第6話 お前が歌うと、俺の台詞が薄れる
夕方の部屋。
空気は静かで、電子レンジの「チン」という音がやけに大きく響いた。
奏真は温め終えた肉まんを手にソファへ戻り、
俺はマイク前に座ったまま、録音データの波形をじっと見つめていた。
「あれ?録音してたの?」
「……うん。リテイク」
「へぇ、あれってもう投稿済みじゃなかった?」
「出したやつとは別。ちょっと引っかかるとこあって」
「ふーん……そっか」
素っ気ない会話が、薄く漂っていく。
「……さっきのやつ、表情もっと入れてもいいかもな」
「は?」
「いや、せっかく声がいいんだし、もうちょい感情強めに──」
「強めって、どのくらい?」
「たとえば”好きだ”ってフレーズなら──」
そう言って、奏真が一歩前に出る。
その瞬間、まるでスイッチが入ったように“俳優”の顔に変わった。
「好きだ。……本気で、お前のことだけを見てる」
空気がわずかに震えた。
照明のない室内なのに、まるで光をまとったみたいに視線が強くなる。
呼吸までもが演技の一部に変わり、言葉が空間を揺らす。
──確かに、届いてくる。
「──みたいに、声の流れだけじゃなく、熱を乗せると、より伝わるっていうか」
「……それ、歌じゃなくね?」
「え?」
「演技じゃん、それ。歌とは違う」
「でも、“伝える”って意味では同じでしょ?」
「違う」
「え……」
言ってしまってから、少し尖っていたことに気づく。
けど──譲れなかった。
「歌は、感情じゃなくて、温度で伝えるもんだと思ってる。熱量が多いからって届くとは限らない」
「……」
「伝えたいって気持ちが強すぎると、逆に“うるさい”って思われることもある。だから、音を削って、削って、必要なとこだけ残して……それでも届くものが、本物だと思ってる」
部屋に沈黙が落ちる。
奏真は何も言わずに、肉まんをかじった。
“もふっ、もぐもぐ”──咀嚼音だけがやけにやさしく響いていた。
「……俺、うるさい?」
「うるさい」
「だよねー」
「演技の話してるときの顔、マジでうるさい」
「顔の話はしてないけど、でも否定はできない!」
あっさりと、いつもの奏真が戻ってくる。
軽く笑い、肩をすくめるその様子に、張り詰めかけた空気がふっと解けた。
「でも、葵くんの歌、そういう考えで作ってるって聞けてよかった」
「……?」
「俺、表現って“感情の塊”みたいなもんだと思ってた。でも、“削る”って選択肢もあるんだなって。届くために“黙る”ってやり方も、あるんだなって」
「……お前にしては珍しく、まともな解釈だな」
「でしょ!?褒めていいよ!抱きしめてもいいよ!」
「抱きしめたら肉まんの脂移るだろやめろ」
「中身まで見透かされてるー!」
知らないうちに、ぶつかりかけてた空気はどこかへ消えていた。
たぶん俺たちは、まったく違うタイプの人間で。
だから、ちょくちょく噛み合わない。
でも──それでも。
理解しようとしてくれる、その姿勢にだけ、救われることがある。
***
録音が終わった夜。ふたりでコンビニへ。
「今日の戦利品は、わらびもちと唐揚げ棒!」
「統一感ねぇな」
「でもどっちも“沈黙で伝わるうまさ”だからセーフ」
「それ俺の受け売りだろ」
「パクって昇華した!」
「調子乗んな」
帰り道。信号待ちのタイミングで、奏真がふいに言った。
「……俺の台詞、たまに薄く感じるんだよね」
「は?」
「葵くんの歌、聞いたあとに台詞録ると、“言葉って軽いな”って思うことある」
「……それはない。演技は、ちゃんと重い」
「そう?」
「俺の歌が刺さってるのは、お前の芝居が“生活に音をつけてくれる”からだよ」
「……なにその言い方、ズルくない?」
「うるせぇ。黙って唐揚げかじってろ」
「はいっ!」
わらびもちの袋が、シャカシャカと揺れる。
言葉だけじゃ伝えきれないこともある。
けれど、こんな何気ない時間が続いていくなら──
少しずつ、互いの“表現”が、噛み合っていく気がした。