ふたりの過去
短い春休みが終わり、私たちは二年生になった。
校門の前では、人だかりの向こうに新しいクラス表が貼り出されている。
胸の奥がどくんと跳ねた。
あの長い日々が報われるのか。
それとも――。
隣には結菜と凪。
三人で手をぎゅっと握る。
冷たい朝の空気なのに、掌だけがやけに熱かった。
「い、いくで! せーので目ぇ開けるんや!」
「わ、わかった……」
「え、ええ……」
凪が大きく息を吸い込む。
「せーーーーのっ!」
最初に言葉を発したのは凪だった。
「や、やったで!! オレ【星2】や!!」
「わたしも、昇級してる……」
「まじで!? 結菜ちゃんもか! やったやん!!」
どうやら二人は【星2】になれたみたいだ。
「……天音……」
結菜の心配そうな声が聞こえる。
名前を呼ばれても、私はまだ目を開けられなかった。
心臓が痛いほど脈打って、指先が小さく震える。
……こわい。
でも、見なきゃ。
深く息を吸って、そっと目を上げた。
【星2】クラス。そこに並ぶ名前を、一人ずつ、目でなぞっていく。
あった。私の名前だ。
息が止まり、視界が滲む。
「……結菜……凪……」
二人の名前を呼んだだけで、涙が溢れてきた。
「やったよ! 私もみんなと一緒に昇級したよ」
「ほんまや!! 三人揃って昇級したぞーーー!!!」
凪が拳を頭上に突き上げた。
笑い声と涙が混ざり合って、世界が輝いて見える。
長い夜を抜けて、ようやく朝が来たみたいに。
胸の奥から、抑えきれない衝動が湧き上がる。
霧島くんに伝えないと。
この嬉しさも全部伝えたい!
その思いを抱えたまま、私は走り出していた。
中庭や教室……探したけど、どこにも居ない。
残りは屋上だけだ!
校舎の階段を、急ぎ足で駆け上がった。
屋上に出ると、風が吹き抜け、私の甘栗色の髪を大きく揺らした。
いた!
床に仰向けになり、空を見上げている蓮の姿が目に入る。まるで、誰が来るのか分かっていたみたいに、扉が開く音がしても、こちらを振り向くことはなかった。
「霧島くん!」
声をかけると、彼はゆっくりと体を起こした。
切れ長の瞳が、まっすぐこちらを捉える。
「……何の用?」
相変わらず素っ気ない。
でも、今日はそれすら嬉しく感じた。
「あっ、その……私、昇級したの!」
「知ってる」
あまりの即答ぶりに拍子抜けしてしまった。
きっと間抜けな顔になっていたのだろう。
蓮の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「本当に、予想外な奴だな。
……名字で呼ぶの、長い。蓮でいい」
「えっ……」
一瞬、思考が止まった。
急に名前で呼んでいいなんて、どうしてだろう。
「えっと……私は天音……」
「知ってるし」
ふっと、蓮が笑った。
一瞬だけだったが、柔らかい笑みだった。
自分の顔が熱くなるのを感じて、慌てて話題を変えた。
「これで退学はなしだね! それで……あの約束の任務には、いつ行くの?」
「俺が決めてからだ。もう少し待っとけ」
「……わかった」
お預けを食らったことに少し落ち込んだ。
でも約束は守ってくれる。それを確認できたから良しとしよう!
少し俯いた私を見て、蓮は一拍置いてから口を開いた。
「……何でそんなに、退魔師がいいわけ? 確かに、あんたには素質はある。だが、最初に言った通り、命を落とす奴は多い。明確な理由がなければ誰も目指そうとはしない。
まさか、”かっこいいから”なんて……言わないよな?」
冗談めかした言い方なのに、瞳は一切笑っていない。
蓮の射抜くような視線が、私の心の中を探っているようだ。
私は逃げ場を探すみたいに顔を逸らしかけて、やめた。
もう誤魔化せない、そう悟った。
私は小さく息を吸い、蓮に向き合った。
「……私が小さい頃、大切な人が妖魔に襲われたの。そのときからずっと、守れる力が欲しかった。
わたしの大切な人を守る為。そして、わたしと同じ思いをしないように、誰かの大切な人を守れる退魔師になりたいの」
さっきまで肌に触れていた風が、いつの間にか止んでいた。
蓮は何も言わず、しばらく空を見つめた。
「……そうか」
それは私に向けてなのか、彼の中で腑に落ちて、零れた言葉なのか分からない。
「俺も、強くならないといけなかった」
「……どうして?」
「幼い頃、両親を妖魔に殺された。そのとき、所長に助けられて俺だけが生き残った。
皮肉なことにその日、俺が“覚醒者”だと分かった。だから退魔師になるために、所長に頼み込んで鍛えてもらった。」
蓮の黒髪が、風に揺れた。
「両親を殺した妖魔を、この世から消す。そのために強くないといけないんだ。
……あんたと俺は、少しだけ似ているのかもな」
蓮の声は淡々としているのに、どこか遠くの悲鳴みたいに聞こえた。
似ている。
その言葉が、胸の奥で小さく波紋を広げた。
蓮の心の奥に少し触れた気がした。
「あーー!! 噂の天音ちゃんじゃん!!」
その空気をぶち破るように、屋上の扉が勢いよく開いた。
びくりと肩が跳ねる。
眩しい笑顔の男子が、まるで友達に会ったように、手をひらひらと振りながら近づいてきた。
「隼斗……急に出てくるな」
蓮が眉をひそめる。
「えーー、いいじゃん。ちょうど結菜と凪くんと話してたんだよね」
凪の名前が出た瞬間、蓮の肩がぴくりと動いた。
「あー! いた、天音! 急にいなくなるのやめてよね!」
階段から結菜と凪が顔を出した。
「あっ、蓮さん!! オレ昇級したんですよ!!!」
凪が興奮気味に報告するが、蓮は静かに頷くだけ。
「私と天音があんたに勉強を教えてあげたからでしょ。感謝しなさいよね」
結菜が腰に手を当てると、凪は真っ赤になって慌てていた。
それを見た結菜は小さくため息をつき、私の方へ向き直った。
「私ね、本当に感謝してるの。昇級できたのも二人のおかげ。天音の頑張りを見て、私も逃げてちゃだめだって思ったの。
さっきお母さんにも報告したら、本当に喜んでくれて……すごく嬉しかった」
隼斗が結菜の頭を優しく、くしゃっと撫でた。
「あ〜結菜はかわいいなぁ。俺は【星2】になると危険が増えるから反対したんだけどね。君たちと一緒に強くなりたいって言われたら、折れちゃうよなぁ」
……情報量が多い。
頭が追いつかないんだけど。
「えっと、もしかして、結菜の彼氏?」
「そ、蓮の大親友で、結菜の彼氏! よろしくね、天音ちゃん」
頭が追いつかない。
その中で一つ引っかかっていることが……。
「なんで凪くんは、蓮くんに敬語なの?」
「ファンなんだって。蓮くんの前じゃ、あんな感じよ」
「へ、へぇ……」
二人に視線を向けると、凪は緊張しながらも嬉しそうに蓮へと話しかけている。蓮は相変わらず無言だった。いや、無表情だった。
みんなで笑って、喜びを分け合って。
こんな日常がずっと続けばいいのに。
このときの自分がどれだけ甘かったのかも、後にどれほど大切な思い出になるのかも……私は、まだ知らなかった。




