嶋崎寛太の「当たり前」
まあ前書きらしいことは前書きに書いたんで。
何で書いたかって言えば簡単です。 同性愛を趣味とか抜かしたクソ政治家に喧嘩を売るために書きました。
私は性的マイノリティかって言われると微妙なところですが、性的マイノリティを否定する人間はいっそのこと社会から排除しようという危険思想家です。
レズビアンであるがゆえに長いこと事実婚だったある親しい友人夫婦に 土下座して取材をお願いしました。
彼女たちの願いが、少しでも届くことを祈ります。
と言うか性的マイノリティ否定派がとっとと社会からいなくなれ。
ではなくて!!!
貴方は一体彼らの、彼女たちの何が嫌いですか?今一度 ご自分の胸に問うてみてください。
いつからだったか分からない。
少なくとも物心ついてからは、俺は3人家族だった。
どこにでもいる、普通の3人家族だ。
たった一つ変わった点があるとすれば、母二人、息子一人という、まだまだ日本では数少ないレアな家族であるということだろうか。
幼稚園にいる頃、初めてそれを不思議がられた。
「かんちゃんは何でママしかいないのー?なんでパパがいないのー?」
俺が聞きてぇよバカ。
物心ついたその瞬間から、子供心に疑問に思っていたことはあった。
しかしながら、もう当たり前だったのだ。
誕生日を二人の母に祝ってもらい、ハロウィンになると、ハイテンションな方の母親が、かぼちゃのお面をかぶって脅かしに来て、クリスマスになるとクールな方の母親が、珍しくどこからかサンタコスを引っ張ってくる。
みんなの家にいるパパの代わりなのか知らないが、時々大声で笑って、頭をでっかい手で撫でてくる、がたいのいいオカマが訪ねてくることもあった。
それがどれだけ特殊なことかなど、幼い俺には分からない。
ユニークさだけは間違いない周りの大人たちに囲まれて、毎日楽しいそれだけは確かだった。
それでよかったのだ。
そう、幼稚園までは……。