【1】あの子が来たのなら、もう始まってる。―3分51秒と1メートル―
裁かれない犯罪がある。
だが、犯人が自ら裁きを受け入れた時、どこからともなくバイオリンの音が響く。
その音色は、なぜかデジタルには記録されない。
警視庁「特殊犯罪班」に所属する刑事・神谷凛久は、
この不可解な事件を捜査する中で、
真冬の川の真ん中でバイオリンを弾く“あの子”と出会う。
それは復讐でも、救済でもない。
神谷が狂っているのか、世界が狂っているのか。
それとも――選ばれただけなのか。
あなたの不幸は、どこにありますか?
「その子はただお悔やみを言ってくれただけです」
「奥さん。本当のことを聞かせて下さい。
あなたがその中学生と見られる学生と“3分51秒間”話していたのは分かっているんです。
お向かいの駐車場の防犯カメラの映像で。
その子が何を持っていたのかも、どういう状態だったかも」
「……それだけ分かっているのなら、そちらで捜査すれば良いじゃないですか! 警察なんだから!」
神谷凛久は奥歯を噛みしめ、短く息を吐いた。
「奥さん……」
「私と夫は学校にも訴えた! 担任にも教頭にも校長にも!
それでも相手にされなくて教育委員会にも行った!
それでも“和解してる”って勝手に決めつけられて……。
だから警察にも行った!
でも警察が何をしてくれたの!?
“教育委員会に話を聞きます”と言って……私達は一ヶ月待った…!
でも何も進んでいないと分かって……うちの子は絶望して……自殺した!
あんた達はそいつらと一緒よ!」
「奥さん。お気持ちは分かります。だが、彼らはいじめを認定されていなかった。それなのに……」
「それなのに、なに!?
あいつらは息子をいじめてた!
そして息子は首を吊った!
それが真実よ!」
「奥さん……。
その“いじめをしていた可能性のある生徒達”は全員、自殺しました。
ですが他殺の可能性もあるんです。
どうか本当のことをお話して下さいませんか?」
滂沱の涙を流していた女性が、クスリと笑った。
神谷の背筋に悪寒が走る。
「奥さん?」
「……あの子の言った通りのことを言うのね」
「何がです? その“お悔やみを言った学生”ですか? 息子さんですか?」
「どっちだって良いでしょう!?
私を逮捕する?
うちの息子に“お悔やみを言ってくれた子”と3分51秒話をした私を逮捕するの?
逮捕するならすればいい!」
神谷は黙った。
床に落ちた涙の音だけが、部屋に響いた。
「奥さん……」
「じゃあ言ってあげる!
お悔やみを言ってくれた子はね、あんた達と違って“犠牲”を払ってくれた!
話はそれだけ!
帰って! 帰ってよ!」
「初めは俺のSNSにDMが着てさ。
あ、動画配信の方じゃなくて、画像とか投稿する方ね。
で、一応その相手のSNSもチェックしたんだ。
そしたら、まあ、スッゲー匂わせてるわけよ」
「匂わせている? 犯罪ですか?」
男がアハハと笑う。
「違う!違う! “何かが起こるって知ってる”ってさ。
あと……あのいじめで自殺しちゃった子のこと?
あの子のことをポツポツ呟いてて。
だから俺は『あー、これはあの子の友達かなんかで、今もいじめた奴らを恨んでて……』しかもさ!」
今度は男がニッと笑った。
笑っているのに、目は笑っていなかった。
「“いじめてた奴らを今も見張ってる”んだなって!」
「いじめは認定されていませんよ?」
「ハイハイ。警察はそう言うよね。
でも、あのアカウントの子はそう思っていたし、いじめはあったでしょ?
自殺するくらい追い込まれてたんだよ? 中学生が。
あるっしょ!絶対!」
「それであなたは、そのアカウントの“ひとり”というハンドルネームの人物の情報を信じて、あの廃墟ビルに行った。間違いないですか?」
「そっ。半分悪戯だと思ってたけどさ、それはそれで、生配信ならネタになるし!」
「悪戯だと思った根拠は?」
「警察って面倒だねー。もう知ってんでしょ?
場所、日時、ベストな撮影場所まで教えてくれてんだぜ?
それで撮影したら……あの五人が現れてさ」
「どんな状況でした?」
男は舌打ちした。
「俺の生配信を観てた人達が警察に連絡したから、あんた達が来た!
俺の映像も証拠品として押収しただろ?
それを鑑識とかで分析してんじゃないの?」
「ええ。分析はしていますよ。あらゆる角度から。
ですが、目撃情報は聞く決まりなんです」
「……分かったよ。
まず、“ひとり”ってヤツの言った通りの時間に、五人が屋上に現れた。
しかも……1メートルくらいかな? ピッタリ等間隔に並んでたわけ!
それだけでゾッとしたね。
そしたら……バイオリンが聞こえた。童謡みたいな……。
そして……全員が一斉に下向きに落ちた!」
「バイオリンは確かに聞こえたんですね?」
「ああ、聞こえた! 動画にも音が入ってる筈だぜ?」
「そうですか。ありがとうございます」
警視庁。本館地下。
神谷凛久は「安全保安班」のドア横にカードを翳す。
静かにドアが開く。
中にあるのは、別の表札。
「特殊犯罪班」
その存在を知るのは、警視庁の上層部だけ。
“部”でも“課”でもない。
“班”なのは、身内の警察官すら欺くためだ。
ここで扱うのは、犯罪だと言い切れない事件ばかり。
法が救い切れなかった無念が積み上がっていく場所。
神谷はこの部署を嫌っていない。だが、好きでもない。
“救えるはずのもの”が、救えたと実感したことは一度もないからだ。
事件の始まりは、二年前に遡る。
ホームレスの小屋に火を着けた複数犯。
ホームレス二人が死亡。
捜査が始まり、目撃情報から酔っ払いらしいことが分かり、防犯カメラを辿っていた矢先――
名門大学の三人が、三階の教室のベランダの柵から飛び降りた。
コンクリートに頭から落ち、即死。
そして、防犯カメラを追っていた刑事達は知った。
この三人こそ、ホームレス放火犯だと。
後悔の念からの自殺だと思われた。
だが三人は3分間、ベランダの手摺りに立っていた。
他の生徒達がスマホで動画を撮っていた。
三人は――1メートルの等間隔で並んでいた。
そして、目撃者達は口を揃えた。
「バイオリンの音がした。それから三人がライターに火を着けて、飛び降りた」と。
しかし、生徒達の録画には、人々のざわめき、絶叫、木々の揺れる音まで入っているのに、バイオリンの音はどのスマホからも“聞こえなかった”。
鑑識で徹底的に分析しても、バイオリンの音は出なかった。
そして――
なぜ、ライターに火を着けたのか?
その答えこそ、誰も気付かなかった「始まり」だった。
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