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「ユーノっ!」
一声叫んで、アシャは乱暴に手綱を引き、怯えた馬を抱くように体を寄せた。汗に濡れてびくびく震える相手の恐怖を感じ取る。次の一瞬、間近に迫った城門からドヌーがびちゃっ、と音をたてて跳ね飛んできて、必死に馬が身をよじる。
「くっ」
崩れた体勢、それでもふわりと体重を移動させて体を戻し、アシャは頭上に迫ったドヌーをあっさり一刀両断した。
いや、素直に2つに切ったのではない。剣を一閃、切っ先で表面の薄い膜を切り裂き、青黒いぬらつく液体が吹き零れてあらわになった黒い球体を、返す刃先で断ち割っている。
飛びついてきた勢いそのままで後方に流れていくドヌーに追い立てられるように、馬は泡を吹きながら前方に駆け出した。跳ね狂うような動きに、アシャは巧みに体を合わせ、振り落とされることなく馬を制御する。
背後でべしゃりと地面に叩きつけられるたドヌーが、ずっ……と再生のために体を引きずり合わせかける。が、その力はすぐにドヌーから抜けた。見る間にどす黒い煙を吹き上げながら黒い塊になってぐじゃぐじゃ縮んでいくのに冷笑してアシャはアオクを見やった。
「そこが『目』か!」
はっとしたように、アオクが叫んだ。激しく暴れる馬に振り回されながら、自らも必死に正面から飛んで来たドヌーの体に剣を擦らせ、内部の黒い球を確認すると同時に剣の切っ先で貫く。
びくっとドヌーが痙攣し、どろりと剣の先から溶けて流れ落ちた。
「先に行くぞ!」
「お、おう!」
アオクが対処できそうだと踏んで、アシャは剣にゆっくり意識を込めた。
(1体ずつやっていてはきりがない)
先に飛び込んでしまったユーノがどこまで無事で居てくれるのか、一刻も早く側に行かなくてはと焦る気持ちを鎮め、みるみる猛々しく黄金色を増してくる剣を凝視する。
同時に拡散する意識の周辺にドヌーの動きと配置が叩き込まれてきた。右上から3体、左上から5体、真上は今のところ空いているが、足下に素早くすり寄ってくる塊は数体分はある。
「ア、シャ…っ!」
それらが一斉にアシャに飛びかかったのを見てとったのか、後からアオクが絶望的な叫びを上げた瞬間、黄金の短剣が微かに浮き上がるような感覚で満ちた。
「退け」
つぶやく声は呪詛にも聞こえた。自分とユーノを隔てるもの全てに向けられた冷たい殺気の塊が短剣から吹き出す。
身の内に広がる傲慢な意志。
「俺を、遮るな」
じゅん、と大気を焦がす音がした。差し上げた短剣に触れるか触れぬかでドヌーが次々黒色化し、粘着性の音もたてることなく地面に降り落ちて腐臭を放つ。背後でアオクが毛を逆立てて見守る気配、それを顧みることなく、アシャはユーノの後を追って城の中へと駆け込む。
「続け、アオク!」
「わ、かった!」
悲壮な声を耳にしても振り返らず、ドヌーの崩れ落ちたねばつくような腐敗臭の道を一気に入り口まで切り開く。
「ユーノ! どこにいる!」
入った所は大広間だった。
四方へと入り口が開いているが、それぞれ通すまいとするようにびっしりドヌーがしがみついている。が、正面の入り口付近だけは、ドヌーの層が薄く、周囲に既に黒色化したドヌーが点々と転がっているのが見えた。
「そっちか!」
さすがに恐怖に耐えられなくなったのだろう、馬が嘶きながらアシャを振り落とそうとするのに飛び降りた。そのまま正面入り口に駆け寄って死骸を確かめると、どれも鮮やかなほど一太刀で殺られている。
始めから『目』を狙って切っているのだ、と気づいて感嘆した。
(何ともこれは…)
『目』が弱点、そう教えられても、外皮はぬめっていて剣先が滑るし、対照的に内部の球体は弾力があり硬質で、しかも中身の液体の中を緩やかに漂っているようなもの、狙いを定めたからと言ってそうおいそれと切れるものではない。ましてや、次々飛びかかってくるということは、その内側の球体も揺れ動いているということ、名のある武人でもどれほどのものがそれを捉えて攻撃を放てるか。
「ああ」
そうか、と思い出したのは、ここへ来た時にユーノが道端でやっていたからと見せた剣だった。
あれは台の上に置いた小さな果物を動かさずに切る大道芸なのだが、もともとは固定されていないふわふわ漂う物体、例えば空中に舞う花びらや水中に落ちた葉を切ることができるまで完成できる技でもある。迫っていく勢いで相手を吹き飛ばさずに切り抜けるそれには、独特の感覚が必要なはず、それを、ユーノは見ただけで再現してみせていた。
「あれが、役立ったのか」
一瞬くらっとしためまいが襲ったのは、稀なる才覚の可能性に圧倒されたからだ。