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それは、遠目には尖塔や壁に奇妙な形の浮き彫りがされている、と見えた。
「あれが、クノーラス城…?」
「っ」
ユーノに確認されたアオクが息を呑む。
城に近づいていくに従い、その不思議な浮き彫りが蠢いているのが見えてくる。陽の光を鈍く反射しながらぬらぬらと動くものを見定めて、ユーノはぞくりと背中の付け根が竦むのを感じた。
ダノマによく見られる緑がかった青の石で作られた城。おそらくは瀟酒とも言えるほど繊細な造りのものだったのだろうが、今はあちらこちらが焦げたり崩れたり、得体の知れない液体でぬめっていたりと酷い有様だ。壁と言わず窓と言わず、所狭しと不気味な半透明の青黒い球体がへばりついて揺れながら動いている。
生臭い臭いが濃厚に漂ってきて、真っ先に馬が怯えて動かなくなった。
「こ…れほどになっているとは」
呻くように、アオクがことばを絞り出す。
街の住民は逃げ去ってしまっているのだろう、人っ子1人いない通りに天幕の薄汚れた布が捨て去られている。砕けた宝石細工が転がっていた。泥土に埋まり込む細工物に、どれほど急にその場を離れたのか、どれほどうろたえて人々がここを去ったのかよくわかる。
「この様子では、城の中の人間はほとんど生きてないな」
冷ややかなほど淡々としたアシャの声が響いた。振り向けば、異形の怪物の巣窟と化した城を見ても動揺一つ見られない静かな顔で、懐にしていた剣をゆっくりと抜き放つ。
「……王は王子を見捨てられたのだろうか…」
苦しそうにアオクが項垂れかけ、ユーノと同じようにアシャを振り向き、その手に握られた短剣に訝しげな顔になる。
「それで戦う、気か?」
確かに拵えは見事、名品だろうが、とことばを濁して顔を歪めたのは、目の前の惨状を前にして腕一つ分もない短剣で向かえると思った相手の力量に不安を抱いたからだろう。
だが、そういうアオクの危惧にいらだった様子もなく、
「太古生物相手には必要ないが……」
凄んだ美しい微笑をアシャは浮かべた。
「その背後の影には役立つ」
(やっぱりアシャも)
ユーノも腰の剣を確かめた。
(『運命』のことを考えている……)
太古生物が単に復活しているのではなく、アシャはその裏に『運命』という存在が暗躍していると確信している。
(なぜ?)
そこまでの確信を抱かせるのは、アシャの旅人としての経験と知識か。
(それとも)
未だユーノが知り得ない、アシャの隠された別の顔が蓄えている何か、だろうか。
「どうする?」
呆然としているアオクを促すように、アシャが尋ねた。
「王子を救う……もはや、遅いかも知れんが」
陰っていたアオクの顔に厳しい表情が蘇った。エキオラの想い人、だから守る。その想いは出掛けの彼女の叫びでかなり勢いを削がれたはずだ。このまま城を捨て、まずは街と民の防衛に走っても誰もアオクを責めないに違いない。
だが逡巡の後、アオクは顔を上げた。
ぽかりと開いたまま、彼らを待ち受けているかのような城門に向けて馬首を巡らせ、アシャに笑いかける。
「俺は、近衛、なのでな」
「…だな」
アシャが同意を示すように苦笑し、ユーノも頷いた。
もし万が一、セレド皇宮がこのような状態になっていたとして、万に一つも生存者がいないかもしれないと思っても、両親やレアナ、セアラ、あるいは尽くしてくれた者が中に居るかもしれない、そう聞かされれば、ユーノだって飛び込むだろう。
「すまない、行くぞ!」
二人の顔に力を得たように、は、あっ、とアオクは馬の腹を蹴った。
「い、やっ!」
「はっ!」
重なるようにユーノとアシャも馬を叱咤する。掛け声が交錯し、三筋の流星のように馬が走り出す。そのまま一気にドヌーが張り付く城門を抜け、よりびっしりと溜まっている入り口へと突っ込もうとする、だが。
「ち、いっ!」
城門直前で、アオクの馬が臭いと気配に怯えて騎手に逆らった。棒立ちになって嘶き、首を振る。アシャの馬もそれに刺激されたようにたじろぎ、激しく地面を踏み鳴らして勢いを殺してしまう。
と、その間をまさしく『白い星』のように駆け抜けて、ユーノの馬が躍り出た。
「よしっ!」
低く身を伏せ、今にも上空から振り落ちてきそうなドヌーの下を、小さく馬を励ましながら速度を上げて駆け抜け、ユーノはあっという間にただ一騎、城内に走り込んでいく。




