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「レス、あそこだってよ!」
「ああ、なんだ、あれだったんだ!」
天幕を飛び出しながら、イルファとレスファートが声高に言い合う。
「急がなくちゃなくなるんじゃないか」
「ぼくも行く! だってユーノを早く助けなくちゃ!」
「………うーむ」
天幕の影でアシャは密かに片付けを始めながらひやひやする。
白々しいほどのやりとり、あれで本当にうまくライノが乗ってくれるのだろうかと心配になったが、突然の動きに誘われて、ライノは慌てて馬に飛び乗って駆け出していく2人を追っていく。
「……よし…」
白い薄衣が木立の彼方へゆっくりと消えていくのを見て取って、アシャは急いで天幕をたたんだ。馬にまとめ、跡形もなく周囲を始末する。
視察官に詳しい者が居る場所で長居をするつもりはさらさらなかった。どんなことからアシャの正体が明らかになるかわからない。ましてや、相手は太古生物、遠く『運命』に繋がる存在でもあるだけに、万が一あの男が出てくると話がもっとややこしくなる。
「……」
脳裏を過ったその猛々しい風貌に、アシャは懐かしさと淋しさが胸に広がっていくのを感じた。
なぜ袂を分かったのか、それはもうどうにもならないものではあるのだろうし、おそらく二度と相容れることはないだろうが、それでも一度は近しい存在だったのだ。
「ヒスト!」
呼ぶと栗毛の馬は渋々と言った様子で近づいてきた。主人不在の今は仕方なしに従ってやる、そういう気配でアシャの側にやってくる。
「ユーノを迎えにいくぞ」
「っ、ふ、うっ」
当然だろう、そう言いたげな鼻息に苦笑し、アシャは馬に跨がり、ヒストがついてきているのを確認しつつ、木立の密集する奥へと向かう。
(馬鹿なことを考えていなければいいが)
レスファートをヒストに括って戻したやり方は、ユーノが旅に同行することを諦めた可能性を示す。あれほどセレドの安泰と家族の幸福を願っているのだ、その全てを諦めるなどと言うことはあり得ない。
(まさか)
ひやりとしたものが背中を滑り落ちた。
もしユーノがラズーンへの旅を諦めるとしたら、どういう理由があるだろう。自分が脱出不可能と考えた、それならまだいい、そんな発想はこれからすぐに潰してやれる。
もっと問題なのは、『自分がラズーンに行かなくてもセレドが安泰であり、家族が幸福であろう』と判断したかもしれないことだ。
(『しゃべり鳥』(ライノ)達は俺のことを知っているか?)
馬を走らせながら急いで過去の記憶を検索する。
直接に顔を合わせたことはないはずだ。顔を合わせただけではわからない、それと紹介されるか説明されなくては、アシャをその人だと思う者はいないはずだ、まさかラズーン以外で、まさかこんな世界の片隅に、『アシャ』が居るはずなどないのだから。
けれどもし、諸候に贈られた『しゃべり鳥』(ライノ)が居て、その誰かがこの巣へ戻ってきていたなら? 諸候の中にはラズーンへ入った者もいるだろう。アシャに行き会ったものもいないとは言い切れない。
もしユーノがそういう『しゃべり鳥』(ライノ)からアシャが何者であるか聞いていて、それで自分がラズーンに行くまでもないと判断したならば、それは確かに正しいと言わざるを得ない。ユーノ自身がラズーンの中枢に赴くよりもうんと確実に、セレドの忠誠やカザドの非道は『太皇』に伝わるだろう、それこそ目で見ていたようにはっきりと。
(まだだ)
まだ早い。
不安定に打ち出した心臓に舌打ちする。
ユーノがアシャの存在の意味に触れて、変わらず付き合い続けてくれるためにだけでも、2人の関係はまだうんと浅くて薄い。
(もっと強く)
もっとくっきりアシャの姿を刻まなくては。
でなければ、ユーノは彼の正体を知ったとたん、自分とは一切関わりがない相手だと判断してしまうに違いない。
「…くそっ」
せっかくここまで近づいたのに。
ようやく剣という色気も何もあったものではない、けれどユーノにとってはかけがえのないものを通して、重なる1つの未来を育もうとしているのに。
「…きれいでしょ」
「あたしはきれいでしょ…」
アシャが駆け抜けていくのに気づいたのだろう、周囲の鳥籠から次第に騒がしく『しゃべり鳥』(ライノ)が呼びかけ始めた。ちらりと視線を上げると、枝々にぶら下がった緑の鳥籠から、似たような金髪碧眼の美女達が籠にしがみついて髪を垂らしかけ、アシャに指を伸ばしている。
「待って!」
「待ってあなた! きれいでしょ!」
「ねえ見て、きれいでしょあたし!」
『鳴き鳥』(メール)のように愛らしくは響かない、甲高い声がじりじりと互いを押さえるように音量を上げていく。
「きれいでしょ!」
「きれいでしょ!」
「ねえきれいでしょ!」
アシャはゆっくり速度を落とした。続いてヒストがアシャを置き去って走り抜けようとしたが、鼻息荒く立ち止まり、どうして主人の元へ直行しないのかと言いたげに鼻を鳴らす。
「聞きたいことがある!」
アシャは声を張り上げた。




