表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/22

第1話 0:100の生活開始

 ──初日からこれだ。

 何が「話しかけません」だ、と心の中でツッコミを入れる。


 朝から全力の声量とテンション。

 こちらの鼓膜が震えるレベルで、静けさとは無縁の朝が始まっていた。


 奏真の言葉が止まらない。


「葵くんは何時くらいに歌う感じ?」


「気分。喉の調子次第」


「なるほど……じゃあ、空気で察します!」


「無理だろ、お前じゃ」


「がんばりますっ」


 ──軽口ばかりの男。だが、キッチンに立つ姿は意外なほど手際がいい。


 卵を片手で割って、迷いなくフライパンに落とす。

 トースターにパンを放り込みながら、同時進行でお湯を沸かし、インスタントスープの準備まで済ませていた。


 動きに無駄がない。

 あの騒がしさが嘘のように、流れるような手順で朝食が出来上がっていく。


「はい、朝ごはん完成! スタートから60点!」


「自分に甘いな」


「最初から満点狙うと伸びしろなくなるんで!」


 気楽な調子で笑いながら、俺の皿にトーストを置いた。

 ふと見ると、ちゃんとジャムが塗られている。細かいところだけ妙に気が利くやつらしい。


「……ありがと」


「えっ」


「……聞こえなかったことにして」


「いま、ありがとって言いましたよね!? えっ?奇跡?録音しとけばよかった!いやでもそれはそれで怒られそう!」


「うるさい」


「うれしい!!」


 勢いばかりで空回りするかと思いきや、意外にちゃんと響いてくるものがある。


 箸を置いて、スープをひと口。

 ──うまい。それがまた、少しだけ悔しい。


 このテンションについていく気などないが、

 ──少なくとも、こいつの料理が不味い未来は想像しにくい。


***


 朝食が終わると、奏真はすぐに立ち上がり、手際よく片づけに取りかかる。


 洗い物、拭き掃除、床にはコロコロ。ついでに洗面台の鏡まで磨いている。


 ここまでやるか、と目を見張るレベルだった。


「家事、好きなの?」


「というか、無心になれるんですよねー。稽古の台詞覚えながらとか最適」


「へぇ……仕事、休んでていいのかよ」


「今日は休み!次の現場は来週!」


「俳優ってそんな自由なの?」


「自由じゃないけど、自由を作ってる!時間はね、情熱でひねり出すものなんすよ」


 なんだそれ。よくわからないけど、本人は真顔で言っている。


 手元の動きは真剣そのもの。

 雑さのかけらもなく、むしろ細部まで神経が行き届いている。


 黙ってさえいれば──というより、黙っていれば、けっこうちゃんとした人間かもしれない。


「ん?どうかしました?」


「いや……意外とちゃんとしてるなって」


「そりゃ本気ですから!」


 その言葉のあと、奏真は床にぺたんと座り込み、じっとこちらを見つめてきた。


「なに」


「葵くんの顔、思ってたよりちゃんと生きてる顔してて、安心しました」


「どういう意味だよ」


「もっとこう……死人みたいな顔かと思ってたんですよ。勝手なイメージで」


「お前な……」


「でもちゃんと目に光あるし。少なくとも、俺の声にツッコミ入れられる余裕はあるってことですし」


 その言葉に、内心で息をつく。

 奏真は、ほんのわずかに目元だけを緩めて笑った。


 ──たぶん、この人は。

 舞台の上でも、きっとこんなふうに笑うんだろうな。


 その笑みが、妙に絵になっていた。


「……疲れたら、出てっていいからな」


「俺、長期滞在型なんで」


「二週間契約って言ったよな?」


「一日が長ければ、二週間も長くなるじゃないですか」


「それ詭弁な」


「人生って詭弁の連続ですよ!」


 調子のいいやつだ。

 でも、悪くはない。


 この距離感。この軽口。この空気の濃さ。

 うるさいけど──たぶん、嫌いじゃない。


***


 夜。

 録音前の静けさが、部屋を包み込む。


 俺がマイクをセッティングすると、奏真は何も言わず、そっと動きを止めた。


 ソファに身を預け、目を閉じ、物音ひとつ立てない。


「……ちゃんと分かってんだな」


 誰にともなく、そう呟いてマイクに向き直る。


 一分。たった六十秒。


 けれど今、そこには初めて“リアルタイム”の聞き手がいた。

 その気配だけで、喉が少しだけ、軽くなった気がした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ