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「ユーノ! レスファート!」
勢いよく駆けさせてきた馬を止め、アシャは周囲を見回した。
「ユーノ! どこだ!」
叫んで耳をすませるが辺りは静まり返り、時々『鳴き鳥』(メール)の柔らかな声が響いているだけ。穏やかで優しげな風景の中、自分の声だけがきりきりと尖っているのに気づいて苦笑し、表情を改める。
(いつも、置き去られる)
不愉快で、そして、不安だ、ラズーンのアシャともあろうものが。
(あいつの顔が見えないことが)
またどこかで傷ついているのではないか、命を脅かすほどの痛みも堪えて一人耐えているのではないか。
そしてそこには必ずユーノを傷つける存在が居る。
「…ちっ」
その存在を考えたとたん、身内に走った青白い怒りに舌打ちした。
どんどん手に負えなくなってくる、この苛立ちと怒り。無鉄砲で誰かが苦しんでいると聞けば我が身を省みず飛び込んでしまうユーノがいては、忍耐力がどれだけあっても足りない。今だって、ただの想像にしか過ぎないユーノの危機に、体が既に反撃体制を整えてしまう。
(まったく)
ぐしゃりと前髪を掴んだ。
「いっそ、縛りつけておいてやるか?」
アシャの側に、お前の居場所はここだと身動き一つできないように?
「……詰られる、な」
ユーノに力の限り罵倒されて、アシャの人格も疑われそうだ。ひょっとすると嫌われるほどに。
「っ」
ユーノに嫌われる。とたんに一瞬自分が竦んだのに気づき、絶望的な気分になった。
「…………終ってる」
周囲では何度も見たことがある、女一人に振り回されてするべきことも考えるべきことも及ばなくなって、人生を誤っていく愚かな男達。アシャは、出生のことも自覚している、彼の華やかな外見を己の身を飾る道具としてしか考えない女性達も知っている。レアナの真摯に魅かれはしたが、胸の内を焼き焦がすような衝動に自分が落ち込むななどとは考えもしなかったのに。
「……ユーノ!」
軽く首を振って固着しかけた思考を振り切る。もう一度、気を取り直し、声を張り上げ密度を増やした木立の中を抜けていく。日差しがきらきらと細かな結晶を散らすような輝きの中、風が静かに枝々を渡る。
「……」
その枝の一つに見覚えのあるものを見つけてアシャは眉を寄せた。
緑色の蔓で編まれた、人一人入るほどの鳥籠のようなもの。
気づいて見回すと、あちらこちらに風に微かに揺れながら、緑の鳥籠が吊られている。
『しゃべり鳥』(ライノ)が居る。
なおも不快感が広がった。
「ここは……巣、か」
あの種族はことのほか清冽を嫌う、特にユーノのように内側から零れる揺らぎない潔さを。万が一捕まったら、扱いは十分予想できる。それにユーノがどれほど傷つくかも。
早く見つけなければ。
「やだーっ!」
不意に甲高い叫びが響き渡ってはっとした。
正面の木立の間から、額に『白い星』(ヒスト)をいただいた栗毛の馬が、普段の振る舞いからは信じられないほど静かな足取りでやってくる。
だが、その背中にはじたばたじたばたと激しくもがくものがあり、それがうっとうしいのだろう、時折ヒストは上下に強く顔を振り、立ち止まりかけては思い直したようにまたぽくぽくと歩を進めてくる。
「レス?」
「やだやだやだーっ、ユーノぉっ!」
声は今にも泣きじゃくりそう、慌てて馬を駆け寄らせてみると、急いで見上げてきたレスファートはヒストの背中に紐でしっかり括り付けられていた。体と紐の間に毛布はかませてあるものの、暴れ続けたらしい少年はぎりぎり締め上げられた状態、アシャを見るとぼろぼろ涙を零しながら訴える。
「ほどいて、アシャ、ユーノ一人でかごの中なの! つかまったの! ぼくが、ぼくが……っ」
しゃくりあげて顔を歪める。
「へましたの! コンチクショウなことしたの! ユーノ助けて、アシャ、ユーノがあの『おばさん』たちに!」
イルファ譲りの罵倒まじりのことば、中でも今の状況ではひたすらにまずい一言にアシャはひきつった。
「………『おばさん』……って」
これは何となくわかってきたぞ、と溜め息まじりにレスファートの紐を切り解いてやりながら確認する。
「ひょっとして、鳥籠に入ってた女達、か?」
「うん!」
レスファートはようやく自由になった体のあちこちを摩りながら、大きく頷く。
「『おばさん』ってほどじゃなかっただろう?」
「『おばさん』!」
「………それを『しゃべり鳥』(ライノ)に向かって言ったのか?」
「アシャ、あの『おばさん』たち知ってるの?!」
「他に何か言ったか?」
「ユーノがきれいだって言った!」
「……それで?」
「ぼくのユーノは、『おばさん』たちの誰よりきれいだって言った!」
まちがってないもん、ぼく。
唇を尖らせるレスファートは、プラチナブロンドを日差しに煌めかせ、確かに汚れてはいるけれど、十分輝いて美しい子供だ。
「………致命的だな」
溜め息をついて口を押さえた。
『しゃべり鳥』(ライノ)は己の容姿が他の存在よりも美しいことに全ての基準を拠っている。ましてや、どこからどう見ても、王子様然として可愛いレスファートが崇拝に近い愛情を注ぎ、他の誰よりも美しいと保証する相手が、一般的に見れば茶色の髪を跳ねさせ荒々しい挙動の汚れた服の子供であるなどは、彼女達にとって論外だ。
「そしたら、『おばさん』がぼくをつかまえて!」
レスファートが語る事の顛末にどんどん溜め息が重なる。
「そりゃ……無理だろう…」
「それでね、ユーノはキスせずにとびらをあけて、そしたら『おばさん』がユーノのことを『銀の王族』だろうって」
「……」
ぴくり、とアシャは動きを止めた。
「『銀の王族』ってなに?」
「…………それだけ綺麗だってことだよ」
「ふうん?」
いささか訝しげなレスファートをヒストにしっかり座らせる。
まあ当たらずとはいえ、外れてもいないよな、真実の意味では。
胸の中で続けたことばは口には出さない。
確かに綺麗、だ。この世界を覆った破滅の影響を限りなく排除した存在、200年祭を越えるための最後の布石、そしてまた、『運命』の跳梁と太古生物の復活を制御する唯一の鍵として、その中身は磨き抜かれている。




