002 名前も知らない彼
そのとき、背後から鋭い声が響いた。
「そこの車の後ろに隠れろ!」
彼だ。天音は咄嗟に近くの車の影に飛び込む。
彼はナイフを振るい、迫り来る妖魔を次々と切り払う。だが、数の多さに押され気味だ。
「くっ……!」低い呻き声。
――隠れて何もできない自分が、悔しい。
車の影にうずくまりながら、拳を握りしめる。
恐怖で体は硬直する。だが、胸の奥で熱い決意が燃え上がる。
守られてばかりは、もう嫌だ――
視線の先で、一匹の妖魔が彼をすり抜け、天音に向かって突進してくる。喉が詰まり、体が硬直する。
だがその瞬間、転がっていた彼のナイフが手に触れた。条件反射で握りしめ、思考より先に体が動く。
「――っ!」
投げたナイフは真っ直ぐに妖魔の腹を貫き、煙のように消滅する。
「な……あいつ……!」
彼の瞳が一瞬大きく見開かれる。驚愕を隠せないまま、ポケットから何かを取り出し群れに投げ込む。
次の瞬間、爆風とともに炎が広がり、残った妖魔もナイフで切り倒され、一瞬で群れは消えた。
静寂が戻る。彼はゆっくり天音に近づく。
「……なぜ、あんな真似をした」
問い詰めるような声に、天音はうつむく。
「ごめんなさい……」
胸の奥で恐怖と悔しさ、そして熱い決意がせめぎ合う。
沈黙の後、彼は短く言った。
「……とりあえず、ついてこい」
戸惑う天音に、彼はケータイをいじりながら、
振り返り低く重い声で言った。
「早く来い」
天音は震える足で彼の後ろに続いた。
彼がどこかに電話をかける様子を見ていた。
「はい、さっきのメールの件で
……今から連れていきます」
「え?……名前?」
彼がゆっくり振り向き、鋭い視線を天音に向ける。
「……あんた、名前は?」
「白瀬 天音です。」
彼は少しだけ間を置いて、軽く息を吐いた。
「……だそうです。はい、お願いします。」
電話を切る音が静寂に響き、再び歩き出す。
「……あの、どこに行くんですか?」
「……」
答えない彼に、天音は少し不安になる。
街路灯の光も届かない、薄暗い路地の中で、微かな風が葉を揺らす。
「名前を…教えてもらってもいいですか?」
闇に沈む彼の影から、低く静かな声が返ってきた。
「霧島……蓮」
その声は落ち着いていて、態度もぶれず、夜の中でひときわ冷静に立っているようだった。
天音は思わず背筋を伸ばし、少し緊張する。
「霧島さん、さっきはありがとうございました」
「さっきのは……どうやった?」
「?」
「退魔師の家系か?」
「…いえ、違います」
無言のまま歩く彼の背中を追う。
やがて彼は足を止め、視線の先に巨大なビルが立っている。
「ここは俺の所属している退魔師事務所だ。はぐれるなよ」
天音は息を呑む。目の前には巨大なビルが立っている。夜の光を反射するガラスの壁は、まるで別世界のように輝いていた。