いいから黙って側に居て
俺はヘンリー。ただのヘンリーだ。ここ、ヘルダーリン伯爵邸の庭師を務めている。
ずっとここで庭師をしていた師匠が去年引退して、今は俺が1人で取り仕切っているんだが、このお屋敷は大層立派だから時間がいくらあっても足りない。大変だがやりがいも感じる。
それに最近は楽しみもあるんだ。お屋敷の二番目の坊ちゃん、ルーカス様の家庭教師として週に3日訪れるアイリーン嬢。彼女は本当に素敵だ。
初めて彼女に会ったとき、俺の大したことない人生の中で、1番綺麗に輝いてみえた。
一目惚れっていうんだと思う。はじめまして、なんておずおずと差し出してくれた手が夢みたいにきめ細かくて、俺の汚ったない手で触っていいもんじゃないと思った。
彼女が一度、差し入れだと言って焼き菓子を持ってきてくれたことがあった。優しくて綺麗で、俺はもうメロメロだ。お口に合うといいけれど、なんて恥ずかしそうに微笑むもんだから、俺はすっかり参ってしまって味なんか分からなかったけど世界で一番うまかったと思う。
生垣を刈り込みながら、ぼーっとアイリーン嬢のことを考える。あんなに素敵な人と人生を歩めたら、どんなにいいだろう。
駄目だ、なにを馬鹿なことを。俺みたいな奴があんな真っ当な人となんて、あり得ない話だ。
向こうのテラスで坊ちゃんと彼女がなにか話している。日差しもあたたかくて、鳥が鳴いてて、みんな笑っていて。ここが俺の人生のピークなんだろうか。
俺は、あの幸せな空間を外から眺めるぐらいが丁度いいんだ。中に入ろうなんて思っちゃいけない。汚れた俺が入れば、きっと全部台無しだ。
台無し、台無し。そういえば、俺の名前は昔“台無し”だったと思う。あれ“用無し”だったかな。あのときはまだ言葉も文字も知らなかったから正確に思い出せない。
仕事に失敗して、もうターゲットじゃなくて俺が死ぬんじゃないかなんて思うぐらいに痛めつけられて路地に転がってた俺を師匠が拾ってくれるまで、俺の生活は最悪だった。
物心ついたときから1人で生活していた。妙に力は強かったし、何故か魔法も使えたので、金持ちに買われて人を殺す方法を仕込まれた。他に生き方も知らなかったし、こういうもんだと思って生きていた。人は、金をくれる奴と、殺さなきゃいけない奴と、どうでもいい奴の三種類。
なんで師匠は俺なんか助けてくれたんだろ。ここのお屋敷の人はみんな親切で優しくて、俺なんかいちゃいけない場所だっていつも思う。本当は俺、草を刈るより人の首を刈る方が得意なんだなんて、まるっきりただの化け物じゃないか。
駄目だって分かってるのに、ずっとここにいたい。過ぎた望みだ。人を好きになったりなんか、しちゃいけなかった。俺はどうしてこうなんだろう。
「ヘンリーはちょっと考え過ぎてんじゃない?もっと肩の力抜いた方がいいよ、俺みたいに」
「!坊ちゃん」
坊ちゃんはこうして時々俺なんかに話しかけてくださる優しい方だ。俺よりずっと小さいのに、俺よりずっと立派だと思う。ああ、坊ちゃんが話しかけてくださるから、流れで家庭教師のアイリーン嬢も声をかけてくれるんだ。
勘違い男、誰もお前を愛しちゃくれない。
「……今、まさに考え過ぎてる顔してる」
むすっとした坊ちゃんは、俺の顔をその小さな手でもにもにと揉んだ。
「お、おやめください坊ちゃん!俺みたいなのに触ったら坊ちゃんがよごれちまう」
ああ、こうして穏やかな時間を過ごすたび、自分が何であるのか忘れそうになる。目を覚ませ、ヘンリー。お前はただの人殺しだ。
「あら、ここにいたんですの、ルーカス様」
「アイリーン」
女神かと思った。いつみても素敵な人だ。
「ルーカス様、わたくしそちらの方と少々お話があるのです。席を外していただいても?」
えっ、そちらの方。ここには俺とルーカス坊ちゃん以外だれもいない。そ、そちらの方って、俺。俺か。
「ああごめんねアイリーン。俺って気が利かないや」
うまくやれよ、とウインクを一つして坊ちゃんは走って行ってしまった。何を……?何を上手くやるというんです、ちょっと!!
混乱で胸がいっぱいになった、どうしたらいいんだろう。アイリーン嬢のほうを見ることができない。俺、俺に話って、
「ねえ、ヘンリーさん」
「は、はい!!」
びっくりして大きな声を出してしまった。俺は声がそもそも大きいし低いから、怖がらせてしまったかもしれない。いつもそうだ、迷惑ばかりかけて。
くすくす、と笑い声が聞こえた。
「もう、そんなに怖がらないで。あなたのこと、とって食べたりなんてしませんわ、わたくし」
ふわっとなんだか分からない花のいい香りがした。どうしてこの人はこんなに素敵で、こんなに恐ろしいのだろう。俺に、決して叶わない、現実味のない幻想を抱かせる。
「わたくしはただ、あなたと居たいだけですもの。わたくしのことがお嫌い?」
「そんなっ、あり得ない。あなたは俺が出会ったなかで最も素敵な女性です」
「あら、ふふ、うれしい。……また会いに来てもいいかしら」
はい、以外の返事が出てくるわけもなかった。
それから俺たちは、時々会って、他愛無いおしゃべりをして、互いのことを知って。
お淑やかなひとだと思っていたが、案外体を動かすのも好きなこと、焼き菓子を作るのが得意だということ、家庭教師は性に合っていること。
知れば知るほど夢中になった。一目見て素敵だと思った人は、内面を知ってもやっぱり素敵な人で、俺はこの人を好きでいることをどうしてもやめられない。
これ以上、これ以上は望まないようにしよう。だから神様、俺からこの人を奪わないでください。
神様が助けてくれたことなんて人生で一度もなかったけど、そう願わずに居られなかった。側にいるだけでいいと、本気で思ってたんだ。
そんなこと叶うはずもないのに、馬鹿な男だ、俺って。救いようがない。どこまで行っても自分のことしか考えられないんだ。ぬるま湯に浸って、自分がまともな人間になれたんだって勘違いしてた。奪わないで、なんて、被害者みたいに。どう考えたって俺の人生は加害者でしかない。
「ちょっと、ヘンリー!!やめろって、そいつしんじゃうよ!!」
……あれ、坊ちゃん。どうしたんだろう、そんなに引っ付いたら坊ちゃんに血がついてしまう、大変だ、ハンナさんは服の汚れに厳しいからまた怒られてしまいますよ。屋敷の家事全般を取り仕切る優しくも厳しい老女を思い出す。こないだだって坊ちゃん、泥だらけになって帰ってきて叱られてたでしょう、あのとき本当怖かったなあ。
あ、俺のシャツも随分と汚れてる。参ったなあ、これじゃあもう着られない。せっかく今日はアイリーン嬢と、だからおろし立てのシャツを、それで俺は今日彼女に、彼女に言わなくてはいけないことがあったのに、あれ何を言うつもりだったんだっけ大事なことだったのに急に思い出せなくなってしまったこれではいけないだってこれを言わなくちゃ彼女と
バシッ!!!
「しっかりしろ!!ヘンリー・アルバーン!!」
坊ちゃんが大声を出すところを初めてみた。その小さな両手で顔を挟まれて、やっと気がついたときには俺の両手にボロ雑巾のようになった男の胸ぐらがあった。
「申し訳ありません、冷静さを欠いていました。こいつから現状を聞き出さなくてはいけないんでした」
「うん、そうだな。でも俺がもう情報収集は済ませてるから、あとはアイリーンを助け出すだけだよ」
俺が迂闊だった。今日は彼女と遠乗りの予定で、勤務後の彼女をお屋敷まで迎えに行くつもりだった。ゆったりと流れる穏やかな時間に慣れきった俺は、アイリーン嬢をさらった馬車がすぐ横を通ったのにも気づかないほど平和ボケしていたらしい。坊ちゃんが慌てた様子で庭に拘束していた男には見覚えがあった。
昔の知り合い、狙いは俺だ。アイリーン嬢やお屋敷の方々はただ巻き込まれただけ。
こんな奴を殴ったってなんの解決にもならない、俺の憂さ晴らしになるだけだ。本当に救えない。
「……俺が、行ってきます。どうか坊ちゃん方はお屋敷で。何かあれば応援を頼みますので」
俺の責任だ。やっぱり関わるべきじゃなかったんだ、こんなに優しい人たちに迷惑をかけてしまった。俺がなんとかしなくては。
「それでもいいけど、お前が失敗したとき困るのはアイリーンだよ。だから俺もついてく。てか俺が居ないと話になんないよ、馬車に追跡魔法かけたの俺だもん。場所分かんないでしょヘンリー」
「坊ちゃん……」
お優しい。本当にお優しい。心配してくださっているのだと思う。幼い坊ちゃんを危険に晒すことなんてしたくない、しかし確かに坊ちゃんが居なくては彼女の居場所すら分からない。俺はなんて無力なんだろう。愛する人さえ1人では守れない。
「ありがとうございます、坊ちゃん。本当に、本当に無茶はしないでください。俺が守れない可能性だって高いです」
「分かってるよ、ほら行こう。悪い亀からピーチを助けに行かなきゃ」
「?はい、しっかり捕まってください!」
坊ちゃんの案内に従って馬を走らせる。本当に、頼りになる主人だ。程なくして小川のほとりにある古い小屋に到着した。馬車が近くに捨てられてあった。
「うーん、中にいる実行犯はおそらく4人、あと扉の前に見張り役が1人、そんだけだね。俺見張り役ボコしとくからヘンリーは中に突入でいい?」
「そんな、見張り役も俺が殺りますよ。坊ちゃんはここで待ってて……」
「そんなことしてたら中の奴に気づかれるだろ、ほらもう行くぞ、いち、にの、さん!」
坊ちゃんが投げた大きめの石が見張り役の頭にクリーンヒットして、そいつはそのまま倒れる。その隙をついて俺は小屋のなかに侵入した。
しばらく足を洗っていたけど、やり方はきちんと覚えていて自分が嫌になる。復帰は容易いだろうな。
殺しちゃだめだと思ったので全員気絶させた。アイリーン嬢は居ない。
4人と坊っちゃんは言っていたのにここに3人しか居なかった。1人彼女を連れて逃げた奴がいるんだ!
小屋から飛び出して辺りを見回すと、それらしい人影が森の中に見えた。走って向かう。
「なあ嬢ちゃん大人しくしときな、あいつよりよっぽど俺のが上手いぜ、天国みせてやるからよ……」
「い、いやっ、何をするんですっ!その手を離しなさい、この不届き者!!」
目の前が真っ赤になって、誰だか知らないそいつを地面に引き倒しそのまま顔面を5発殴った。お前如きが触れていい人じゃないんだ。100回殴っても足りないと思った。あまり殴ると見ている彼女に怖い思いをさせると気付いたのでやめた。
「だ、大丈夫ですか……?」
俺が言いたかったことなのに、先に言われてしまって困る。
「俺は、大丈夫です。あなたこそ、……巻き込んでしまって、すみません。俺の責任です」
「そんな、わたくしは平気です。この通り、ほら。かすり傷1つ、ついていない……というのは流石に嘘ですけれど、でも元気ですわ」
「……結果論です。俺のせいであなたを危険に晒したことに変わりはない」
「でも、助けに来てくださったわ」
ふふ、と笑う彼女の笑顔はいつも通り眩しくて、このしょうもない世界で一番輝いていた。
「……俺は、今日付けで庭師を辞めようと思います」
「あら、どうして?」
「俺がいるとあなた方を危険な目に合わせてしまう。恨みを買いやすい仕事を以前していたもので。今日はそれと、あともう一つ伝えたいことがあったんです、あなたに」
「聞きませんわ」
「ど、どうして」
今度は俺が尋ねる番だった。見たことのない表情でむくれる彼女は、こんな状況だけどびっくりするほどかわいい。
「わたくしとはもう会わないと仰るんでしょう。受け付けません。いやっ、いやです、絶対離れません。わたくしの幸福はあなたの側以外では見つからないわ、どうして分かってくださらないの」
ぼろぼろと大粒の涙をこぼす彼女をみて、美しい人は泣き方も美しいのだと、また場違いな感想を抱いた。泣いている。俺が、泣かせてしまった……?
突然事態が飲み込めてきて、パニックになった。どっどうしたらいいんだろう、なにか、なにか言わなくては、えっと、ええっと……っ
「け、結婚してください……」
口から出した途端自分のことを殴り飛ばしたくなった。完全に間違えた、絶対に違う!!
アイリーン嬢は目を丸くしてこっちを見上げている。ああ、涙止まった、よかった。
「はいっ。します、わたくし。結婚しますわ!」
「へ……?誰と……」
「もう、あなたとに決まっています。ご自分でおっしゃったのに、ひどい人」
「いっ、いやでも、俺は平民ですし、後ろ暗い過去もあるんです!あなたみたいな立派な人と一緒になれるような立場ではなくて……!」
「わたくしのどこが立派だというのです、貧乏子爵家の四女なんて売れ残りまくりですわ。もらってくださいませんの?」
なにが、起こっているんだ。頭がパンクしそうだ。言わなきゃいけないことは言ってないし、アイリーン嬢は俺の膝の上に乗っかってる。
でも待ってくれ、これだけは今日言わなきゃいけない。ずっと前から言わなくちゃいけなかった。
「好きです、アイリーン嬢。俺はあなたを、愛している……」
本当は、伝えるだけのつもりだった。だけども、俺の思いをこの人がきっと許してくれるから。
「あなたの側に、これからも居ていいですか……」
ああ、せっかく泣き止んでたのに。泣いてるあなたも素敵だけど、笑ってるあなたが見たいんだ。涙をぬぐってそっと抱きしめる。
ぎゅっと抱きしめ返してくれて、耳元でもちろん、と囁かれたから、今日は俺の人生で1番いい日だ。
『いいから黙って、側に居て!』
坊ちゃんはあの後1人で誘拐犯たちを縛り上げて見張ってたので、彼が今回1番の功労者です。
因みにこいつ(ルーカス坊ちゃん)を主人公にしたシリーズ物を書いてるのでいくつか溜まったら公開したいと思います。




