マリアンの過去
「マリアン。体育の授業でのあなたの活躍は、わたくしの耳に入ってましてよ」
昴はミディアムロングのウェーブがかった黒髪を、左手で梳いてサッと払う仕草をした。マリアンを見あげニヤリと笑う。
「特にバレーとバスケでの働きぶりは、本職の部員をも上回るとか」
同じクラスの中に、もしくは合同授業した相手クラスの中に昴と通じている者がいたのだろう。マリアンの体育での獅子奮迅の活躍ぶりは彼女に筒抜けだった。
――迂闊だった! と、マリアンは口元を歪め後悔した。そう、バスケットボールもバレーボールも興味がない、というのは方便だ。しかしそれ以上に女子新体操がやりたいというのもまた事実。バスケとバレーそして新体操、天秤にかければどちらに傾くかは明白だった。
それにたとえ諜報員がいるのがわかっていたとしても、マリアンの性格では手抜きの競技をするのは難しかっただろう。彼女はいい加減なプレーをして、仲間に迷惑をかけることを極端に嫌うのだ。
「わたくしの得た情報では、バレーの時もバスケの時も、さも楽しそうにプレーしてたとか……。それらを毛嫌いしているあなたが、何故高いパフォーマンスを発揮できるのかしら?」
「――仲間とのスポーツを楽しんではいけないのですか!?」
昴の挑発的な問いに、興奮を抑えられない様子のマリアンが問い返す。昴は彼女を見上げ、マリアンは逆に眼下に見ていたが、余裕の微笑を浮かべる昴に完全にペースを握られていた。
「いけないことはありませんわ。むしろ喜ばしいことでしてよ。それに諜報活動に携わった者の話では、あなたはその運動神経の良さを鼻にかけるわけでもなく、とても仲間思いだとか……高スペックな運動性能に加えて同士を思いやる気持ちに長けているあなたは、実に理想的なスポーツガール、そしてアスリートの鑑ですわ。わたくしはそこに惚れましたのよマリアン!」
ビシッ、と右手の人差し指をマリアンに向ける昴。その勝ち誇った表情は、既に金髪の少女の心の内を手中に収めたような自信に満ちていた。
そこに二人の昴の取り巻きが追い討ちをかける。
「カーさん。六星院さまにここまで言わせておいて、まさか本気で断るつもりはありませんわよね」
「六星院さまが優しく誘ってくださる内に、女子バレーボール部に入部を決めた方が花だとアタシは思うけれど。ああ、もちろんその前に女子新体操部への退部届は出してね。」
クスクスと心ない笑いを二人はマリアンに投げかける。
(バカにしてっ!)
カッと頭が熱くなりかけたその瞬間、ぱぁーーーんっっ!! と、両手の平で自分の顔をマリアンは叩いた。白かった頬が薄赤く染まり、薄紅の唇からは赤い血が滲んでいた。両頬の痛みと、口内に広がる鉄の味で一気に脳内を冷却する。
(この人たちのペースに乗せられてはダメだ! 自分の意思をしっかり伝えないと!)
マリアンは気構えを正すと、皮肉の投擲をかわし、呆気にとられている昴を見すえた。
「……六星院さん」
「――何かしら?」
昴は気を取り直すと、腕を組んで一九〇センチ越えの巨躯に対峙する。
「お誘いは嬉しいのですが……、やはり辞退させていただきます」
この台詞に昴の取り巻きたちが噛み付いた。
「――! なんですって! 六星院さまからのスカウトを無下にするというの! なんて罰当たりな!」
「六星院さまがここまでお心を砕いたというのにそれを理解できないなんて、こんな荒唐無稽な話聞いた事ありませんね!」
「お二人とも静かになさって! これはわたくしとマリアンの話し合いでしてよ!」
両脇に立つ取り巻き二人に喝を入れる昴。
「「――申し訳ございません六星院さま」」
二人の取り巻きの女子生徒たちは、恐縮した様子で顔を俯かせた。
「……理由を聞かせてもらってもよろしいかしら? バレーボールに興味がない、というブラフはもう無しでしてよ」
昴は目力をこめて、マリアンの青瞳を突き刺すように見た。
――もうごまかしは通用しない……、マリアンは彼女の射るような眼差しに感化され、覚悟を決めて口を開いた。
「……わたしは中学時代、最低の人間でした。どの部活にも所属していませんでした」
それを聞いて昴が訝しげな顔をする。
「部活動をしていないから最低、というのはどーゆーことかしら? クラブに入っていない、いわゆる帰宅部といわれる生徒は珍しくないと思うけれど……」
「……その通りです、ただの帰宅部なら何の問題もありません。しかし、わたしは当時運動神経に多少の自負……いえ、かなりの自信がありました。ある程度の競技は常人以上にこなせるという、うぬぼれた高慢さが心に巣くっていたのです」
マリアンは瞼を閉じ、ギリッと歯ぎしりをした。垂れ下がった両腕の先のそれぞれの手は、ギュッと拳を作り握りしめている。
「六星院さん、わたしは色んな部活の助っ人として試合に出場していました! しかも小遣い稼ぎを目的として!」
カッと、マリアンの瞼が見開かれた。昴と目線が合う。
「……例えばどのような部活の試合に参加していましたの?」
「バスケ、バレーはもちろん。ソフトボール、ハンドボール、陸上、柔道、レスリング、水泳、そしてソフトテニスから卓球まで。それと……」
マリアンは押し黙るが昴が促す。
「それと? 何ですの?」
「野球とサッカーにも出場しました……男子生徒のフリをして……」
「……なぜそこまでしてお金が必要だったんですの?」
昴は顎に手を添え小首を傾げた。
「ただ単に遊ぶ金が欲しかったんですよ。中学生といっても一年の頃から身長が一八〇センチ超えていましたからね。それにご覧の通りわたしは白人の血を引いています。この顔立ちなら夜の繁華街を歩いても誰も未成年だなんて思いません」
昴の黒い双眸は不思議だ、とマリアンは思った。今この第二体育館に彼女と二人きり、というわけではない。マリアンの後ろには女子新体操部の同級生や先輩たちが、目の前のバレーボール部のキャプテン六星院昴の両脇には、二人の取り巻きが陣取り、その後ろにバスケットボール部のキャプテン姉ヶ崎円佳とその部員数名や野次馬がマリアンの話を聞いている。仕切りネットの向こうの、体育館を半分使っている卓球部はラリーの応酬を再開したものの、部員たちは時折手を休めて、金髪のシニヨンの少女をチラ見していた。そんな状況の中でもマリアンは、彼女の黒瞳を見るとその中に身も心も吸い込まれ、全ての隠し事をさらけ出してもいいという気分になるのだった。
「なるほど。当時のあなたは、スポーツ部の対抗試合を小遣い稼ぎの一環と捉えていたわけですわね。でも、腑に落ちないところがありますわね。そんな守銭奴だったあなたが……今は仲間と一致協力し、互いに切磋琢磨する立場にいるのは何故なのかしら? 一体何が心変わりをさせたんですの?」
昴は未だに顎に左手を添えたままだ、もう片方の手は左肘を支えている。
「出会いがあったんです」
「出会い?」
オウム返しをする昴を、マリアンは包むような優しい眼差しで見つめた。
はい。あれは私が中学三年になったばかりの四月のことでした。春休み明けの始業式の日、変わった新任教諭がやって来たんです。