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(何という、力)
額を押さえて震えが走った体を堪える。
経験したもの得たもの全てを飲み込み消化し、新たな能力として結実させ、生き残る道を切り開いていく、この『人』という種族の脅威。
それはやはり遠く遥かに『太皇』が自分に見たものにも重なるようで。
微かに体が震えてしまう。
凄まじい力の可能性を見せつけられたとき、人はそれが伸びゆくさましか考えたくなくなるのだろうか、それがひょっとしたら、その持ち主さえも破滅に導きかねないとわかっていても。
(あなたもそうして)
俺を生かすことを望んだのだろうか、破滅に向かう世界の彼方へ、『人』を離れても辿り着く道を探すようにと。
(だがそれこそが)
この世界を破滅させ、『ラズーン』に200年祭を課し、『運命』を、太古生物を、そしてアシャ自身を生み出した、根源にあるものではないのか。
(可能性への、欲望)
アシャが今ユーノを望む『こと』も、その欲望の末端に置かれるべき駒ではないと誰が言える。
遠い遥かな過去に設定された流れの果てではないと、誰が保証してくれる。
(ましてや、人は『ラズーン』を造ったのだ)
脳裏に過るのは闇の草原、光り輝く滅亡の光景をアシャは自分の内側に抱えている。
だからこそ『ラズーン』を離れ。
名を捨て。
自分の命も世界に晒して悔いなしと放浪を決め。
なのに、その離脱こそがユーノに出会う唯一の道筋だったのかもしれない。
(ならばなお、魅かれるわけにはいかない、はずだ)
ユーノがただの『銀の王族』ではなく、ユーノがユーノであるならばなおのこと、アシャがユーノを望むことは世界を壊すに等しいはずだ。
それとも。
(それこそ、が?)
『太皇』が選んだ彼方への道だとしたら。
(俺は)
湧き上がる歓喜。
(ユーノを)
「うっ!」
「ユーノ!」
遠くで響いた微かな声に体は勝手に反応した。それがユーノの悲鳴だと判ずるまでもなく、間近に迫っていたドヌーを屠るという意識さえなく、焦げついた塊に変えながらアシャは走る。
(魅かれる、呼ばれる)
体が意識がユーノの危機に応じてしまう。
「ユーノっ!」
失うかもしれないという恐怖に、悲しみよりも怒りが先立つ自分のまずさをわかっているはずなのに。
(止められない)
飛び込んだ部屋は塔へと続く階段の最下部にあたる部分だ。慌ただしく周囲を見回し、壁を這うように螺旋状に巻き上がる階段を見つける。
「ユーノ!」
見上げたアシャの目線よりやや上で、壁に押しつけられているユーノと、それに覆い被さるような男の背中が見えた。
(あいつは、誰だ)
ナニヲ、シテイル。
凍りつくような激怒。
ソレハ、オレノモノダ。
咆哮する自分の内側が止められない。
ナオコノウエニ、アイツヲ、キズツケルノカ。
ざわめく闇、血の中から。
ナラバ、オマエヲ。
屠ってやる。
喜びに唇が吊り上がる。剥き出されるのは牙。
「……クノーラス様!」
「っ!」
背後からようやく追いついてきたらしいアオクが、悲痛な叫びを上げるのに我に返った。
「何をなさっておられるのか!」
階段は1人分の幅しかなく、手すりもない。ユーノとクノーラスがせめぎあっているのは途中の小さな踊り場、2人が立てば一杯で余人が入れる場所はない。
その2人に、壁を伝って、上下左右からじわじわとドヌーが這い寄り始めている。
汗が目に入る。片目を閉じて防いだが、伝い落ちる雫が染みて目が痛む。
「く……そっ……」
歯ぎしりして、腕力のなさをユーノは呪った。
(もっと鍛えなくちゃだめだ)
でないと、何の役にも立たない。
「く、ぅ」
城内の暑さと腐臭、動き回りドヌーを倒し続けてきた運動量、吹き出る汗と上がる息、それなのに同じぐらい動き回っているはずの相手の白い虚ろな顔には、冷や汗一つ浮いていない。
「王子……どうか……」
気休めにしかならなかったが、届くかもしれないと一縷の望みを託して訴える。
「正気に…っ」
男はクノーラス、ダノマの第三王子だった。それと知らせた肩の紋章はさっきやりあって切り裂いてしまったが。
「くっ」
ことばが聞こえなかったように、相手はなおも体重を載せてくる。無表情にこちらを見返す顔は整ってはいるが生気はなく、押しつけてくる力は異常なほど激しいのに、その熱が体のどこからも感じ取れない。
こういう気配の人間をユーノは知っている。
レガと一緒に居た『山賊』の男達がまるっきり同じ顔をしていた。顔の造作は違うのに、気配が同じ、無気力さが同じ。心のどこかが永久に壊れてしまっていて、相手本来のものはどこにも残っていない。
王子の背後に薄暗い影がまとわりついている。おそらく『運命』の支配を受けているのだろう、が。
(強い…)
隙がない。弱点が見つからない。
自分の体に対する怯みや守りが無い分、踏み込みが深く容赦がない。ユーノが襲われつつもクノーラスを守ろうとしているのを気づいたのか、途中からユーノの剣先にわざと手足を差し出し剣を止めようとしてくる。
止めかねて一度深く切り込んでしまった脚からどす黒い血のような、もっとねばっこいものが衣服の下を伝って滲み出し石の床に滴り落ちて、それまで床と壁の下辺を這っていたに過ぎないドヌーが、その血の臭いに引き寄せられるように集まりつつある。
「ぐ…」
ぎしぎし刃こぼれしそうな音をたてて噛み合っている剣をのしかかるように沈めてくるクノーラス、それ以上後ずさればあっという間に床を踏み外して落ちるだろうに、その恐怖はないらしい。逆に、喉元に近づいてくる切っ先をはね返せばクノーラスは落ちてしまう、その怯みがユーノに最後の一押しをためらわせ、動くに動けない。
ドヌーが這い寄ってくる音が、ずる、ずる、と、背中を押し付けた壁を伝わって響く。遠回りするように上からも忍び寄ってくる相手が滴らせてくる雫が顔のすぐ側を降り落ちていく。
嫌悪感が湧き起こり、とっさに避けかけて、ユーノは必死に踏み留まった。
この位置のまま、ドヌーから身を竦めてもどうにもならない、逃げ場がない。
気づくとクノーラスの足下間近に、這い上がってきたドヌーがまとわりつこうとしている。
「ち、いっ」
ドヌー達にはクノーラスも餌でしかないのか、脚を伝って這い登り絡みつこうとしているが、クノーラスは頓着していない。まるで自分に何も起こっていないように、ただただ剣に力を込めてくる。
脳裏をアオクの思い詰めた顔が過る。
『運命』に乗っ取られているとはいえ、アオクが主と決めて、その救出のために飛び込んできたここで、みすみすドヌーにクノーラスを食わせるわけにはいかなかった。
「ふっ」
一瞬気を溜めてぎりぎり小さく剣を弾き、ゆらっと背後に倒れかけた相手の腕を掴む。右側にならドヌーも居ない、空間もあり脚の踏み場もある。
「く!」
人形のように切り掛かってくるクノーラスの剣をまた弾き、誘うように階段を上へまた走り上がる。
なぜそうしたのか、なぜ出口さえない階段の上へ走るのか。
その一瞬、ユーノの頭からは疑問が抜け落ちていた。




