5話
目が覚めると、辺りはまだ真っ暗だった。
目覚まし代わりのスマホを見ると、午前5時をすこし過ぎたくらい。普段なら夢の中だ。
なんだってこんなすこぶる健康的な時間に目が覚めたのか。
理由は簡単だ。
昨日たった一日で起きた俺の人生の変化。
まともな朝を迎えられるわけない。
二度寝しようにも目が冴えて眠れないし……。
仕方なく起き上がって顔を洗いに洗面所に向かう。
ザブザブと冷たい水で顔を洗っていると、だんだんと高山さんが暗殺者ってことが夢だったんじゃないかと思えてくる。
夢、だったんだよなぁ……?
顔を上げて鏡の中の俺を見つめる。
もちろん、答えは返ってこないし、あの時感じた恐怖が夢であるはずがない。
リビングに戻ってテレビをつけると、おはようございます!と朝っぱらから素敵な笑顔のキャスターたちが挨拶してくれた。
おはようございます。と、俺も答える。
一人暮らしを始めてからテレビと会話することが多くなった。
虚しいと思うことはだいぶ前にやめた。
テレビが昨日起こった出来事を流すのを横目に食パンをトースターに入れる。
「それでは、未だ事件の犯人は分かっていない、首相暗殺事件についてです」
メインアナウンサーの真剣な声にビクッとなる。
今人気の片山アナだ。人柄のよさそうな爽やかな笑顔が売りのアナウンサーだが、こんな真面目な顔もできるのか。
まるで、こちらを見透かしているような視線。
いいや、俺は無実だ。
とは思いつつもこれから先俺に関わってくることかもしれないので、ちょうど焼き上がった食パンを片手にテレビの前に座る。
「まずは概要をおさらいしてみましょう」
片山アナが場所を移動してモニターの横に立つ。
「事件は10月24日深夜、都内でアメリカ大統領との会食の後官邸に戻った山田元首相が何者かによって暗殺されました。山田元首相は国民の声を無視した政治が目立ち、支持率は先月の時点で23%まで下がっていました。このことが今回の事件の動機ではないかと専門家は述べています。また、警察は犯行の手際からみて、暗殺組織“紅蓮教徒"が関わっているとみて捜査を進めています」
その後からは山田元首相の行った政治について話していたけど、正直俺には全く分からない。
学校で大樹にでも聞いてみよう。
あいつああ見えて頭いいからな……。
あんまり難しい話をしてるもんだから、だんだん眠たくなってきて……気づいた時には8時を30分ほど過ぎていた。
授業開始は8時35分。
「……やっべぇ!!!!!」
慌ててテレビを消して、リュックを背負って、家を飛び出し(鍵をかけるのを忘れてはならない)、こういうときの自転車に跨る。
タイヤが空回るくらいにペダルを踏んだ。
心苦しいけど、信号は無視だ。
そうでもしなきゃ間に合わねぇ!!
乗り捨てるように自転車を止めて、チャイムと共に教室に入る。
「ハァ、ハァ……」
激しい息切れで机に突っ伏していると、
「大丈夫?」
と、隣から声がかかった。
疲れなど一気に吹き飛んでいきそうな天女の声。
「だ、大丈夫……。おはよ、高山さん」
「うん、おはよう寺岡くん」
「おら、いつまでも喋ってないで授業始めるぞ」
そんな第一声と共に入ってきたのは数学教師兼俺たちの担任である井上先生だ。
「じゃあ今日は三角関数の続きやるぞ」
いつもだったらわけがわからなくてすぐ寝てしまう数学だけど、今はアドレナリンがすごい出ているのか、ギリッギリまで寝ていたからなのか、全く眠たくならない。
数学で一度も寝なかったのは生まれて初めてと言ってもいい。
まあ、内容が理解できたかどうかはまた別の話だ。
そうして、午前の授業はあっという間に終わった。
「コタロー! メシだメシ! 食堂行くぞ!」
「おう!」
ウチの学食は絶品なことで有名だ。
だから毎日人気で早く行かなきゃ席は全て取られてしまう。
お、今日の日替わりランチはカツ丼か。
大樹はいつものようにラーメンを買った。
カツ丼をゲットして取っていた席につくとすぐに大樹が切り出した。
「昨日、どうだったんだよ?」
「昨日は……」
暗殺のバイトすることになった。
と、言いかけてサツさんの言葉を思い出した。
──こんな家業知ったやつをシャバに放り出すわけにいかねぇだろ。
つまり、高山さん家が暗殺家業やってるなんて知られでもしたら、大樹もろとも殺されてしまう。
大樹には悪いがここは嘘をつかせてもらおう。
「ふつーに買い物して帰ったよ」
「……そんだけ?」
ずいっと迫ってくる。
やめろ。ラーメンの汁が飛ぶだろ。
「そんだけ」
「ふーん」
まだ疑わしそうな目をしてくる。
ううう、何て聡いんだこいつは!
「それじゃあ、怪しげな噂についてはなんか分かったか?」
「怪しげな噂……?」
「言ったじゃんよ。高山さんに近づくアブナイ男がいるって」
「ああ、それか」
それについては何も聞かなかった(聞く暇がなかった)が、答えは分かりきっている。
「サツさんだな」
「え? なんて?」
しまった! これはきっと話すべき内容じゃない。
どこでボロが出るか分かったもんじゃない。
「さ、さあなって言ったんだよ。それよりさ! 今ニュースになってる首相暗殺について教えてくんない?」
「いいけど……」
何か言いたげではあるが、大樹は俺の話題に話を切り替えてくれた。
「ニュース見ればだいたい分かるだろ?」
「そのニュースが難しいから聞いてんだろ」
大樹は呆れたようにため息をつくと、至極簡単且つ端的に言った。
「首相が暗殺されてなきゃ日本はもう一度戦争の歴史を刻むとこだったんだ」
「へ?」
「だから、俺もお前ももしかしたら戦場の最前線で戦う状況に陥ってたかもしれないってこと」
「まじか……」
じゃあ高山さんは日本の危機を救ったってことになるのか……?
「だからネットじゃ暗殺者を英雄視しているやつも少なくない」
高山さんが英雄か。悪くないな。
俺の脳内では中世ヨーロッパの鎧を着た高山さんが剣を掲げて高らかに叫んでいる。
救国の少女ジャンヌ・ダルクの再来。
ただ眠たげな目だけがミスマッチな気もするが。
「警察は紅蓮教徒が首謀者だとか言ってるけど、俺は違うと思うんだよな〜って、コタロー聞いてる?」
「え、うん。もちろん聞いてるよ?」
「じゃあ今俺なんて言った?」
「えっと……」
やっぱり、とでもいう目で見た後、もう一度話してくれた。
「暗殺の首謀者は紅蓮教徒って言われてるけど、違うと思うんだよ、俺は」
「そりゃそうだろ」
だって暗殺したのは高山さんなんだから。
付け合せの大量のキャベツを片したところで、大樹が怪訝な顔をしているのに気づいた。
そうして自分の所業を思い出す。
やばい、思いっきり声に出てた!どうしようどうしようどうしようどうしよう!!!
急いで残りのカツを平らげて、大樹が何かいう前に立ち上がる。
「次ってたしか英語だったよな。俺予習忘れたから見せてよ!」
「え、まあ……いいけど」
それからは大樹に話す暇も与えないくらい、渾身のトーク術でしゃべり倒す。
冷静になって考えるとそれこそおかしな行動だったわけだが。
今の俺にそんな余裕はない。