表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/25

第3話 台詞で泣かせてみろよ、俳優さん

 風呂上がりのタイミングで、突拍子もない質問を投げかけられた。


「なあ、葵くんって、自分の歌で泣いたことある?」


 奏真はバスタオルを頭に乗せたまま、牛乳のグラスを片手に立っていた。

 こっちは翻訳作業を終えて、ようやくベッドに沈もうとしていたところだ。


「……ない」


「一回も?」


「俺の声は、自分の外に向けてるものだから。自分に向けたことない」


「へぇ……」


 珍しく、奏真が黙る。

 ──と思ったのも束の間。五秒と経たずに口を開いた。


「じゃあ、誰かに言われたことは?“泣いた”とか、“刺さった”とか」


「ある」


「やっぱり!それってつまり──」


「……泣かせたいわけじゃない」


 その一言に、奏真の動きがぴたりと止まった。


「伝われば、それでいい。泣くのは、その先にある副作用みたいなもんだろ」


「副作用、か……なるほどね」


 濡れた前髪をかき上げながら、奏真が少しだけ静かな声で呟いた。


「じゃあ、俺の台詞で泣ける?」


「は?」


 思わず眉をひそめる。


「真面目な話。声で感情を揺らせるのって、歌だけじゃないんだよ。たとえば、台詞ひとつ。演技ひとつ。呼吸ひとつ。間の取り方。舞台の上って、全部が“声の説得力”で決まる」


「急に何言ってんだ」


「葵くんの声は一分で人を泣かせる。なら、俺の台詞は何秒でいけるかなーって」


 軽口めいた言い方なのに、目は真剣だった。

 まるでスイッチが切り替わったように、奏真の表情が“俳優”の顔へと変わっていた。


 ──本気でやる気らしい。


「……じゃあやってみろよ」


「えっ、今?」


「今しかねーだろ。濡れ髪で牛乳持ったままでも泣かせてみろよ、俳優さん」


「わー!なんか急に煽られてる!いいっすね、そのノリ!」


 コップをテーブルに置くと、ひとつ咳払いをして姿勢を正す。

 その瞬間、体の軸が自然と変わったのがわかった。

 重心が、まるで舞台の真ん中に立つ役者のものになっていた。


 そして──空気が変わった。


「……『どうして黙ってた?』」


 台詞が始まる。


「『お前に言えるわけないだろ』

『言ったところで、どうせ笑う。分かった顔して、全部知ってるみたいなツラして、俺を見下す』

『だから黙ってた。悔しかったから。悔しくて、言えなかった』」


 言葉と言葉のあいだに、丁寧な“間”がある。

 演出も照明もないただの部屋なのに、不思議とそこに“シーン”が浮かび上がっていた。


 まるで、周囲の空間だけが照らされているような錯覚。


「……『ほんとは、気づいてただろ?』

『全部、分かってただろ?』

『それでも、お前は何も言わなかった』

『俺が壊れていくの、黙って見てたくせに』」


 目が合った。

 声は静かなのに、強烈な圧が胸を打つ。

 喉が、わずかに震えた。


 ──この声は、ちゃんと届いてる。


「──終了」


 台詞の終わりと共に、張り詰めていた空気がふわりと解ける。


「……どうだった?」


「……」


 返す言葉が見つからなかった。

 評価なんてできるものじゃない。ただ、胸の奥に重たい何かが沈んでいる感覚だけが残っていた。


「……まあまあ、かな」


「あー、ツンデレ出た!いま“良かった”って言うところでしょ!」


「言うかよ」


「泣いた?」


「……泣いてねぇ」


「惜しい!次は泣かせます!」


「勝手にやってろ」


 肩をすくめ、ソファに倒れ込む。


 ──でも内心では、少しだけ悔しかった。


 演技ひとつで、ここまで空気を変えられるなんて。

 俺の声とは違うベクトルで、人の感情を動かす手段があるなんて。


 知らなかった。


「……一回、見てみたいかもな」


「ん?なに?」


「お前が、舞台で喋ってるとこ」


「え!?いまのもう一回言って!?葵くんが“見たいって言った!!」


「うるせぇ!」


「うわ、マジうれしい……これはヤバい……記念日登録しとく……」


「今の忘れろ」


「絶対忘れない!!」


 騒がしい。やかましい。テンションも高すぎる。

 でも──なぜか、胸の奥。喉じゃない、もっと深い場所がじんわり温まっていく。


 “演技”というものが、思っていた以上にしっかりとした“武器”なんだと、初めて知った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ