救助活動(その1)
「カー。君がこの黒松に登って要救助者を助けに行くというのか!?」
風妻真吾二等陸尉は金髪ロングヘアに青眼の女性自衛官、マリアン=梓絵那=カー二等陸曹の具申に驚いた表情で答えた。彼女の方が背が高いので自然と風妻はマリアンを見上げる形となる。
「ザッと見たところ要救助者の所まで一〇メートルってところか、……カー二曹アナタが行くより私が登った方が良いんじゃないかしら?ほら私の方が体重軽いし……」
ショートカットで見た目はボーイッシュの陸曹長、岡林怜奈も登る気満々だ。
「まてまて、この黒松を登るといっても要救助者の引っかかってる枝まで一本も枝が残っていないんだぞ。どうやって登るきだ!?」
風妻の言う通り、マリアンと怜奈が登ると言い張る黒松は津波にさらわれたのか、裸の女性が腹部を軸に引っかかっている枝より下は幹だけで綺麗に枝がへし折られた状態だった。
「何を言ってるですか隊長、日本には古来から枝打ち職人に伝わる木登り方法があるじゃないですか」
マリアンが赤子を胸に抱き微笑みながら言う。
「枝打ち職人?スギやヒノキの下枝を剪定する人たちのことか?それが黒松に登ることといったい何の関係があるんだ?」
それに対してマリアンが、
「現在は木をクライミングするのに便利な道具がありますけど、枝の剪定をする方たちは昔から『ぶり縄』という方法を使って木登りをしていたんです」
「ぶり縄?」
風妻は首を傾げる。今一ピンとこないらしい。
「カー二曹、赤ちゃんを隊長に預かって貰って。私たちどちらかが登りましょう。隊長宜しいですね?」
「何?具申の承諾はまだしてないぞ、岡林!」
「じゃあ他に方法があるんですか隊長? カー二曹の具申に代わる代案があるというなら出してください」
「……いや……ない」
風妻はがっくりうな垂れる。
「しかしそのぶり縄とやらのイメージが俺の頭には今一上手く湧かないんだが大丈夫なんだろうな」
「それはもちろん折り紙つきです」
怜奈はまだ一〇代の面影が残る若々しい笑顔で答えた。
「じゃ、カー二曹、赤ちゃん隊長に渡して」
「あ、はい。隊長すみません、宜しくお願いします」
「お、おい。お前たち」
マリアンは抱いていた赤子をそっと風妻に手渡した。
すると風妻の腕に抱かれた瞬間赤子が急に火が点いたように泣き出した。
「お、おい。カー、泣き出してしまったぞ。一体どうすりゃいいんだ」
「あやしてください」
マリアンがこれ以上ないという笑みで風妻を突き放す。
「あやすって言ったってお前……岡林頼む代わってくれ」
たまらず風妻は怜奈の所までいって赤子を突き出した。
「ダメです。今からどっちが救助に向かうか決めますから」
「決めるってどうやって?」
烈火の如く泣く赤子を腕に抱き直して、あやしながら風妻が訊く。すると怜奈が砂浜に落ちていた針葉樹の葉を二本拾い上げ、
「これで決めましょうかカー二曹」
と、一本をマリアンに与えた。
「お前らなぁ! 緊急事態の時に何やってんだ!!」
マリアンと怜奈どちらが要救助者の所まで登って救助活動を行うか、それが松相撲で決められるとあって風妻は怒り心頭だったが、それがかえって赤子の泣き声に油を注ぐ。
「大丈夫です隊長すぐ済みますから、いくわよカー二曹」
「はい。岡林曹長」
怜奈は自分が持っていた松の葉の叉を軽く開き、マリアンが両手で開く松の葉の叉の間に尖端からからそっと通した。針のように細い葉ががっぷりと組む。
「「せーの!」」
ピッ、と小さな音がして勝負は一瞬でついた。
「……わたしの勝ちです。岡林曹長」
「そうね気を付けて行ってらっしゃい」
マリアンは背負っていた迷彩柄のリュックサックを地面に置くと、中から直径三〇ミリメートル程度、長さ六〇センチメートル程度のヒノキの丸棒二本と、一〇数メートルのシュロ縄を取り出した。二本の丸棒はそれぞれ片方ずつシュロ縄が巻き結びされ、その形は例えるなら長いロープがついたヌンチャクといったところだ。
「それがぶり縄か? こいつでどうやって登るんだ?」
風妻が不思議そうにまじまじとマリアンが手に持つぶり縄を見詰める。彼の抱いた赤子はマリアンに近づくと急に泣き止み、さも彼女の乳房を求めるように両手を伸ばした。
「女の子なのに現金なヤツだ。カー、この赤ん坊は俺より君の胸の中がお気に入りらしい」
やれやれといった感じで風妻はため息をつく。しかしマリアンはこれから黒松に登り要救助者の救助に向かわなければならない。
「すいませんが、もう少しこの子を見てあげていてください」
マリアンは申し訳なさそうに風妻に言うと、
「それでは行って参ります」
と、まず風妻にそしてその後怜奈に敬礼をした。
「あ……ああ」
「気を付けてね」
風妻が赤子を落とさないように気を配りながら、怜奈がビシッと引き締まった面持ちで返礼する。それを見届けるとマリアンはぶり縄を持って、要救助者が引っかかっている黒松に向かった。
「あれでどうやって登るのか、やはり俺には想像がつかん……」
「見ていればわかりますよ……って、隊長無線機でどちらに連絡を?」
「あぁ、鶴見たちにちょっとな……そうだ岡林赤ん坊を預かってくれ。このままじゃ無線もおちおち使えやしない」
そう言って風妻は怜奈に泣き続ける赤子を渡すと、蓮槌海岸の別の場所で行方不明者を捜索している鶴見清武一曹と国東緋色三曹に何やら無線で伝えていた。
「……なるほど、それがあった方が確かに安全ですが今は急を要します。到着は待っていれれませんよ」
怜奈は真剣な眼差しで風妻を見つめる(因みに怜奈が抱いている赤子は彼女があやすと暫く愚図っていたがその後はすっかり泣き止んでいた)。
「鶴見たちが来る前に始めるってことか……大丈夫なんだろうな、そのぶり縄とやらは……」
風妻は心配になりマリアンについて行き彼女の様子を覗き込む。
「問題ありません。私もカー二曹も立派な木登りガールですから」
怜奈は特にマリアンのことを心配していなかったが、腕の中の赤子を気づかいながら彼女の傍らまで行き、風妻とは逆の位置に立ち様子を窺う。
「木登りガール?何だそれは? 山ガールなら知っているが……」
風妻が首を傾げるのとは反対に怜奈は表情に余裕があった。どうやら彼女はぶり縄がどんなものか知っているようだ。
マリアンが左手に持った片方のヒノキの丸棒を黒松の幹とは直角に、彼女の目の高さより上にあてがった。
「もしかしてあれが足場になるのか?」
風妻が怜奈に尋ねる。
「はい。この後、右手に持ったシュロ縄を黒松の幹ごと……左から右にぐるりと一周させ、丸棒の巻き結びされている側とは逆側(右側)の丸棒にシュロ縄を一回しっかり巻き左手で持って固く締め付けます」
「何か十字架が出来上がったようだが……」
「これが先ほど隊長が仰った通り、木を登るための基盤になるのですが、あれだとまだ不十分です」
「あのままだと締めている左手を離してしまうとヒノキの丸棒が地面に落ちてしまうな」
「はい、それとあれだけでは足場が足りません、登り降りを楽にするために輪っかを一つ作ります」
「輪っか?」
「見ててください、カー二曹は丸棒が落ちないよう左手でシュロ縄を締めながら右手で縄を結構長めに持ってますよね。あの余分に余っている部分が輪っかになります。そして幹の前を通って逆側(左側)の巻き結びされている方の丸棒とシュロ縄の間に上から縄を入れて幹の前を更に逆(右側)に返しシュロ縄を丸棒に三回巻きつけます。すると手を離しても……」
「おっ、落ちないな」
「で、輪っかに右足を掛けて幹に両手で掴まりながら、左足、右足、と丸棒に両足を掛けます。すると――」
「二メートル近くも登ったな」
「はい。カー二曹は身長が一九〇センチ以上あるのでぶり縄で木を登るのも速いんです」
すると黒松の幹に張り付いていたマリアンが上から、
「岡林曹長お願いですからわたしの身長をばらさないでください。わたしすごく気にしてるんですから」
と焦り気味にクレームを入れた。
「だから一九〇センチ以上ってぼかしたじゃない。四捨五入したらアナタ――」
「わーっ!わーっ!怜奈それ以上言わないで!」
プライベートでマリアンは彼女のことをそう呼んでいるのだろう、任務中にも関わらずマリアンは素に戻って、焦りながら両手をわたわたさせるとバランスを崩しそのまま背中から落下した。
「危ない!」
そんなマリアンを風妻は、彼女が砂浜の地面に叩きつけられる前に、背中と両脚を抱え、抱き止める。
「おい、大丈夫か?カー?」
風妻の腕の中でマリアンは目をぱちくりさせている。
「ご免なさいカー二曹、まさかあんなに動揺するとは思わなかったわ」
怜奈も赤子を抱え、風妻とマリアンの傍に寄り座る。
「隊長……」
「何だカー? どこか打ったか?」
「いえ、この高さなら地面も砂浜ですし、落ちても大したことはないとは思うんですが……」
「あ……ああ。そうか、余計なことしたのか?俺は?」
「そんなことありません。ただ……」
マリアンは頬を赤らめる。
「ただ? 何だカー?」
「右手が……」
「右手が何だ?痛めたのか!?」
「いえ……隊長の右手が……」
「俺の右手?」
ふにっ、と迷彩服からでもわかるその柔らかさ。風妻の右手はマリアンの脇の下を通して彼女の豊かな右乳を鷲掴みにしていた。
「――!! すっ、すまんっ! カー!」
風妻は慌ててマリアンの右胸から自分の右手を離すと彼女を砂地に立たせた。
「わざとじゃないんだ、本当だ!」
慌てる風妻に対しマリアンは
「わかってます」
と、顔を赤らめながらも冷静な声音で答えた。
その様子を見ていた怜奈が、マリアンに自分に向かって屈むように促し、彼女の耳元で、
「ゴメンね隊長の前で身長の話をして」
と、耳打ちした。するとマリアンは、赤らめていた頬を耳まで真っ赤にして暫く固まってしまった。
「一体何をひそひそ話してたんだ、岡林?」
再びぶり縄で黒松に登り始めたマリアンをよそに、風松が怜奈に問うた。
「秘密の女子バナですので男の方にはちょっと……」
怜奈は赤子を抱きながら苦い顔をしてお茶を濁す。
すると風妻は今登っているマリアンの方を見て、
「そうか、ならば必要なこといがいもう効かん」
と、顔を引き締めた。
そんな風妻の横顔を見て怜奈は、
「隊長は背の高い女性のことをどう思いますか?」
と、訊いた。
「別にどうも思わん。ただそれがカーのことを指しているのなら、あいつは俺の優れた部下の一人、ということだ」
「そ…う…ですか」
この風妻の言葉に怜奈は悲しそうに表情を曇らせた。
「それより岡林、カーが二段目に登ったのは良いが、これでぶり縄の丸棒を全て使い切ってしまったぞ。これでは三段目に登れない、どうするんだ?」
「あ……ええ、心配ありません隊長。三段目に登るには一段目のヒノキの丸棒を使います」
その言葉に風妻は小首を傾げる。
「一段目の丸棒を使うったって、確り木の幹に固定ささっているじゃないか。どうやって外すんだ?」
「ぶり縄は木を登る人の体重を支えるのに非常に優れた技術です。見ていてください、カー二曹が一段目側のシュロ縄を掴んで何度か上に引っ張ると……」
「あ、黒松の幹にシュロ縄で固定されていた丸棒が取れた!」
「後はあの一段目に使ったヒノキの丸棒を三段目として、木の幹にこれまでと同じ要領で固定して登って行くわけです。もうお気づきかと思いますが四段目に登る時は二段目の丸棒を外してそれを利用して登ります」
その通りにマリアンは四段目を登り、そして五段目を登った時ついに目的の枝に辿りついた。
「さて、問題はここからだな」
風妻は黒松の中腹(地上一〇メートル付近)に居るマリアンと枝に引っかかっている要救助者の女性を見上げた。
「そうですね、要救助者の女性は幹から更に二、三メートル離れた所にいますし、カー二曹もあのままじゃ手が届きません。あっ!――」
マリアンは要救助者の女性が引っかかっている枝にぶり縄の丸棒からサッと飛び移ると、平均台……いや綱渡りの要領で歩き彼女に近づいていった。
「おいおい、あいつあんな図体して軽業師みたいな真似も出来るのか!?」
マリアンを見あげ指をさして驚く風妻。
「いえ、私もあんなに身軽なカー二曹を見たのは初めてです。そんな、まるでマンモスが綱渡りしてるみたい」
その時、風妻と一緒にマリアンの一挙一動を見守っていた怜奈は、自分の腕に抱いている赤子が淡い光を放っていることに気がつかなかった。