第1話:始まりの夜
その日は、とても蒸し暑い夜だった。
昼間もとても暑かったが、夜になっても暑さが全身を包んでいるようで気持ちの悪い夜だ。
もしかしたら、暑さでは無くその先に訪れるあの出来事を予感していたのかもしれない。
少女は、喉が渇いたのか夜中に目が覚め、薄いタオルケットを体からどかしながら眠たそうに目を擦っていた。そして、隣にいるはずの姉がいないことに気付いたのである。
「…………お姉ちゃん?」
辺りを見回して姉の姿を探したが姿は見つからず、ついに少女はふらふらした足取りで母屋の居間へと向かい始める。母屋へと向かいながら少女は、ふと庭先へと目を向けた。
何かがおかしいと幼いながらも少女は感じていた。
少女が住んでいる家は、家というより屋敷と呼ぶに相応しい、現代では珍しい日本家屋であった。そして母屋と離れを繋ぐ廊下の前には、大きな池と日本庭園が広がっている。
そしていつもなら、夜になると鈴虫の鳴き声と庭に植えられた植物が風にそよがれる音が聞こえるはずなのだ。しかし、この夜は何も音が聞こえずただ無気味な静寂が広がっていた。
(…………怖い。怖いよ、お姉ちゃんはどこ?)
少女は、何かに押されるように、だんだんと早歩きから、小走りへと足取りを変化させながら先へ、先へと急いだ。
居間の明かりが見えるころには、少女の息はすっかりあがっていた。
ヒューヒューと息が乱れる中、居間の扉を開くと少女の息は止まる。
「ひいっ………」
そこは一面赤い水溜まりが広がっていた。そしてその中央には見覚えのある男女が倒れていた。
「………ちち…………はは…?」
少女は、血で染められた居間の床を踏みしめ、倒れた男女の元へと近づいて行く。そして膝をつきその場に座りこむとおそるおそる男女の顔を覗き込んだ。
「なっ、何で?…………ちち、はは、起きてよ」
少女はもう事切れているであろう父母の体をその小さな手でゆすりながら、呼び続けた。必死に呼び続けたが返事は無く、ただ呆然とその光景を見入るしかなかった。
そして、どれくらいの時間がたったであろうか、少女に近づく一つの影があった。
その影は、大きく男性のようで、その手には血で染められた日本刀が握られている。男は少女に気付くとその刀を振り上げ、少女に気付かれないようにそろりそろりと近いた。そして、少女に目掛けその刀を振り下ろそうとしたその瞬間、玄関から複数の人間の足音と声が響いた。
「ちっ、しかたない」
男は、刀を少女の首筋へと当て耳元にささやく。
「命は助けてやる。だがこの先何が起ころうと何もするな。これは、制裁だ。もし他の家族の命を助けたいなら大人しくしていろ。そう、何が起きても」
そして男は身をひるがえすと夜の闇の中へと消えていった。
残された少女は、男が言った言葉を反芻する。
「これは制裁。制裁だから、何もしちゃいけない。何かしたら家族が殺される…………」