母親(その2)
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竹城まりあは一階の廊下から台所に着くと、隣の居間へと向かう。
電話はまだ鳴り続けていた。
電話の前に来ると、ディスプレイに表示されたナンバーを確認。
案の定、番号はフリーダイヤルだった。
「あー。もうこれはセールス率高いよね、完全に知らない番号だし。うん、電話出るのやーめよっと」
コール音の発信元からクルッと一八〇度身体を回転させ、後ろ手に両手を組みながら、舌をペロッと見せる白いワンピースに青いカーディガンを羽織った白肌青瞳の少女。
しばらくして電話は鳴りやんだが、まりあは着信拒否の設定をしようとしない。(と、いうか出来ない)
取扱説明書を読めばセットの仕方がわかるのかもしれないが、生憎まりあも茉莉香も機械オンチな所がある。
液晶TVにいたっては録画機能すらも使った事がない。
かといって全ての機器・機械類が苦手というわけでもなく、まりあはユーザビリティーに優れたPCや携帯、最近興味を持ち始めたゲーム機プレイスターションカトラス(現在中学で寮生活している弟の十矢が置いて行ったもの)をある程度使うことが出来るし。
茉莉香もIHクッキングヒーターや電子レンジ、炊飯器等も問題なく使いこなすし、車の運転にいたっては、自動走行システムが確立された現代においてもオートモードをOFFにして自分で運転したりもする。
「この電話機の着信拒否の設定のしかたって面倒なんだよね。お父さんが帰って来てくれればお願い出来るんだけど……」
父親の竹城政矢は仕事の虫で滅多に家に帰らない。
帰って来ても朝方が殆どで、朝食も夕飯の残りで済ませ、さっさと出社してしまう。
もう、ほぼ会社が自宅状態になっていた。
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子供の頃は随分と苦手だったTVゲーム。
親友の鈴原マキの家に遊びに行った時も、いざ彼女がプレイスターションダガーを持ち出してきて、ゲーム大会をしよう、と言い出して来ると、まりあは、マキや彼女の兄龍夜、自分の弟十矢までもが、なんだか別の人間に見えてきて、楽しそうにプレイしているのをただ遠巻きに見ていただけだった。
そんな中、まりあに手を差し伸べてくれたのはマキの兄、鈴原龍夜だった。
シューティング系を得意としているマキに対して、RPG系に脈があると感じた彼はまりあにドラゴンクインテットシリーズを進め、妹にもそれをプレイすることを促した。
お蔭で二人の間にはゲームの話題でもトークが広がり、まりあも苦手ながらもマキのプレイしているシューティングゲームにチャレンジし、彼女たちの仲は正の相乗効果をもたらした。
今。まりあとマキは、『ドラゴンクインテットヒロインズ 竜の歌姫と勇騎士王の泪』にはまっている。
――スパゲティ王国の聖装騎士兵団に滅ぼされた黒竜の一族。
主人公はたった一人生き残った黒竜族の姫。
まだあどけなさの残る彼女は、泪を拭き、一族を滅ぼした聖装騎士兵団を率いる勇騎士王ナポリタンを倒す事を心に誓い立ち上がる――。
というのがこのRPGの初めの部分のコンセプトだが、プレイヤーは只レベルを上げて装備を揃えるだけではない。
一族の仇を討つため、そしてドラゴンの土地を取り戻すため、主人公は人間と戦いを続けていくのだが、段々と心の奥に虚しさを感じ始め、ついにはその虚無に自らの心の大半を蝕まれてしまう。
ある日、聖装騎士兵団との戦いで心身共にボロボロになった主人公は、癒しの泉を求め森をさまよい、泉の傍でふと精霊の歌声を聴く。
泉のほとりに佇み、月に自らの美声を披露していた精霊の花麗な歌を、木陰に背をあずけて聴いていた黒竜姫は、やはり争いは何も生まないことを悟り、人間から敵対視されている他の五つの竜族の姫たちを仲間に加えて五重奏を組み、主人公は己の歌声で自分たちが人間と共存できる平和な、文化を持た有用性ある種族であるとアピールしようとする所が本筋でありミソである。
ところがパーティを組む条件として各竜姫から無理難題を吹っ掛けられ、結局主人公は人間と戦う羽目になってしまう。
戦の只中、黒竜姫は叫ぶ。
『私たち竜族は化け物なんかじゃない、人間とだって心が通じ合えるはずなんだ!!』
襲いかかって来る騎士・兵士たちを前に、少女は金眼から溢れる泪を月に投げ、漆黒の長髪を躍らせ歌いながら剣を振るう――。
「いやー、最近のCGは良く出来ているよね。システムも良く練って作られてるし、シナリオも逸品だけど、何より鳥山きららのキャラデザが最高」
現在まりあは、紅竜姫スカーレットを仲間にしようと奮闘している。
天にそびえるハバネロ山の麓に居を構える炎極城の城主、紅竜王が娘スカーレットは、紅色の長髪をクルクルと縦ロールに巻いた高飛車な竜姫だ。
なにより彼女に会いに行くだけで溶岩の沼地にガリガリHPを削られ、何時、敵と遭遇するかひやひやものだった。そしてやっと対面出来たと思ったら、
『あらアナタ程度の実力で、ワタクシを仲間に出来ると思って? おあいにく様。何故アナタの一族の敵討ちのために、ワタクシが勇騎士王ナポリタンの討伐に力を貸さなくてはなりませんの』
玉座から主人公を見下ろすスカーレットは、黒色の露出度の高いレザーアーマーを身に纏い、足を組んで手の甲で頬杖をつき主人公を侮蔑する。
が、黒竜の姫は諦めない。
自分たち竜族が人間と同じく文化を持ち、人類と等しく共存出来る有用性ある生物である事を証明するため、他の竜族の姫とも協力しクインテットを組み、黒竜の末裔である自分が五重奏に合わせて勇騎士王ナポリタンの前で歌を歌うことを紅竜の姫に伝えると、
『何を馬鹿な事を!! アナタは一族が滅んだせいで気がふれてしまったんだわ!!』
高き玉座から打ち振るわれる一振りの鞭舌。
しかし主人公は怯まない。
そんな彼女の堅い意志の光が篭った瞳を見下ろしたスカーレットは、
『……どうしても私に協力を仰ぎたいのなら、あの天空までそびえるハバネロ山の頂に封印された、聖紅玉がはめられたグランドピアノ、紅玉の鋼琴を私の所に持って来ることね。そうすればアナタの仲間になってあげなくもないわ』
そんな理不尽な要求にも屈せず、主人公は承諾する。そんな少女に紅竜姫は、
『言っとくけどハバネロ山はスパゲティ王国の強化兵団が陣を構えているんですからね。その中でも団長のマリナーラはずば抜けて強いのよ。アナタが黒竜族の末裔でも簡単に勝てないんだから。死んじゃうかもしれないんだから――』
急に態度が軟化したスカーレットに主人公は、クスッと柔和に笑い、心配してくれてありがとう、とツンデレ姫に感謝する。
そんな黒竜姫に、紅竜王の娘は玉座を立ち紅の長い巻き髪を手櫛でサッとなびかせると、
『な、何を言っているの!? べ、別に心配なんてしてないわよ! 勘違いしないでよね!!』
そう叫んで謁見の間を去っていくスカーレットを、微笑ましく見送る主人公。
結局まりあはハバネロ山の攻略は出来ず、仲間を一人も得られないまま今日にいたる。
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それを思い起こすと、実に残念、とばかりにまりあはふぅーっと深い溜め息を着く。
彼女は昨夜も遅くまで夢中になって自室でドラゴンクインテットをプレイしていた。
すると茉莉香がそっとまりあの部屋に忍び入り、後ろから抜き足差し足で近づいて、ガシッとスリーパーホールドを仕掛けてきたのだ。
「わっ、ビックリした! お母さんマキみたいなことしないでよ」
「んふふっ。マキちゃんのお母さんとあたしは小・中学まで同じ学校に通ってたからね。親友のよしみで昔は色んな技掛けられたっけ。懐かしいなー」
遠い目をしながら娘を締め上げる茉莉香。
「ちょ、苦しっ。お願いだから、勘弁…してぇ~」
「じゃあもう寝るか? 明日は引越しの日なんだゾっ」
「寝る、寝ます…から!」
「うん、よしよし」
パジャマにカーディガンを羽織った姿でじゃれ合う二人。
その光景は母娘というよりまるで姉妹のようである。
まりあの頭部と顎の下をガッチリ絞めつけていた茉莉香は、その両腕のロックを解いて、パジャマの袖口から出した手の平で天使の輪が光る少女の頭を撫でた。
サラサラとした娘の髪の感触に満足気の茉莉香は、
「ゲームは逃げやしないから、今度帰って来たときに遊びなさい」
そう言って口角をキュッと上げると、今度はお風呂上がりのまりあの身体を後ろから、ひしっとハグ。
「う~ん。洗い立ての良い香り……」
「ちょっと、犬みたいに人の頭くんくん嗅がないでよ!」
「いいじゃない。暫くこの『まりあロマセラピー』も楽しめなくなっちゃうんだモン」
シャンプーと甘い匂いの入り混じった娘の芳しい香りを胸一杯に吸い込んだ茉莉香は、ぎゅっとその華奢な身体を抱きしめた。
「まったく『まりあロマセラピー』ってなによ。わたしは癒しグッズじゃないんだぞ」
そう言いながらも、まりあは自身の背中を母親の豊満な胸へと預けた。
母娘は互いの体温を感じ合い、互いの体匂に鼻腔をくすぐらせる。
それは悠久に感じられる一時だったのだが……。
「……お母さん、何をしているの?」
「あ……いやー。自分の娘がどのくらい成長しているのかな~、って」
何を思ったか、母娘水入らずに水を差したのは茉莉香自身だった。
ことにかいて彼女は、背後からまりあのたわわな乳房をむんずっと掴み、堪能するように揉みしだいたのだ。
「実の娘に何をするか!」
少女は母親の魔手の甲を摘み、思いっ切りぎゅ~っと抓る。
「いったッ! ちょっとまりあ~痛いわよぉ! ――あ~あ~、こんなに赤くなってるぅ~」
まりあは茉莉香が怯んだ隙に絡み付いた腕を強引に振りほどき、フゥーフゥーと手の甲に息を吹き掛けている彼女を尻目に、プレイスターションカトラスをかたずけ始めた。
「いい加減子離れしてよ。明日からわたし寮生活になるんだよ」
「そうよねー。そうなるとこの家には殆どあたし一人ってことになるわよねぇ。あなたといい十矢といい、なんで家の子たちは揃いも揃って寮生活が好きなのかしら?」
立てた人差し指を顎に当て、小首を傾げ困った顔をする茉莉香。
それを見たまりあは、
「そんな顔しないでよ。たまにマキのお母さん呼んで、お茶すればいいじゃない」
「ダメよー、リンは。興業に復帰するために忙しくて、そんな暇ないわ」
「えーっ! 引退したんじゃなかったの!?」
驚く娘に茉莉香はウィンクして、
「前言撤回だって。手術した右膝が凄ぶる調子良いみたい。みちのくアマゾネスの社長にも復帰して、鈴原リン、じゃなかった。プロレスラーくノ一、ザ・グレート・アスカここに在りの狼煙を高らかに打ち上げたいみたい。それに……」
影を落とす母親の顔にまりあは察して、
「……龍夜さんのこと?」
「ええ。リンったら、『あたしの闘姿をこの空の下の何処かにいるバカ息子に見せてやるんだ』って凄く張り切ってたけど。本当は自分で探しに行きたいくらい心配してると思うわ」
「龍夜さん、無事でいてくれたら良いんだけど……」
「そうね……」
――続く沈黙。部屋の空気が重くなる……。
「そ、それでマキのお母さんの復帰戦は何時頃になるの?」
居たたまれなくなったまりあが強引に切り出して、海底に沈みゆくフィールドに浮力を与える。
それはまだわからないけど、リハビリは終えて、今はジムで肉体・体力作りに専念しているの。
夫の鐘虎さんが社長代理を務めているから団体は存続しているし、リンが、ザ・グレート・アスカとして戻って来ればまた活気づくと思うわ。
親友の再起を、茉莉香はとても嬉しそうな様子で語った。
「マキのお父さんが社長代理……、じゃあ、バスケットボールクラブチームのコーチは……」
「辞めたそうよ。鐘虎さんも随分悩んだみたいだけど……。『子供たちにバスケを教えてやれるヤツは他にいるけど嫁の会社を支えられるヤツは俺しかいない』って、みちのくアマゾノスの社長代理を引き受けたの。リンが戻って来た後も、オーナーとして彼女と一緒に団体を支えていくらしいわ」
「へえ、凄い。それってマキのお父さんの働きが認められたってことでしょ?」
「そうね。リンの旦那さんといっても、今までプロレス団体とは無関係の人だったから……。でも、彼女が膝を壊して、本人も思うような試合が出来なくなって一時期引退を表明した時、彼は見抜いていたみたい、この引退は自分の妻が心から望んでいるものではないって事に……」
「――それじゃあ」
こくんと頷いて茉莉香は続ける。
「鐘虎さんはリンが再びリングに復帰することを予期していたんだわ。だからバスケットボールのコーチを退いて、みちのくアマゾネスの社長代理に就いたの、再び彼女がザ・グレート・アスカとして帰って来られる場所を守るためにね」
団体の内部から反対の声は上がらなかったのだろうかと思い、まりあは母親に訊いてみる。
「リンの話ではあったそうよ。特にバーコードヘッドの専務が一番反対してたらしいわ。でも鐘虎さんはこう言ったらしいの、『私が社長代理に就任してから一年で、前年度の興業収入を上回ることが出来なければ社長の座は専務、あなたにお譲りします』ってね」
「で、有言実行したんだよね?」
「勿論。でも、ぶっちぎりって訳じゃなくて、前年比を数パーセント上回っただけらしいんだけどね」
「でも、勝ちは勝ちでしょ」
「当然。バスケだって例え一点差でも、勝者と敗者に分かれることになるんだもの。それこそバーコードの専務さんは、歯軋りして口惜しがっていたそうよ」
「マキのお父さん経営の仕事は初めてだったんでしょ? 凄いよね」
「本当、男らしいわぁ。あ~あ、あたしも同じ経営者でも鐘虎さんみたいな人に愛されたかったなー」
顔を赤らめウットリとした眼差しで頬に手をやる茉莉香。
「ちょっとちょっと、妻としてその発言はどうなの! もしそんなことになってたら、きっとわたし産まれてないよ!」
「うそうそ、ジョーダンよ。 少なくともこの世界のあたしは政矢さんにゾッコンだから。例え今は家庭を省みない夫であってもね」
にこやかに右手を前に出して、パタパタと何度も上下に振りながら惚気た茉莉香の唇は、幸せの色を湛えていた。