対。
唇を噛み締め、ユーノの居室を振り返る。
それはアシャにとっては初めての、胸を掻きむしられるような苛立ちだった。




