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不快指数

作者: らむ

 夏の最中に雨が降っていた。

 外は毎日のようにニュースが死者を報道するほどに暑い上、雨のおかげで湿度はいつもの倍以上に感じられる。不快指数はニュースを確認することも無く異常なほどに高いだろうことは容易く予想がついた。

 エアコンを除湿モードに切り替えて、私は自分のアパートにすっかり引きこもりになっている。エアコンの室内設定温度は限界値まで低くしてあるのに、私の体ときたら僅かに動いただけで汗を噴出すのだから困ったものだ。そんな訳で私は、買ったまま半年も放置して、ページをめくることすらしていなかった投稿小説の雑誌なんかに目を通しながら麻のカーペットの上に身を横たえてただこの殺人的な熱と湿度がどうにかなればと祈るような気持ちで時間をもてあましていた。

 カーペットの足りなかったむき出しのフローリングに裸足をぺたりとくっつけて僅かな冷たさを楽しみながら、雑誌の文字を目で追うことをやめて、私は溜息を吐く。

 熱と湿気、気だるい夏の雨の中。私の足元で腐敗を待つ死体の存在を私は無視できなかった。


 

 その死体は、死体として生成されて間もなかった。元は私の同居人であり、今朝方私が手をかけて殺めたものである。

 事の発端は下らない諍いで、日ごろならば聞き流しておしまいになっているようなものだったのだが、いかんせん今日はお互い虫の居所が悪かった。私は私よりもずっと小柄で細い体の同居人が激昂し、無駄に大きな声で私を罵倒する事に耐えられなかった。



 私は雑誌を読むことに飽きて、その辺に投げ捨ててあった煙草の箱を手に取り、中から一本を抜き出して箱の中に入れられていた簡素なライターでソレに火をつけた。一吸いした後、いつもは部屋の不定位置にある大きなガラスの灰皿を探したが、灰皿は私自身の手で不燃物のゴミ袋に仕舞い込んだ事を思い出した。仕様が無いので、飲みかけて放置してあったペットボトルのスポーツドリンクの中に、灰を落とした。



 私はそのとき、同居人の声を床に寝そべったまま適当な返事であしらっていた。肩肘を床について大きな灰皿を胸元に抱き、煙草を一本も吸っていればそのうちに止んでしまう、夏の通り雨のように思っていたのだ。まともに受け答えするだけで体中がじっとりと汗ばんで不快感は増すばかり。私は本当に何もしたくない気分だった。しかしながら同居人は元気だった。私の無関心な態度が同居人の火に油を注いだらしく、寝そべったままの私に馬乗りになり、私の髪を鷲掴んで思うがままに罵詈雑言を浴びせ続けた。

 急に首が動かされた上に、頭皮に鋭く痛みが走る。私は怒りに我を忘れた。

 


 辺りに飛び散った灰を掃除するには、世界はどうにも暑すぎる。私は醜くペイントされた灰皿を廃棄しただけで部屋の惨状を何とかしようという気はさらさら無かった。飛び散った吸殻や灰も、額を割った同居人がだだ漏らす赤い染みも、私はそのままにしてこうして怠けているわけである。

 実のところ、面倒だからと私は同居人が本当に死んでいるのかどうかを確認もしていなかった。思いがけずに大量の血を流しているにもかかわらず身動きひとつしないところを見て死んでいるのだろうと予想しているだけである。実際のところ、私にとってそれが死んでいようが生きていようがあまり関係は無い。黙っていてくれればこれほどありがたい事は無いのだからだ。


 雨はやまない、熱も引かない。エアコンの機会音とアパートを叩く雨粒の音、私はとにかく不快な気持ちで一杯だった。


 雨が止まないまま外はだんだんと暗くなっていった。しばらく前に止まったままの壁掛け時計は今の時刻を私に教えてくれはしない。朝からスポーツドリンクを数口と煙草以外何も口にしてはいなかったが、同居人を殴ったときと生理現象以外で立ち上がることをしなかった私は空腹をまったく感じていなかった。この暑さと湿気だ、空腹だったとしても食事をとる気にはならなかっただろう。

 殺人的な暑さは僅かに和らいでいた。相変わらずの湿度だったが、熱さえ引けば我慢できないほどではない。幾分私の不快感は和らぎつつあった。


 足元でいまだ身動きをしない同居人を一瞥してみる。静かでいてくれて助かったが、始末に困るな。そんなことを考えながら、私はやがて知らぬ間に眠りに落ちていた。



 目が覚めたのは翌日だった。開けっ放しだったカーテンの外は薄暗く、エアコンの音と雨の音は昨日と等しく私の鼓膜を震わせている。今日も雨、エアコンの甲斐も無く熱い。

 昨日はみずみずしく光っていた同居人から流れ出た血は、今日になって黒く乾いて床にこびりついていた。麻のカーペットが、濡れて乾いた後ごわついている。

 これの処分が億劫だから警察に行こうかとも思っていたけれど、外は雨だ。

 私は、不快指数を理由に今日も怠けることを心に決めた。


 静かな室内、外よりも僅かに快適で、私に怒りをもたらす存在も無い場所。

 まさに怠けるには最適の場所とシチュエーションじゃないか。


私は露や夏の暑さや湿度とは無縁の土地で成人まで育ったので、成人後そういう土地での環境に喘いだものですが、不快であればあるほどきっと無駄な感情が芽生えちゃうものなんだろうなと思いました。

ああ、もうすぐ夏も終わりかぁ

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