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「お父さま…」
レアナが心配そうに声をかけた。
「どうしてあんな条件を受け入れたの、父さま」
遠慮のない物言いはセアラ独特、厳しい顔で詰問を続けた。
「誰がラズーンへ行くと言うの」
「あの方がおっしゃったことは本当だと御考えでしょうか」
ミアナ皇妃が静かに問うた。
「動乱の期だとおっしゃっておられましたが…」
「私にはそうは思えません」
レアナが母親のことばを引き取るのに、一瞬ユーノの胸がちくりとした。
「セレドはこれほど平和ですのに。他の諸国はどうして争いなど起こそうとしているのでしょう? どうして私達のように近隣と外交を続け、共に生きていけないのでしょう」
(私達の、ように)
そうだ、レアナは知らない、話し合うことさえなく襲いかかってくる力の存在を。
「わしにもわからぬ。そのような期が来ているなど考えられぬ。ゼランからもそのようなことは聞かぬしな」
訝しく眉をしかめる父親にユーノは目を伏せた。
「そういうことを言ってても仕方ないでしょう、誰かが行かなくちゃいけないのよ?」
セアラが苛立った声で割って入る。
「お父さまはセレドの皇、お母さまにはお父さまを支えて頂く役目がおあり……」
レアナが低い声で呟いて、きっと目を上げた。背筋を伸ばしてまっすぐにセレディス4世を見る。
「私が行ってはいけませんか?」
「レアナ!」
とんでもない、と皇妃が声を上げた。
「なぜですか? 第一皇女ですもの、遣いとしては適役ではありませんか」
「冗談じゃない」
ユーノはぼそりと唸る。
「動乱の期だって言ってただろ、姉さまには無理だよ」
「そうよ、私ならまだしも!」
「セアラ」
口を挟んだ末娘にセレディス4世が重々しく遮る。
「そなたは幼すぎる」
「でも、だって、それなら…」
言いかけたセアラがちらりと動いた母親の視線を追う。
ふいと静まった輪の中で自分に集まった視線に、ユーノは微かに笑った。
(やっぱり、か)
見えない結論を口にする。
「つまり、私が行く、ということだ」
「ユーノ!」「姉さま!」
すぐに納得できない声を上げたのはレアナとセアラの2人のみだ。
「…しかし…」
「…でも……」
あやふやにことばを継いだ両親にユーノは肩を竦めてみせる。見返したユーノにミアナ皇妃がはっとしたように視線を逸らせた。
「大丈夫。一度国を出てみたかったんだ。冒険をしてみたかった。けど、こんなことでもなけりゃ、母さまも父さまも出しては下さらないよね?」
「ああ、もちろん!」「ええ、そうですとも!」
ことさらはっきりした強い口調、ユーノが自分で使者に立つと言ってくれないかと思っていたのが透けるが、きっとわかっていないのだろう。
相手の重荷をなお減らしたくて、ユーノは楽しそうに笑ってみせる。
「私の腕はゼランが保証してくれる。すぐ支度にかかります」
「うむ………供はどうする?」
セレディス4世が頷いて続けた。
「アシャを連れていくのか?」
一瞬。
ユーノは迷った。
旅の空で2人きり。レアナから離れて、いろんな場所をアシャと2人で巡れる。
がしかし、視線を走らせたアシャが複雑な表情でレアナを見つめているのに気づいたとたん、唇は勝手にことばを紡いだ。
「……ううん、1人で行く」
はっとしたようにアシャが振り向く。驚きに見開かれた紫の瞳ににこり、と笑った。
「大丈夫だよ、私は」
何か言いたげに開こうとしたアシャの口を封じるように目を伏せて繰り返す。
「1人の方がいい」
そうだ、それでいい。それならどこで野垂れ死んでも、後悔なぞしない。
アシャにセレドを守ってもらえばいい。いつぞやの剣の腕は本物だ。
何より。
(何より……ここにはもう私は要らない)
庭園での美しい光景が過った。
「危ないわ、姉さま」
「この平和な時代に危険なんかない。使者殿は少し脅かしただけだ」
セアラの声に言い切って顔を上げる。
「早く発った方がいいでしょう、父さま。へたに遅れてラズーンに忠誠を疑われるのは悔しいや。準備にかかって……数日中にはセレドを出ます」
「うむ………では、頼むぞ、ユーノ」
「はい、父さま」
ユーノは呆然とした表情のアシャにくるりと背中を向けた。




