第三話 調整痕のない魔導具
街で見かける魔導具に、私の指が反応するようになったのは、いつからだろう。
触れてもいないのに、調整の狂いが「見えて」しまう。
断罪から七日が過ぎた。
安宿での暮らしにも少し慣れた。宿代は手持ちの貯金で賄えているが、長くはもたない。
毎日、街を歩く。
王宮に近づくことはできない。断罪された者には王宮区画への立入制限がある。
だから街に出て、街の魔導具を観察する。
城下町の商業区を歩いていると、パン屋の前で足が止まった。
店先のショーケースを温めている保温器——あれも魔導具だ。
魔力循環が微妙にずれている。
まだ壊れてはいない。けれどあと十日もすれば温度が不安定になる。
(……ここの調整は、四十五日周期だった。)
この七日間で気づいたことがある。
城下町のあちこちで、魔導具の不調が出始めている。
回廊灯の明滅。水路の流量低下。調温器の温度むら。
どれも一つひとつは小さな異変で、住民はまだ気づいていない。
けれど全部、点検周期の遅れが原因だ。
手帳を開き、七日分のデータを確認する。すでに三ページ分。
管理局が正常に機能していれば、これらの不調は起こらない。
起きているということは、後任者が業務を引き継げていない。
これは「観察」だ。まだ「証拠」ではない。
宿に戻ると、エルヴィンからの二通目が届いていた。
小さな包みの中身は「共鳴測定子」——魔導具の調整精度を測定する検査器具だ。
手紙が添えられていた。
「商業区の保温器三台について、商人組合から苦情が入った。管理局は対応できていない。組合は外部技師に点検を依頼したいと言っている」
外部技師として正式に点検できれば、私の観察記録は公式な「検査報告書」に変わる。
翌日、組合事務所を訪ねた。
「フェルトベルクの……ああ、あの断罪された令嬢か」
組合長は白髪交じりの大柄な男で、腕を組んで私を見下ろした。
「はい。ですが技師資格は有効です。断罪で剥奪されたのは管理局の肩書きだけで、資格は別管轄です」
「資格があっても、断罪者に仕事を任せると風当たりが強い」
「ごもっともです。ですが、保温器が壊れたままでは商売にも支障が出ます」
「……それは確かだ。管理局に頼んでも、『順番待ちだ』と言われてそれきりだからな」
「原因の特定と応急処置は可能です。報酬は、まともに直してからで構いません」
組合長は私の手を見た。インク染みと、長年の魔導具調整で付いた微かな火傷の跡。
「……わかった。やってくれ」
こうして、私は城下町の魔導具技師として最初の一歩を踏み出した。
◇
保温器の内部を開ける。
やはり、調整痕跡がない。前回の調整は私がやったもの。あれから五十日以上、誰も手を入れていない。
共鳴測定子を当てる。値を読み取り、手帳に記録する。
これはもう「観察」ではない。正式な計測データだ。
調整を終えると、パン屋の主人が駆け寄ってきた。
「温度が安定した!ここ二週間、パンの発酵がうまくいかなくてな」
「調整周期を過ぎていました。放っておくともっとひどくなります」
「どのくらい放置されてたんだ?」
「五十日以上です。本来は四十五日周期で調整する機器です」
「五十日! 管理局は何をやっとるんだ」
「それは私にはお答えできません。ただ、調整が必要だったことは事実です」
パン屋の主人は腕を組んだ。
「管理局に何度も催促したんだがな。あんたは三十分で直してくれたのに」
「機器の状態を知っている人間と知らない人間では対応速度が違うだけです」
「それだけの話か? あんた以前は管理局にいたんだろう」
「……はい」
「辞めた理由は聞かんよ。でもな、街のみんなが困っとるのは事実だ。あんたが来てくれて助かった」
「管理局に何度も言ったんだが、動いてくれん。あんたは三十分で直してくれたのに」
「機器の状態を知っている人間と知らない人間では、対応速度が違うだけです」
三台の保温器の点検を終えて組合事務所に戻ると、組合長が待っていた。
「全部直ったよ。商人たちが喜んでいる。報酬だ」
銅貨の入った袋を受け取る。宿代の足しにはなる。
「もう一件頼めるか。水路区画の水門管も調子が悪い」
「承ります」
「それと、リアナさん」
「はい」
「あんたの仕事ぶりを見ていて思ったが……管理局がなぜあんたを切ったのか、さっぱり分からんよ」
答えなかった。代わりに、小さく頭を下げた。
「もう一つ聞いてもいいか」
「はい」
「管理局がまともに動いていないってことは、あんたの報告書を読めば素人でも分かる。商人組合として、何かできることはあるか」
「今はまだ、何もお願いすることはありません。ただ、報告書は正式な記録として保管しておいてください」
「つまり、いずれ使うときが来ると」
鋭い人だ。商人は人を見る目がある。
「来るかもしれません」
「分かった。組合の金庫に入れておく。誰にも触らせん」
水路区画への道すがら、街の様子を観察する。
商店街の回廊灯は三つに一つが消えている。
洗濯場の水門管は水量が半分以下に落ちていた。
調温器のある温室では、花屋の主人が腕を組んで首を振っている。
「お宅の温室の調温器も不調ですか」
「ああ、あんたは技師かい? もう二週間、温度が安定しなくてね。蘭が三鉢枯れた」
「管理局には連絡を」
「したよ。『対応中です』の一点張りだ。対応中で花が枯れちゃ商売にならん」
手帳に書き加える。温室の調温器も、同じ症状だ。
すべてが同じ原因を指している。管理不足。点検の遅れ。引き継ぎの失敗。
(……皮肉なものだ。いなくなって初めて、仕事の価値が見える。)
答えなかった。代わりに、小さく頭を下げた。
宿に戻り、今日の検査報告書を清書する。
万年筆を走らせながら、今日の成果を整理する。
保温器三台の修理完了。水路区画の依頼も受注。
温室の調温器は明日確認に行く。
一週間前には安宿で天井を眺めていたのに、今は仕事がある。
報酬は少ないが、確かな仕事がある。
手帳の検査報告書を見返す。
七日分のデータが、街の魔導具管理の実態を浮かび上がらせている。
これを体系的にまとめれば、管理局の業務怠慢の証拠になる。
ただし、証拠として機能させるには「正式な検査」としての体裁が必要だ。
商人組合からの依頼で実施した点検なら、外部技師の公式業務として記録できる。
組合長が報告書を保管すると言ってくれた。あれは大きい。
万年筆を走らせながら、ふと思う。
前の人生——。
また、あの感覚だ。
ときどき、「前にもこれをやった」という感覚が過ぎる。
違う場所で。違う名前で。
魔導具ではなく、光る板のようなもの。膨大な文字の列。深夜のオフィス。
前の人生でも、私は同じように仕事と格闘していた。
そして同じように、誰かに仕事を奪われた。
あの時と何が違う?
今は、証拠がある。自分の手で集めた確かなデータがある。
前はなかった。だから何も証明できなかった。
今回は違う。
報告書の末尾に日付と署名を記す。
部屋の窓から、夕暮れの王宮が見える。
その尖塔の向こうで、三つ目の回廊灯が消えた。




