第一輪 目覚めるきっかけはほんの少しの違和感と…
-0-
ちょっとどっちか覚えていないんだけれど、子供の頃っていうか幼い……ていうかむしろ幼児期?なんていうの?子供っていうほど成長してなくてさ、赤ちゃんっていうほどあやふやでもなくってね、え?記憶記憶。なーんかよく覚えてるは覚えてんだよねー。あーもうわたしもっと日本語できたらビシッとズバリな言葉で表現できんのにね。モヤモヤするう。え?そりゃそっちのセリフでしょおよー。でもわたしだってちょいイラって来た。え?そー。現在進行形。違うよーそういう時はイラっと来たっていうもんわたしだって。その辺ちゃんとしてんだって流石にわたしもさあ。イライラしてきたって意味だもんさっきのは。こっから頂点に行くわけよ、ぐぐぐっと。あーほらほら、やっぱ出てこないよしっくりくる日本語。
「あっ、見えてきたバス停」
甲子現は、篠原夢の要領を得ない話に適当な相槌を打つのをやめ、少し離れた先、前方にちょこんと見えるバス停に向かって駆け出した。
「えーちょっと待ってよう、現くんー」
篠原はまだ話し足りない余韻を匂わせつつ甲子のあとを追うが、甲子は篠原の、脳みそ引っ掻き廻す効果でもあんのかよって感じのお話から少しでも逃れたかった。
とは言え甲子も別に篠原のことが嫌いなわけではないので、バス停の時刻表が読み取れるくらいまで走ったところでバスの発着時刻を確認してからだが、笑顔で振り返る。
篠原は、甲子が思っていたより遠いところをペタペタと走っていた。仕方がない。篠原は日本語も運動もそんなに得意じゃないことは昔から知っている。
やれやれと笑い、時刻表を指差しながら声を張る甲子。
「夢ー、やっぱりこの路線で合ってるみたい」
甲子の声に反応を示すが今の篠原に返事をする余裕はない。
「……」
時刻表に、男にしては細く長い人差し指を示したまま甲子は篠原からのレスポンスを待つ。前傾でなく、肘を曲げず振らず、脚が上がっていない、篠原の変な走り方を眺めつつ。
なんであんなに理に叶っていない走り方になったんだろうあいつ、と甲子は思う。非合理なのは走り方だけじゃないけど、ともよく思う。篠原は幼なじみだが、こういう謎がよくある。二人とも似たような環境で育ってきたのに何故あいつはこんなにも俺と違うんだろう、と。
それにしても遅い。
「くぁーあふぁ」
でっかいアクビが出て涙で視界がボヤけたところで、ようやく篠原が反応する。
「あー、ちょっとなんか暇そう」
息があがっているせいか滑舌が悪く『暇そう』が『ひやほう』に聞こえた。ひやほう。試しに甲子は、走り疲れ肩で息をして、とても感情が昂っているようには見えない篠原の背景に吹き出しを想像しそこに『ひゃっほう!』と入れてみた。姿とセリフのギャップがシュールだ。
「ぷっ」
「えー?なんか笑ってるし」
「いや、なんでもない」
わざわざ伝えることでもない。つっかかってくる篠原をあしらいながら甲子は、バス停のコンクリートの土台に腰を下ろした。
-1-
甲子現と篠原夢は、少人数制の養護施設で共に育った幼なじみだ。
高校卒業を機にこの春からそれぞれ一人暮らしを始めた。階層は違うが同じアパートに部屋を借り、甲子は大学に進学し篠原はバイトと、生活サイクルは変わったがもう15年以上の付き合いになる。
ふたりは今、甲子の夏休みのタイミングを利用しS県中部を放浪している。
きっかけは、STAND BY MEみたいな旅がしたいんだよねーという篠原の何気ない一言だった。宿とかどうすんだという甲子の思春期男子には当然の戸惑いは篠原の、まーいいじゃんどうにかなるよ……え?何?襲う?わたし襲われる?というにべもない返しに一蹴され、半ば強引に企画は実行された。とは言えその時の篠原が少し楽しそうだったのが甲子は気になっている。
意味のない意地悪かもしれない。彼女はそういう無意味なことをよくする。
それでも甲子は意味や理由を考えたい性格なので、もしものことを考えてふたりの懐事情からは少し背伸びした感の、趣ある旅館をスマホで検索だけはしておいた。ちなみに今朝、アパートを出る前に確認した時には今日の空室状況はまだ余裕があった。
「ほら、この桐洲川駅行きってヤツだよ」
「あー」
「このバス乗れば今日中に風鳴まで行けるから。ほらココだろ?見たいっつってた風鳴城、明日見学出来るだろ」
「でもバス来るまで1時間あるよ?」
「え?まだ来てないからすぐだろ?」
「もう2分過ぎてるじゃん」
「そうだけど、ここまでずっと道沿いに来てバス通んなかったんだからまだ来てないんじゃないのか?」
「あー、そうかも」
「ちょっと歩き疲れたしさ。休憩がてら待とうぜーバス」
「うーん、そうしよっかなー。まいっかー歩きたいけど」
「夢も疲れてるだろ」
なかなか甲子の提案に乗れずにいる篠原。時々軽トラックが通るだけの、普段自分が目にしている生活道路よりも少しだけ開放的で広く感じる田舎の舗装道路の真ん中に出て、反対側に拡がる茶畑を眺める。
「おーい危ないぞー夢」
「大丈夫だよー結構遠くまで全然車見えないからー」
笑顔で振り向く篠原。
ああ、この笑顔だなあ、と甲子は思う。
好きなのかな? とも思う。
自分の感情なのに、それは甲子自身にも分からず、さっきの篠原ではないが「モヤモヤする」が一番しっくり来る表現だ。