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「開いた…わね…」
『しゃべり鳥』(ライノ)はすぐに扉の外へ出ようと体を起こした。が、何かに気づいたように唐突に動きを止める。
「どうした? 出ないのか?」
これでは狭すぎるとでも?
アシャは静かに再び片手を上げる。
「ひ…」
美女が小さな悲鳴を上げて背後へ後じさった。澄んだ瞳をこれ以上は無理なほど見開いて、なおも動く扉にどんどん体を退いていく。
「いや…」
微かな震えが白い指先を走った。腕が見る見る粟立つ。色を失った唇が細かく震え出し、懇願と媚に紅潮していた頬も削いだように固まっていく。
「いや……視察官…」
掠れた声が零れ落ちた。
「閉じて………」
「ほぅ?」
アシャは目を細めた。
「開いてほしいと言わなかったか?」
「いやよ……閉じて…」
美女は全身震え出している。額から伝った汗が醜い跡を残しながら、だらだらと『しゃべり鳥』(ライノ)の顔を流れ落ちていく。
「閉じて……閉じて…っ!」
「何を馬鹿なことを!」
「扉が開いたのに!」
「いやよいやよいやっ!」
周囲の『しゃべり鳥』(ライノ)が憤った声を上げて、鳥籠をそれぞれに揺さぶった。甲高い声がきいきいと響き渡り、アシャは苦笑しながら周囲を見渡す。興奮に歪んだ顔、焦って叫ぶ唇、血走って睨みつける瞳。ついさきほどまで艶笑に囲まれ、この世の楽園とも思われたが、今はもうがなりたてる青猿の群れに飛び込んだようだ。
「よく聞こえなかったな」
アシャはにこやかに微笑しながら、なおも上げた手に力を集めた。扉がぎしぎしと音をたてなおも開く。
「もっと開いて、そう言ったのか?」
鳥籠が激しく揺れる。今にも粉々に砕けそうだ。
「いやあああっっ!」
中の『しゃべり鳥』(ライノ)が身悶えて叫んだ。
「閉じて閉じて閉じて,いやっ、怖い怖い怖いっっ!」
怯えて引き攣った声はしわがれ、怨嗟を含んで猛々しい。
「閉じてええええっっ!」
「……暴れると壊れるぞ」
アシャは冷ややかに吐き捨てた。大きく震えた相手が漏れ出す悲鳴を必死に押さえようとする。怯え切った瞳が恨みを込めて見返すのに微笑みを返した。
「視察官!」
「あたしの扉を開けて!」
「こっちよあたし!」
「その子なんかほっといてあたしを!」
周囲がはっとしたように叫び出すのに首を振る。
「無理だな」
『しゃべり鳥』(ライノ)は1人では鳥籠の外へ出られない。受け入れてくれ引っ張り出してくれる誰かがいないと、自分の居場所である鳥籠から離れることなど不可能なのだ。
そうやって鳥籠の中の安寧に慣れ、外を羨み出られない自分を哀れみ、やがて身動きできなくなって年老いて、鳥籠の中で朽ちていく。
そうした仲間を『しゃべり鳥』(ライノ)達はすぐに見捨てる。動けなくなり騒げなくなると、容赦なく高い木の上に吊るし上げて初めから居なかったように振る舞い、やがて年月とともに腐った鳥籠が緩んだ蔓とともに地上に落ちて土に返る。
『しゃべり鳥』(ライノ)の一生はそういうものだ。
だがそういう『しゃべり鳥』(ライノ)がいつどこで生まれ、どうして鳥籠の中に棲まうようになるのか、おそらく誰も知らないだろう、ましてやそれが、演出されたものかもしれないとは思いもしないことだろう。
アシャは『しゃべり鳥』(ライノ)に見える世界の惨さを噛みしめながら、優しく空中を撫でて鳥籠の扉を閉じた。
そのとたん。
「ひどいわ、視察官!」
今の今まで鳥籠の奥で震えながら口を押さえて縮こまっていた美女が、まるでそんなことなどなかったように激しい勢いで閉じた扉に捕まって顔を寄せてきた。
「何てことをするの! 今出ようとしていたのよ!」
「そうよ!」
「そうよその子は出ようとしていたの!」
周囲も同調したように叫ぶ。
「今出るところだったのに! なぜ扉を閉めたの!」
美女は口を極めてののしり始める。
「これみよがしに開いておいて、出ようとした目の前で閉じるなんて!」
なんてひどいことができるの、視察官!
目に涙を浮かべて詰る『しゃべり鳥』(ライノ)は今しがたの記憶をすっかり失ったようにも見えた。
「酷いことをするのね視察官!」
「力があるからって、心を弄んでいいってことじゃないわ!」
「嫉妬したのね、視察官!」
「あたし達があまりに美しいから、他の男に盗られるかもしれないから、閉じ込めておきたくなったんでしょう!」
「それでもひどい!」
「ひどいわ視察官!」
「……」
アシャはゆっくり周囲を見回した。
これで本気なのだ。
本気で『しゃべり鳥』(ライノ)達は自分達が心底願って今にも叶えようとしていた望みを、アシャが潰したと考えているのだ。自分達が怯えて選ばなかった道を、アシャが遮ったから塞がれたと思っている。そしてなお、それは自分達のせいではなく、アシャの中にあるつまらない独占欲のせいだと、つまりはアシャの悪意だと信じている。
「残酷な視察官!」
「それほどの思いを向けられてしまうかわいそうで綺麗なあたし達!」
「きれいでしょ!」
「きれいすぎるって罪ね!」
「きれいでしょ!」
世界を自分のために歪めてしまう。
『しゃべり鳥』(ライノ)は見かけとは裏腹に、太古生物の、そしてそれを生み出した遥か彼方の人々の、まさにその本質そのものだ。
アシャは切ないような苦々しいような思いで『しゃべり鳥』(ライノ)を眺めていた。
(俺も同じだ)
世界のありようを認めず、自分の望むものだけを信じたくて、ラズーンを離れ、こうして1人辺境にまぎれようとしたアシャ自身と。
風に揺れる鳥籠の1つに虚ろな目をして、出してくれ出してくれと叫びつつ鳥籠を揺らす自分が見えた気がして、胸の底が冷えていく。
(寒い)
命の熱が奪われたようだ。力を使いすぎたせいではなくて、自分の本質を突きつけられて、胸が寒くて心が凍える。
(熱が、欲しい)
唇を噛んで騒ぎ続ける『しゃべり鳥』(ライノ)達に背中を向けると、
「知らないわよ!」
険しい声が引き止めた。
「あの子がどうなっても知らないから! あなたのせいよ!」
背中から槍で貫かれたような気がした。
脳裏を横切る花祭の光景。鮮血に塗れたユーノを腕に殺意に翻弄されかけた。
「あなたのせいだわ、視察官!」
「あなたがあの子を窮地に追いやるのよ!」
振り返る自分の顔から表情がなくなっているのはわかっている。
「自分勝手に人を哀れむ視察官!」
「あなた自身を哀れめばいい!」
「あの子を助けられないあなたを!」
「ざまあみろ!」
「あははは、ざまあみろ!」
踵を返してアシャは馬まで戻った。
「……行くぞ、ヒスト」
(そんなことは)
「…わかってるさ」
食いしばった口の間から苦い呻きが零れた。




