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「アシャーっ!」
「アシャ、どこにいるのー!」
花咲き乱れる庭園をいささか乱暴に駆け抜けたアシャは、小道の途中で体を捻って木立に飛び込んだ。すぐ後から、アシャの後ろ姿を見かけたのだろう、着飾った貴族の娘達が急ぎ足に通り過ぎていく。
「今ここで見かけたのに」「おかしいわね」「先にも見えない」「どこに行ったのかしら」
高い声で呼び交す鳴き鳥のようにさんざめきながら遠ざかる。
「…やれやれ」
木立の中、道に背を向け、耳をそばだてながらアシャは苦笑する。
「ここまで追い掛けられるとは思わなかったな」
宴のアシャの印象はこの国には強烈過ぎたらしい。ユーノの付き人におさまったと知らせが回ると、女だけではなく男までもが一晩付き合わないかとひっきりなしに声をかけてくる。予想はしていたし慣れてもいるが、いいかげんうんざりする。
「思った以上に緩いな、この国は」
他所ものだ、見かけぬ顔だと警戒一つしないのは国民性か。それとも、第二皇女の付き人に選ばれたということが、押し倒しても反撃してこない男だと保証してしまったのか。
いずれにしてもうっとうしい、と吐息をつきながら顔を上げ、額に乱れ落ちてこない髪に気づいて、そうかこいつのせいもあるのかと溜め息を重ねた。
従順だけれど華やかで連れ歩くのにちょうどいい、そういう顔に見えるのか。
かと言って、飾り紐を外し前髪を下ろしていつもの髪型に戻せば、見識のある者にはすぐわかる。旅の汚れで目立たなくなっているならまだしも、今のように小奇麗にしてしまっては、たとえ辺境の小国でも気づかれるだろう。顔を知っている者がこの辺りにいるとはとても思えないが、時期が時期だ、慎重になっておくに越したことはない。
ないが。
「ふぅ…」
(これからどうするかな)
こんなことなら魔物相手に大立ち回りするか、不愉快な領主を二度と会いたくないと思わせるほど追い詰める方が楽しいだろう。落ち着こうと思ったのが間違いだった。
もう一度飾り紐で髪をまとめ直し、ふと前方へ視線を投げて呆気にとられた。
「ユーノ……」
木立は天然の四阿のように小さな空き地を囲い込んでいる。元々は植え込みの一つだったのだろうが、伸びて互いの枝を交わす木性か、今ではすっかり小部屋のように編みあがり、周囲から人目を遮っている。
その、庭園から隔絶されたような草地の片隅に、手足を縮めて眠るユーノの姿があった。
(またこんなところで寝ている)
明るい色の草は木立に遮られ、くすんだ緑の絨毯のようだ。ちらつく木漏れ日が華奢な体に躍っている。服地に包まれていても、その伸びやかさしなやかさ、抱き締めたときに返る弾力は容易に想像がつく。
そっと立ち上がって足を忍ばせ近寄った。熟睡しているのか、今度はアシャが覗き込んでも目を覚まさない。
「無理もない…か」
一瞬ためらったが、そろそろと隣に腰を降ろしながら呟いた。寝息に揺れる茶色の髪に手を伸ばす。顔にかかってうっとうしそうだ。気配を殺し、指先でのけてやっても目を覚まさない。疲れ切っているのだろう。
(ガキの顔だな)
唇を少し開いて、穏やかな呼吸を繰り返す。眠っていると歳相応に無防備な顔、今は当たり前の少女にしか見えないが、昨夜は視線で人を切り裂きそうなほど険しい表情を浮かべていた。
また刺客が紛れ込んでいたのだ。
『今回は対処が遅れた』
苦笑したユーノの腕には傷があった。おかしな気配がある、レアナ達を見てきてほしい。そう命じられて従ったのが、結果的にユーノを刺客に晒すことになってしまってアシャは苛立った。
『ゼランは何をしているんだ?』
駆けつけ損ねた怒りを、皇女の危険にも反応しない親衛隊の長にぶつければ、ユーノは目を逸らせて、何とかできたからいいんだよ、と応じた。
傷を押えた布に薄赤い汚れが染み込んでいた。止血を気にして近寄ったアシャに、きっぱり首を振って、ユーノは居室に引いた。
『いいよ、自分でできる。疲れたからもう寝る』
追いかけて声をかけても扉は開かれなかった。仕方なしに引き上げたが、あの傷では一晩中痛んだはずだ。
ゼランを見かけたら一言言ってやろうと思ってるのに、捕まえかけるとユーノが現れ首を振る。
『いいんだ、余計なことをするな。あなたは私の付き人だろう? 主の命令はそれほど軽いのか?』
厳しく言い渡されて不承不承引きはしたが。
したが。
(いつもこいつばかり狙われる…なぜだ?)
カザドの王、カザディノはレアナを欲したと聞く。それが果たせなくて、妄執を未だ向けている、とユーノは吐き捨てた。
けれども、あの欲深な男がレアナ1人を手に入れて安じるとは思えない。その先にはセレドを手中にとも願っているはずだ。
(もっと他に手立てを打ってきそうなものだが)
まるでユーノを殺すことがセレドを手に入れる唯一の道であるかのような執拗さだ。
それにこうも繰り返し易々と侵入を許す親衛隊というのも不審だ。平和ぼけしているだけ、ではないのではないか。
(誰か……カザドへの内通者がいるか)
もしいるとしたら皇宮がらみ。
だが、この考えも皇位継承で揉めている気配がなく行き着いてしまう。
そもそもセレドの支配者となったところで、溢れかえるほどの富もなければ人々を圧倒的に従える権力もない。皇族はのんびりと街中を出歩き、人々は親しげに声をかけ、まるで面倒な国の決まりや儀式を行うだけの役職であるかのような扱い、セレドは眠ったように穏やかな国なのだ。
なのに皇女は繰り返し狙われ傷ついている。
その理由がわからない。
風に浮いた髪の毛がまたユーノの唇にかかった。呼吸でふわふわと揺れる。息苦しそうに見えてまたそっと指を伸ばす。呼気が強いのだきっと、唇から漏れる息が温かくてそれできっと。
ユーノは起きない。
この前はあれほど鋭く反応したのに。
こんな開けた場所でこんな昼間にこんなに無防備に。
(俺が側に居ても気づかない)
こんなに近くにアシャが居るのに。




