あれから……
春。
数々の命が芽吹き、全ての動植物が快活に美麗になる季節がまたやってきた。
けれども、この雄大な景色には見慣れない物が多い。
緑美しい森には人食い草をはじめ、全身鱗の巨大生物。
視界の大部分を占める空には飛竜。
街は中世を思わせるような景観。
普通に暮らしていれば、お目にかかることなんて無い。
中学三年の春。なにがどうなってこうなったのかはわからないが、俺はこの世界に突然、転移した。
最初こそは衣食住の確保が大変で死にそうになったこともあった。 しかし、マウネル夫妻に行き倒れてるところを保護してもらい、学校にまで行かせてくれたのだ。
そして元の世界への戻り方を探りつつ過ごしているうちに、一年が過ぎた。
生まれ故郷のことも忘れられないが、マウネル夫妻がよく面倒を見てくれているので生活も不自由してない。
元の世界への帰る方法がわかるまで郷愁は胸のうちに秘めていよう。
「次、チガサキ!」
4、50人はいる中庭に、鉄製のよろいを身に纏った屈強な男が俺の名前を呼ぶ声が響き渡る。
さてと、回想による現実逃避はここまでのようだ。
本日は高等魔術学校の召還儀式の日。元の世界でいうところの高校受験的なものだ。
この日に一生を共にする聖獣や精霊を召還し、主従関係を結ぶ儀式を行う。
主従関係を結んだ聖獣や精霊は、例えば魔族に襲われたときなどに呼び出して戦わせたり、精霊なんかは病気になったときに看病させたり、聖獣も移動手段に使えたりといろいろな場面で活躍する。
つまり、今日の儀式は大変重要で主従関係を結べなかった人はこの世界では致命的。けれども、そんな奴は全くといっていいほどいないらしい。
だがしかし、その可能性があるのがこの俺。
なぜなら、まず異世界の人間ということと、もうひとつには中等教育学校での魔法成績が記録的なほど悪く、もちろん最下位だったということ。 いまだに超絶的に簡単な回復系魔術くらいしかできない。
失敗したらどうしようという焦燥感と陰鬱な気分に苛まれる。
もはやこれまでと 木の下のベンチからおもむろに立ち上がった。
「はいっ!」
力強く呼応し、男の前に出る。
軍人のような男は俺の顔を事前に提出した書類と見比べながらの本人確認。
時々睨むような視線が強面から発せられ、身震いするほどに怖い。本当に教師なのかこの人。
男は照合できたのか「うむ」と小さく一人合点した。
「試験会場はこっちだ。 ついてこい」
そう言うと、男は中世のヨーロッパの城を連想させるような建物の門に向かって進み、重々しい扉を落ち着き払って開けた。
中は松明が設置されているものの、夜の森と同様の 暗さや不気味さを 発揮している。
その薄暗くて不気味な廊下が不安を煽っているようで、足を踏み入れることを躊躇った。
しかし、男は俺の不安を顧みずどんどん奥へと進んでいく。
落ち着いていこう。 誰も失敗したことはないはず。てか、先生速いよ。
俺も一発気合を入れてから、覚悟を決めて男についていこうと足を踏み入れようとしたそのとき、隣のドアが開いて中から小柄で純白のローブを着た、ブロンドのナチュラルミディアムの髪型の女の子が現れた。
ん? フレリアじゃないか?
顔を確認しようと注視していると、その人物は俺を捉えるなりタタタッと小走りでやって来る。
「ジン!」
そして俺の名を叫ぶと、バッと飛びついてきた。
相手は両手をいっぱいに広げていて、避けることができず。
「どわっ!?」
反射的に受け止め、衝撃を吸収しきれずそのまま倒れてしまう。
したたか背中を打ちつけた。かなり痛い。
そしてフレリアは俺の胸に顔をうずめ、目を細めて、幸せそうに被さっている。ローブ越しに伝わる女の子の温もり……。
健全な男子といえどこの状況はいささか嬉し恥ずかしく、周りの「こんなときになにやってんだよ。このバカップルがっ!」みたいな視線が痛い。
しかし、 体勢が体勢なので起き上がることができない。
「フレリア、頼むからどいてくれないか? このあと俺も儀式があるんだ」
周りからの刺々しい視線を避けたいのと、早くしないとあの先生は なにするかわからないという恐怖から、フレリアに懇願した。
「やだっ! 離れたくない」
フレリアは口の先をツンとしてつっけんどんに返し、また顔をうずめる。
これだから、わがままお嬢様は……てか、さっきまで離れてただろ!
周りの空気が、もう刺々しいを超えて殺気すら感じられるほどに悪化しているのが手に取るようにわかる。
「あのなぁ、空気を読め! 今日は大事な日なんだから」
いち早くこの状況から脱するため語気を強める。
頼むから解ってくれ、ていうか周りの空気に気付け!
それでもフレリアはその場を動こうとせず、ただ顔だけ起こしてむっとした表情で。
「……わかった、あと2時間」
「なんもわかってねぇだろ!?」
どうやら聞き入れてくれない様子。
もう焦りを通り越して、途方に変わる。
やむを得ない。あれを使おう。
「フレリア。俺から提案がある」
そういうと、フレリアはピクリと反応した。
そして、期待で満ちた顔を向けてくる。
元の世界でもこの世界でも女性というのはある物に弱い。
それは――。
「商店街に世にも珍しいアイスを販売している喫茶店があるんだ。それをおごろう」
甘い物。これに限る。
フレリアも例外ではなくさっきのわがままな顔が嘘のように表情がパァッと明るくなる。
「え、いいの?!」
「ああ、もちろんだ」
フレリアは小さくガッツポーズをし、無間地獄かと思われた拘束から解き放たれた。
はぁ……試験も受けていないのにすげえ疲れた……。
いまだに痛む背中を摩りながら立ち上がる。
「じゃあ、俺は行くわ。 そろそろ後を追わないと怒鳴られそうだから」
そう言い残して廊下に入ろうとしたが。
「待って!」
フレリアに呼び止められて立ち止まり、振り返った。
なんだよ、急いでるのに。
「どうした?」
ありもしない腕時計を指差して、急いでいることをジェスチャーする。
フレリアは笑みを湛え、口を開いた。
「どれくらいまで食べていい?」
それを聴いた瞬間、身が震え上がるのを覚えた。
今更思い出したがフレリアは小柄でありながら大食いで、弁当はいつも重箱三段を一人で食べる。
そんな奴にだよ? 俺はメシをおごる約束をしてしまったわけさ。
「み、店にツケることがないよう…にな……」
フレリアの質問に震える声で応えた。
「わかった。楽しみにしてるね♪」
フレリアは語調を上げて楽しげに返す。
向こうは極めて上機嫌な様子だが、俺は心の底から後悔していた。
もっと別の手段を使えば。
そう思いながら、フレリアに背を向けて廊下を走る。
不思議なことだが、あんなに暗いと思ってた廊下が今では少し明るく見えるように感じた。
よくよく考えたら、フレリアの一連の行動はあいつなりの勇気付けだったのかもしれないな。
フレリアに激励してもらったと楽観的に捉えて、松明の燃え盛る廻廊を進む。